連載３　谷川俊太郎全《詩集》を読む

（「びーぐる」４４号）

山田兼士

（７）『２１』（思潮社 1962）　　

　谷川俊太郎自身が詩集『２１』について「初めて現代詩人として認められたらしい」（『谷川俊太郎《詩》を語る』澪標、2003）と語っているように、それまであまりの華やかさとポピュラリティと平易さのために孤立しがちだった谷川俊太郎が、この詩集によって初めて詩の前衛に躍り出た、といえるだろう。

　初めての「現代詩的」詩集は七篇ずつ三部から成る。第一部は各二行七連構成（つまりソネットと同じ十四行）による行分け抒情詩、第二部は行分け詩と（亜）散文詩の混合から成る緩やかなアドリブ詩、第三部はすべて本格的散文詩で、構造的明確さと鋭敏な方法意識に貫かれている。言葉でジャズのアドリブ演奏するような第二部の実験性と、第三部のバッハ的な構築性との対位／併存も目覚ましい。鋭敏な批評意識と鮮烈な方法によって、それまでだれも考えなかった三つの実験を成功させた詩集である。

　本詩集の組立をいささか図式的に要約するなら、視覚性から非論理性を経て論理性へと移行する展開が、ちょうど〈歌〉から（一旦カオスを経ての）〈語り〉へと至る曲線に比せられるだろう。各パートを代表するフレーズを挙げてみよう。

ひとりの女を見る／母を／／ガラスのむこうの／空のように青い空の壺／／ひろげられた楽譜と／和音を照らし出すろうそくの光と／／ちぎれた真珠のくびかざりと／水道管に垂れ下る氷柱　（「へ」前半）

云いたいことを云うんだ　どなりたいことをどなるんだ　ペツトもサツクスも俺の友だち俺の言葉が俺の楽器　ワンコーラスわけてくれ　いやツーコーラス　いやスリーフオア　いくらでもいい　一時間二時間六時間いや一日をまるごとくれよ俺に　黙つてるのは竜安寺の石庭　叫ぶのは俺だ　俺はのどだ　舌だ　歯だ　唇だ　のどちんこだ　声なんだ　俺はミスタージヤジージヤズー　（「スキヤツトまで」前半）

ヨーハンセバスチアンバツハは、虚空に音の伽藍を築いたのであるが、私は虚空にことばの円柱を築くのである。その円柱は真実という巨大な中空ゆえに、なにがしかの強度を有する一本の管の構造をしていて、装飾はすべてそれぞれの無数の毛根で管の中心にむすばれている。

即ちそれは瘡の全種類を含んでいると云えよう。　（「ことばの円柱」冒頭）

　いずれも音楽を主題にした作品だが、各々がはっきりと典型を示していることがわかる。静から動へ、また静へというカーブが描かれるわけだが、第一部は初期作品の中心を成す静穏で和声法的な音楽を奏で、第二部は騒擾で即興的な音楽を、第三部は堅牢な対位法的音楽を奏でている。行分け詩→亜散文詩→散文詩のカーブは、音楽でいうハーモニー→アドリブ→ポリフォニーのカーブともぴったり一致する。

　ここで、いささか唐突だが、このカーブを小野十三郎が『詩論』で宣言した「歌と逆に歌に」の曲線に重ねたくなるのは私だけだろうか。仮にそうだとすれば、これに続く数多い〈詩論詩〉の谷川俊太郎こそが小野詩論の最大の継承者ということになる。この点については、一九六五年五月一日の谷川俊太郎宛て小野十三郎書簡をめぐって論じた拙文（『谷川俊太郎の詩学』思潮社、2010）を参照して頂きたい。小野十三郎がほとんど全面的といえるほど絶賛を表明した背景には、現代詩の最前線におけるまったく新しい〈歌〉の発見があったのだ。

（８）『落首九十九』（朝日新聞社 1964）

　一九六二ー六三年に「週刊朝日」に連載した、十数行の短詩九九篇。社会情勢をモチーフにした風刺詩でもあり寸鉄詩でもあるが、詩人の眼差しは時に厳しく時に優しい。初版本には当時の事件等が脚注で示され、時代との関わり方が窺われる。貴重な詩的ドキュメントと呼べるだろう。最初に一九六二年十月頃の作と推定される詩「おどろき」を挙げる。

