和歌の浦幻想（「交野が原」８２号）　　　　　　　　　　

山田兼士

　　若の浦に潮満ち来れば潟を無み

葦辺をさして鶴鳴き渡る（山部赤人）

わかやまの旅は初めに紀三井寺を

かの文左衛門が上った結縁坂を

のぼりきった場所からは和歌の浦が

うみとも思えぬおだやかな入江が

らむね色に輝いていた　冬の午後

にしび射す方向に歩くこと三十分ほど

しおの香の漂う海辺に到着し

ほそながいかたをなみの砂州を歩き

みちしおがかたをなくす時刻

ちの色に海を染めて夕陽が沈んでいく

くれなずむ空に鶴が鳴き渡るような気がした

れきしの闇に目を凝らせば潟は

ばかに大きく今の数倍も広がっていた

かつては島だった　今は地続きだが

たまつしま神社へと舟人が都の歌人たち

を　運んだのだろう　この歌の聖地に

なみしずかな海のほとりに　今もまた

みずしらずの歌人たちが行き交っていた

あかひとの歌碑に目を留め　私たちも

しおかぜに濡れた鳥居をくぐり本殿の方

へと　歩をすすめ　万葉歌人のこころ

を　推し量ろうと念をこめ祈ったあと

さりがたい思いに捉えられながら

しずかに目を閉じたら　ふと感じたのだ

てにとるようにあざやかにその音を

たづ鳴き渡る羽音　いっせいに羽ばたくその音　

づづっ　づづっ　と低くひびいたかと思うと

なくさ山の紀三井寺から聞こえる鐘の音と

きみの悪いほど調和し　共鳴し　広がり

わかのうら全体を覆い尽くすほどに

たからかに鳴り渡り　神社の鳥居あたりで

るるるる　と凝り固まったのだ　赤人の声になって