新連載 谷川俊太郎全《詩集》を読む（序）
（「びーぐる」第４２号）
山田兼士
本連載は谷川俊太郎のこれまでの全《詩集》を刊行順に（ただし２だけは例外的に書かれた時期による）紹介していこうという企画である。「全詩」ではなく「全《詩集》」であることに留意いただきたい。著者としては、各詩集をできるだけ新鮮な視点から、例えば新刊詩集のレビューのようなつもりで、鑑賞していきたいと思う。
谷川俊太郎が刊行してきた詩集は、一九五二年の『二十億光年の孤独』から二〇一八年の『バウムクーヘン』まで、ほぼ七十冊にのぼる。この数字は、アンソロジーや文庫本、二次使用などをのぞいたオリジナル単行本詩集の数である。したがって、全詩集や文庫版詩集の類に加えられた書き下ろし新作は含まない。ただし、以下の（12）のように、アンソロジーではあるが書き下ろし一章分が新詩集一冊分にあたると判断した場合や、(61)のようにリミックス詩集でありながら新作を含み新たな意匠をまとわせたものもある。また、「対詩」二冊を含むが「連詩」は含まないなど、個人的判断が多少入り込まざるを得ないことを断っておく。歌詞集についても同様に、《詩集》と判断したものについては加えている。以下に記すのが、私なりの判断による七十冊の全《詩集》である。
（１）二十億光年の孤独（創元社1952）
（２）十八歳（東京書籍1993）
（３）六十二のソネット（創元社1953）
（４）愛について（創元社1955）
（５）絵本（的場書房1956）
（６）あなたに 1960（東京創元社1960）
（７）２１（思潮社、1962）
（８）落首九十九（朝日新聞社1964）
（９）旅（求龍堂1968）
（10）うつむく青年（山梨シルクセンター出版部1971）
（11）ことばあそびうた（福音館書店、1973）
（12）祈らなくていいのか（角川書店谷川俊太郎詩集1972所収）
（13）空に小鳥がいなくなった日（サンリオ1974）
（14）夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった（青土社1975）
（15）定義（思潮社1975）
（16）誰も知らない（国土社1976） （17）由利の歌（すばる書房1977）
（18）タラマイカ偽書残闕（書肆山田1978）（19）そのほかに（集英社1979）
（20）コカコーラ・レッスン（思潮社1980）
（21）ことばあそびうた また（福音館書店1981）
（22）わらべうた（集英社1981）
（23）わらべうた続（集英社1982）
（24）みみをすます（福音館書店1982）
（25）日々の地図（集英社1982）
（26）どきん（理論社1983）
（27）対詩（書肆山田1983）
（28）スーパーマンその他大勢（グラフィック社1983）
（29）手紙（集英社1984）
（30）日本語のカタログ（思潮社1984）
（31）詩めくり（マドラ出版1984）
（32）よしなしうた（青土社1985）
（33）いちねんせい（小学館1988）
（34）はだか（筑摩書房1988）
（35）メランコリーの川下り（思潮社1988）
（36）かぼちゃごよみ（福音館書店1990）
（37）魂のいちばんおいしいところ（サンリオ1990）
（38）女に（マガジンハウス1991）
（39）詩を贈ろうとすることは（集英社1991）
（40）子どもの肖像（紀伊國屋書店1993）
（41）世間知ラズ（思潮社1993）
（42）ふじさんとおひさま（童話社1994）
（43）モーツァルトを聴く人（新潮社1995）
（44）真っ白でいるよりも（集英社1995）
（45）クレーの絵本（講談社1995）
（46）やさしさは愛じゃない（幻冬舎1996）
（47）みんなやわらかい（大日本図書1999）
（48）クレーの天使（講談社2000）
（49）minimal（思潮社2002）
（50）夜のミッキー・マウス（新潮社2003）
（51）シャガールと木の葉（集英社2005）
（52）すき（理論社2006）