もうおどろかないだろう／東京五輪が中止になっても／もうおどろかないだろう／宇宙船が月へ行っても／もうおどろかないだろう／この国に革命がおこっても／もうおどろかないだろう／すべてにおどろきを失ったと知っても／／けれどおどろくだろう／妻がまだ自分を愛していると知ったとき／生れたての赤坊がくしゃみをするとき／テレビを消したあとの静けさの中で／或る日突然おどろく自分におどろくだろう

　その後に収録された全集版にも文庫版にも脚注は略されているので、初版本を見るまで私も気づかなったのだが、一九六二年十月二日の出来事として「米の第三号人間衛星“シグマ７”地球を六周して無事回収」との脚注があり、また同年同月五日には「オリンピック組織委員長きまらず」との記載がある。つまり、実際にこの時期に起こった事件に想を得て書かれた作品であることがわかる。だが、より重要なのは、そうした社会的大事件を前にして「もうおどろかないだろう」と嘯き、それよりむしろ妻や子供との日常生活の中で｢突然おどろく自分｣こそが「おどろき」である、とする生活重視の姿勢だろう。詩はあくまで個人的なものである、とする詩人の一貫した姿勢である。

　次に詩「子どもは……」を挙げる。

子どもはなおもひとつの希望／このような屈託の時代にあっても／／子どもはなおもひとつの喜び／あらゆる恐怖のただなかでさえ／／子どもはなおもひとりの天使／いかなる神をも信ぜぬままに／／子どもはなおも私たちの理由／生きる理由死を賭す理由／／子どもはなおもひとりの子ども／石の腕の中ですら

「子どもというもの」への普遍的な賛歌としても読まれ得るが、これにも脚注があって、一九六三年四月に発生した「吉展ちゃん誘拐事件」に想を得たらしいことが窺われる。だが、そうした具体的事例に拠る作品ではあっても、ただちに普遍性へと変換してしまう語法は、やはり優れた詩人の技というしかない。

　最後に詩「一人」を挙げておこう。

一人の若い父親が殺された／一人では決して負うことのできぬ／無数の責任を負って／一人では決して償うことのできぬ／高価な代償を負って／一人では決して生きることのできぬ／巨大な運命を負って／野ばんで残酷で空虚で気ちがいじみた／この現代の文明の祭壇に捧げられた／あわれないけにえなのだ／／一人の若い父親が殺された／幼い娘に〈さよなら〉を云ういとまもなく／今もなお無法の西部の町テキサス州ダラスで

　ある程度以上の年齢の人なら「ダラス」という地名から想像できるかもしれないが、脚注に記されているように一九六三年十一月十三日に起こったケネディ大統領暗殺事件を元に書かれた作品だ。アメリカ大統領の暗殺という大事件を素材にしながら、そうと名指しせずに「一人の若い父親」への追悼というかたちをとっているのはいかにも谷川俊太郎らしいとはいえないだろうか。「幼い娘」は後の駐日大使キャロライン・ケネディのことだ。

（９）『旅』（求龍堂 1968）

　初版は香月泰男の絵が各葉についた未綴じの豪華版詩画集で、四行詩節と三行詩節を自在に使い分けた変則ソネット二五篇。欧米旅行体験と鳥羽旅行等をモチーフに、独自の詩法を自覚した記念碑的作品群だ。後に普及版が出て広く読まれるようになる。

　まず、大江健三郎が長編小説『万延元年のフットボール』（講談社 1967）に引用したことがきっかけで人口に膾炙するようになった｢鳥羽１｣一九六五年初出）を挙げておこう。

何ひとつ書くことはない／私の肉体は陽にさらされている／私の妻は美しい／私の子供たちは健康だ／／本当の事を言おうか／詩人のふりはしてるが／私は詩人ではない／／私は造られそしてここに放置されている／岩の間にほら太陽があんなに落ちて／海はかえって昏い／／この白昼の静寂のほかに／君に告げたい事はない／たとえ君がその国で血を流していようと／ああこの不変の眩しさ！

