八重洋一郎の本気 詩集『血債の言葉は何度でも甦る』について
（「イリプス2nd」３３号）
山田兼士
八重洋一郎の新詩集『血債の言葉は何度でも甦る』（コールサック社、以下『血債』と略す）では、前作『日毒』において日本および日本人の戦争責任を激しく弾劾した詩人が、戦後日本の矛盾と欺瞞をさらなるターゲットとし、自身および親族の戦争体験をより直截な言葉で表現した。技巧や修辞を越えた生の声が、現在なお存続する戦後体制の悪を糾弾してやまない。その意味で、この一冊はきわめて切実な詩人の願いの表明であるとともに、現代社会に対する根底からの批判の書でもある。
これが十一冊目になる八重洋一郎の詩集は、いずれも、南国の熱い空気と鮮やかな光に包まれた独自の抒情に溢れたイメージに特徴があるのだが、その背景には常に、暗く重い歴史の残滓が漂っている。その複雑な抒情のピークを成すのは第四詩集『夕方村』（二〇〇一年）と第五詩集『しらはえ』（二〇〇五年）だと私は考えているが、その後、批評、エッセイを混じえながら試行錯誤を繰り返した後に、彼自身の生の必然を正面に押し出した詩集が前作『日毒』（二〇一七年）だった。したがって、本作『血債』を読み解くためには、まず、前作の主題から検討しなければならない。表題作「日毒」を全文引用する。
ある小さなグループでひそかにささやかれていた
言葉
たった一言で全てを表象する物凄い言葉
ひとはせっぱつまれば いや 己れの意志を確実に
相手に伝えようと思えば
思いがけなく いやいや身体のずっとずっと深くから
そのものズバリである言葉を吐き出す
「日毒」
己れの位置を正確に測り対象の正体を底まで見破り一語で表す
これぞ シンボル
慶長の薩摩の進入時にはさすがになかったが
明治の
琉球処分の前後からは確実にひそかにひそかに
ささやかれていた
言葉 私は
高祖父の書簡でそれを発見する そして
曽祖父の書簡でまたそれを発見する
大東亜戦争 太平洋戦争
三百万の日本人を死に追いやり
二千万のアジア人をなぶり殺し それを
みな忘れるという
意志 意識的記憶喪失
そのおぞましさ えげつなさ そのどす黒い
狂気の恐怖 そして私は
確認する
まさしくこれこそ今の日本の闇黒をまるごと表象する一語
「日毒」
詩集『日毒』は、「琉球処分」以来繰り返されてきた暴虐をモチーフとし、詩人自身の高祖父と曽祖父が受けた虐待をリアルに描いているが、それ以上に、詩人の憤りは日本人の「意識的記憶喪失」に対して深く楔を打ち込もうとする。詩集『血債』において、最も本質的かつ根源的な憤り＝願いは、たとえば次のような詩句に結晶している。
日本国よ 汝がこれまで意識的無意識的に暗躍してきた全ての歴史問題に
真正面から答えねばならない さもなくば 汝の胸には永遠にグサリと刃が刺さるだろう
空洞の底から見えない魂が繁殖し
増殖し
血債の言葉は何度でも甦る 何度でも甦る
（「血債の言葉は何度でも甦る」末尾）
魯迅の言葉に由来する「血債」とは、「必ず同一物で返済されなければ
ならない」唯一無二の《真実》の喩として、この上なく強い響きと重い意味を担った言葉だ。その文脈上においてしか「日毒」の解毒はあり得ない。だが、もし仮に、そのような「血債」による「日毒」の浄化が可能だとすれば、そこにはどんな無何有郷があり得るのだろうか。
最大限にまでリアルでストレートな、言い換えれば詩的虚飾をすべて脱色し、生の叫びを重視した本詩集にあって、「おとぎ話」は、詩人本来の想像世界を美しく描き出した絶唱と呼ぶべき作品だ。
ある国にとてつもない広い深い湖があって
その国を全部入れてもまだまだ広い まだまだ深い
その底には底がなく その果てには果てがない
その不思議な湖の中の少し尖った小さな島から
晴れた夜空を見上げると
白い銀河が立ちのぼり 流れ星がスーッと横に
ひとすじ ふたすじ銀色糸をなびかせて
その後ろには黒い闇
もっと奥にも黒い闇 もっともっと奥に
渦巻き銀河がしずかにしずかに渦を巻き そのはるかな遠いひかりが
少しづつ少しづつ その湖へと射してくる （冒頭部分）
数学的明知と建築的明朗に満ちたこのような詩空間こそが、詩人本来の住処であるはずだ。その実現のためにこそ、果てない「血債」の繰り返しが必要なのである。