（53）すこやかに おだやかに しなやかに（佼成出版社2006）
（54）歌の本（講談社2006）
（55）私（思潮社2007）
（56）ひとりひとりすっくと立って（澪標2008）
（57）子どもたちの遺言（佼成出版社2009）
（58）トロムソコラージュ（新潮社2009）
（59）詩の本（集英社2009）
（60）mamma
まんま（徳間書店2011）
（61）東京バラード、それから（幻戯書房2011）
（62）写真（晶文社2013）
（63）ミライノコドモ（岩波書店2013）
（64）こころ（朝日新聞出版2013）
（65）ごめんね（ナナロク社2014）
（66）おやすみ神たち（ナナロク社2014）
（67）詩に就いて（思潮社2015）
（68）あたしとあなた（ナナロク社2015）
（69）対詩 ２馬力（ナナロク社2017）
（70）バウムクーヘン（ナナロク社2018）
長らく、本格的に論じられることが比較的少なかった谷川作品だが、この十年ほどで状況はかなり変化した。北川透、田原、四元康祐らによる谷川論に加えて、私自身『谷川俊太郎の詩学』（思潮社2010）をはじめ少なからぬ分量の谷川論を発表してきた。だが、あまりに広大な谷川宇宙を十分に精査したとはとても言い難い現状だ。特に、一冊ごとの作品論については未だ氷山の一角にしか触れていない。本連載では、各詩集をできる限り精査し、要点をまとめることで、谷川作品の全体像を、少なくともその輪郭ぐらいは描き出したいと考えている。毎号二～四冊ほどのペースで進めていくので、完成まで五年ほどかかると思うが、途中でペースが上がるかもしれないし、逆に下がるかもしれない。
実は「谷川俊太郎全《詩集》を読む」の企画は、私自身初めてではない。大阪芸術大学文芸学科の学生たちによる「谷川俊太郎全詩集ブックレビュー」を二冊の単行本『谷川俊太郎《詩》を読む』澪標2004『谷川俊太郎《詩の半世紀》を読む2005（共に谷川俊太郎・田原・山田兼士他著）に分けて収録している。二年間に渡ってゼミ生たちを指導して実現した企画である。この時点で全《詩集》は五十一冊だった。この十三年の間に新刊詩集が二十冊ほど加わったわけだ。ということは、本連載中にさらに数冊は加わることが予想される。ともあれ、粘り強く最後まで書ききるつもりだ。
今回は学生たちとの共同作業でなく単独の執筆になるわけだが、大学の授業では、この二年ほど、「谷川俊太郎全《詩集》を読む」と称する講読演習（二年次）を担当している。この授業は次年度も続ける予定なので、その意味では、今回の企画もまた、学生たちとの共同作業といえなくもない。
谷川俊太郎全《詩集》を読む（１）
『二十億光年の孤独』（創元社1952）
高校卒業後の息子の行く末を案じた父谷川徹三が、息子のノートに記された詩を三好達治に読ませたことから詩集刊行に至った経緯は、谷川俊太郎自身によって何度か語られている。詩集巻頭に収められた三好達治の「はるかな国から―—序にかえて」がすでに、この詩人の〈異邦人〉性を、更に詩集表題作が〈宇宙的〉孤独のイメージを決定づけたといっていい。この前年、谷川の盟友北川幸比古が、同じく谷川徹三の推挙によって、堀口大学の「序」を冠した第一詩集『草色の歌』を刊行しており、巻末には谷川俊太郎による「跋」が収録されていたことも、この際想起しておきたい。青春期における両詩人の相互影響は今後の研究テーマの一つになり得るだろう。
詩集「あとがき」には三好達治への謝辞と共に「一九四九年冬から一九五一年春頃までの作品から選んだ」と記されているので、ほぼ十八歳から十九歳までの作であることが分かる（刊行は二十歳時）。巻頭作品「生長」を見ておこう。
三才／私に過去はなかつた／／五才／私の過去は昨日まで／／七才／私の過去はちよんまげまで／／十一才／私の過去は恐竜まで／／十四才／私の過去は教科書どおり／／十六才／私は過去の無限をこわごわみつめ／／十八才／私は時の何かを知らない
「成長」ではなく「生長」という表記に、自然と交感し宇宙と共鳴する詩人の瑞々しい意志が込められている。十六歳までの「過去」の加速度的増殖の認識と、その先にある現在の不可知性への怯えをさりげなく綴った、未だ少年と呼ぶべき魂の自画像だ。