「本当の事を言おうか」以下の三行に度肝を抜かれた読者（と詩人たち）は少なくなかっただろう。詩人であることへの自己懐疑、さらに自己否定は、この後ずっと続く主題の一つだ（例えば一九九三年の『世間知ラズ』や二〇〇七年の『私』など）。だが、それ以上に注目すべきなのは冒頭「何ひとつ書くことはない」という宣言だ。もちろん、書くことはないということを書ける、という逆説においてである。つまり、詩人は何でも書ける、という断言だ。

　次に挙げるのは「旅４　Alicante」。アリカンテはスペイン南部の港町である。

一枚の絵葉書を見る／思い出ではない／今でもない／時／／心は溶けている／心の向こうに海が見える／暗くもなく眩くもなく／／さえぎるな／言葉！／私と海の間を／／こめかみに／一粒の汗／地名の／なんという明晰

　詩とは「私と海の間」にあるものなのだ。言葉はむしろその詩を妨げるノイズにほかならない。真の詩は沈黙の中にこそある、という谷川詩学の根幹は、どうやらこの頃から固まったように考えられる。だが、一方で、沈黙とは言葉にあふれた詩でもあることが、｢anonym ４｣において歌われている。

今轢かれた猫の死体の上に／午後の陽がおちている／とどまろうと思えば／そこに一生の間とどまっていられる魂は／／けれど一瞬に過ぎ去る／そんなに多くのものを残したまま／無言で／／どんなに小さなものについても／語り尽くすことはできない／沈黙の中身は／すべて言葉／／金色に輝く雲の縁／音楽の／誘惑

　第三詩節「どんなに小さなものについても」以下の四行は難解だ。最小のものでさえ語り尽くすことのできない｢言葉｣が「沈黙」の中身を埋め尽くしている、とはどういう意味か。さらに、これに続く、いささか唐突とも思われる「音楽」の意味とは。谷川俊太郎の盟友だった武満徹からの影響が垣間見えるようにも思われるのだが、ここではひとまず問題提起にとどめておこう。

　どうやらここには、「言葉」と「沈黙」と「音楽」をめぐる複雑な両義性が、というより鼎義性（いま思いついた造語）が秘められているようだ。以後、繰り返し探求され敷衍され深化される、谷川詩学のトライアングルが、詩集『旅』において提出されたのである。未だ解き明かせぬ不可避のアポリアとして。

（１０）うつむく青年

（山梨シルクセンター出版部 1971）

　各種の依頼に応じた詩三九篇で一部歌詞も含む。後の「集英社系」の先駆でもある（山梨シルクセンター出版部は後のサンリオ）。ポップでライトな作風の中に新奇な輝きを滲ませているのが特長といえる。名作「生きる」や「東京バラード」など、後に二次使用三次使用される人気作を含む、詩人不惑の年の一冊だ。最初に表題作を挙げておく。

うつむいて／うつむくことで／君は私に問いかける／私が何に命を賭けているかを／よれよれのレインコートと／ポケットからはみ出したカレーパンと／まっすぐな矢のような魂と／それしか持ってない者の烈しさで／それしか持とうとしない者の気軽さで／／うつむいて／うつむくことで／君は自分を主張する／君が何に命を賭けているかを／そる必要もないまばらな不精ひげと／子どものように細く汚れた首すじと／鉛よりも重い現在と／そんな形に自分で自分を追いつめて／そんな夢に自分で自分を組織して／／うつむけば／うつむくことで／君は私に否という／否という君の言葉は聞こえないが／否という君の存在は私に見える／うつむいて／うつむくことで／君は生へと一歩踏み出す／初夏の陽はけやきの老樹に射していて／初夏の陽は君の頬にも射していて／君はそれに否とはいわない

　若者への呼びかけのスタイルには、一九六〇年代後半における団塊世代による学生運動とその挫折、といった同時代的トピックを念頭においてのものと想像される。自身より二〇歳ほど若い世代への共鳴をこめたエールと呼んでもいい。決して豊かではないし未来への希望に燃えているわけでもない「うつむく青年」は、それでも「うつむくことで」「生へと一歩踏み出す」。この磊落なようでいて悲壮でもある青年像は、私自身にも見覚えがある気がする。内向的でシャイで真摯で不安定な当時の（例えばドラマ「若者たち」に登場したような）青年像である。詩人の眼差はそうした青年たちにどこまでも優しく温かい。