鮮烈にして清新な第一詩集にはすでに、モダニズム、イマジズム、シュルレアリスム等、以後の谷川作品を特徴付けていくあらゆる要素の芽生えと、短詩、長詩、組詩、散文詩等あらゆる手法が確認できる。表題作の他に、隣家の犬の死をテーマにして青春の生命力を謳歌した「ネロ」や、ほぼ無意識裡に書かれたために幾通りもの解釈を促さずにおかない「かなしみ」などが際立っているが、ここでは、後に谷川作品の一ジャンルになる総ひらがな詩「はる」を引用しておく。
はなをこえて
しろいくもが
くもをこえて
ふかいそらが
はなをこえ
くもをこえ
そらをこえ
わたしはいつまでものぼつてゆける
はるのひととき
わたしはかみさまと
しずかなはなしをした
どこまでも上昇し神様と「しずかなはなし」をするほどの高揚感は、青春の意欲と自信の表れだろうか。それとも俗世における孤独と不安の裏返しだろうか。総ひらがなの表記が、大人になる直前の詩人の魂の揺れ震えを示唆しているように思われてならない。
戦後七年という荒地に突然現れた、百花繚乱と呼ぶべき孤独の園は、すでに遠い未来を暗示しているかのようだ。
谷川俊太郎全《詩集》を読む（２）
『十八歳』（東京書籍1993）
表題通り十八歳時の頃の作品群で、『二十億光年の孤独』に収録されなかった六十三篇。いわゆる拾遺詩集だが、『二十億光年』の姉妹作と呼ぶべき作品群で、素朴で繊細、かつ瑞々しい少年の息づかいが凝縮した一冊であることに変わりはない。巻末近くに置かれた「夢」を引用する。
夜
古い記憶が
僕の夢を織った
それで夢は深い所へおちて行った
ながい間
雨は降り続き
小さな蹉跌にも
僕はやさしい言葉をもとめている
短いながらモンタージュ風のイメージ連鎖が鮮烈な作品だ。四行目における突然の切り返し、長雨から蹉跌、言葉へと連なるパラダイムの鮮やかさ、長短の行を使い分ける独自のリズム、と、モダニズム風の短詩の魅力が凝縮した一篇といえるだろう。
谷川さんは初期作品を振り返って、岩佐東一郎の影響をしばしば口に出しているが、たとえば、『十八歳』巻末作品「葉書」――
謹啓／五月の午前はうす色のネクタイであって／僕もそれをしめたからには／もう夜を忘れねばならない／しかし僕には熱があるので／五月の海を飲めぬ／そこで僕は五月の雲をよく噛んで食べた
――これを岩佐東一郎の代表作の一つである｢初夏」と比べてみよう。
明るい正午の光線が／青葉の庭を水族館にした／／さしづめ子供たちは目高で／女房は針魚 山椒魚は僕かな／／思ひ思ひのパンセの泡を立てて／ひつそりと然も賑やかに居る／／樹上の植木屋の木鋏が／ちかりちかりと時刻を切る／／いつか眠りかけた僕の瞳は／青空に大きな軍艦を描いた
（詩集『春秋』一九四一年、所収）
岩佐作品と谷川作品との間がわずか十年ほどであることに、あらためて驚かずにはいられない。五月の日差しの磊落な表現、その情景を喩える岩佐の「水族館」と谷川の「五月の海」、それに淡々とした口調で表される乾いた抒情に、両者の類縁性は明らかだ。ただ、谷川詩の最終行が、岩佐詩にない新奇な身体性を示していることには注目すべきだろう。詩集中には、時に情念の空回り的な（若さゆえの）性急な詩篇もあるが、時代を考えればこの健全さは驚きだ。
本詩集は、執筆時から四十年以上を経て、一九九三年に刊行された。『世間知ラズ』のわずか一ヶ月前である。日常生活の上でも作品創造の上でも、ある種の閉塞感や疑念が著しく強まった時期で、この後、詩人はいわゆる「沈黙の十年」に入っていく。
この点を考えると、最初詩作ノートに書き写され本詩集巻末に置かれた宮澤賢治｢銀河鉄道の夜｣の一節、「何かいろいろのものが一ぺんにジョバンニの胸に集って／何とも云へずかなしいやうな新らしいやうな気がするのでした」（初期形にのみ表れて後期形では書き換えられたことが後に判明）が重要な意味を帯びてくる。還暦を過ぎてなお、詩人の内面に住み着いている少年性を確認するための出版だったことが想像されるのだ。