　次に挙げる「生きる」は、後に幾度となく様々な局面で引用され朗読されることになる、谷川作品中でも有数の「ヒット作」である。テレビドラマの中で朗読され、写真詩集として再活用され、ＳＮＳのサイトで多くのヴァリエーションを生み出し、最近では東日本大震災の直後に開かれたチャリティ朗読会で女優の南果歩によって朗読された。長いので一部を省略して引用する。

生きているということ／今生きているということ／それはのどがかわくということ／木もれ陽がまぶしいということ／ふっと或るメロディを思い出すということ／くしゃみをすること／あなたと手をつなぐこと（略）生きているということ／いま生きているということ／泣けるということ／笑えるということ／怒れるということ／自由ということ（略）いまどこかで産声があがるということ／まどこかで兵士が傷つくということ／いまぶらんこがゆれているということ／いまいまが過ぎていくこと（略）鳥ははばたくということ／海はとどろくということ／かたつむりははうということ／人は愛するということ／あなたの手のぬくみ／いのちということ

「生きているということ」を繰り返しながら多様なパラダイムに展開していく詩形は、とても分かりやすく親しみやすいものでありながら、飛躍や意外性にも富んでいて、しかもリズミカルなので、まさしく朗読向きの作品といえる。体言止めの多用もあって、きっぱりと前向きにさせてくれる名作だ。

（１１）ことばあそびうた

（福音館書店、1973）

　ついに始まった過激な言語実験。意味を最小限にしてもっぱら音のみを追求した（一見）ナンセンス詩の集成だ。朗読用には楽しいがその分、脱力感も半端でない。このままサブカルチャーの人になってしまうのか、と現代詩ファンを不安に陥れた一冊。

　　かっぱ

かっぱかっぱらった

かっぱらっぱかっぱらった

とってちてた

かっぱなっぱかった

かっぱなっぱいっぱかった

かってきってくった

　この自作朗読を、私は二十歳の時に大阪心斎橋パルコで聴いた。若き吉増剛造や諏訪優らのロックな朗読を聴いた後だった。それ以前から、「ピーナッツ」の翻訳などサブカルチャー方面での詩人の活動もある程度は知っていたが、まさかこのような場で（現代詩の朗読会で）このような詩が朗読されるとは想像していなかった。

　いま考えれば、意味表現(シニフィアン)を最大限に活かして意味内容(シニフィエ)を最小限に抑える、実験的野心作（その逆が二年後の『定義』）だったわけだが、その当時はただの言葉遊びとしか思われなかった。このまま「現代詩」の方には戻って来なくなるのかと、落胆したのを覚えている。

　あらためて読み直してみると、『ことばあそびうた』では各篇ごとに明確な目的意識が貫かれていることがよくわかる。前掲の「かっぱ」などは促音便による新しい日本語のリズムを探究したもので、例えば中原中也の「汚れっちまった悲しみに」にも通じるものだ。また、「ばか」などは、同じく促音便の多用に加えて、濁点の有無による意味のずれを極端に強調した実験作だ。

はかかった／ばかはかかった／たかかった／／はかかんだ／ばかはかかんだ／かたかった／／はがかけた／ばかはがかけた／がったがた／／はかなんで／ばかはかなくなった／なんまいだ

　うまいものだと思う。まるで新作落語のように、オチまでちゃんとつけているのだから。

　最後に名作「いるか」を挙げておこう。

いるかいるか

いないかいるか

いないいないいるか　　　　　　

いつならいるか　

よるならいるか

またきてみるか

いるかいないか

いないかいるか　　　　　

いるいるいるか

いっぱいいるか

ねているいるか

ゆめみているか

「イルカ」と「居るか」の掛詞を活用した作品だが、それだけではない。前半の〈不在〉と後半の〈実在〉の呼応は、前者の寂寥感と後者の飽和感を対位法的に可視化し、しかも最後の「ゆめみているか」はメルヘン的と呼んで差し支えない穏やかな抒情を醸し出している。以降の抒情的作品群への先駆けとしても重要な位置にある詩集だ。