書評　冨上芳秀『真言の座』（詩遊社）

幻影のリアリズム

（「詩的現代（第二次）」第８号）

山田兼士

　冨上芳秀の第八詩集『真言の座』はいずれも一ページに収まる短篇散文詩九篇ずつ全九章計八十一篇から成っている。おもに冨上が以前から得意とする幻想譚的な作品だが、時折驚くほど斬新なイメージが現われて瞠目する。特に、短いものほど凝縮力の高い作品になっているようだ。稲垣足穂をいくぶん土俗的にした感じ、と言えばいいだろうか。フォークロワ的アレゴリーあるいは創作民話とでもいった趣きの作品群である。短い作品を全文引用しよう。

霧に包まれた遠い異国の街では、夕方になると長い火付け棒を持った人が、瓦斯灯にひとつひとつ点火していく。そのたびに青い瓦斯が燃え始め、街が明るく楽しそうに輝き始める。誰も知らないけれど、私たちの住む街にも長い火付け棒を持った人がいて、ひとりひとりの胸に愛の火を点していく。すると人々の心に赤い炎が燃え始め、街は花に包まれたようにやさしく輝き始める。　　　　火を点す人

　このように、作品名は、各章の巻頭作をのぞいて、本文の末尾にゴシックで記されている。つい先にタイトルを読んでしまいたくなるが、作者としてはタイトルを最後に知ってもらいたいとの意図をこめてのことだろう。

　右に引用した作品は、全体の中で最もストーリー性の弱いメルヘン風のものだが、それだけに作者の根源的欲望とでもいった〈本音〉がよく示されている。まず「遠い異国」という異界への憧れが示され、次にノスタルジックな瓦斯灯の幻像が表れ（これを懐かしいと思う感性はそれ自体が「異国」風のものだろう）、続いて「私たちの街」という現実にそのイメージが重ねられ、最後にそれが心の内面であることが記される。要約するなら、異界―幻像―現実―内面の順で、異界／現実と外面／内面の重ね合わせが、最小限の長さの中で行われているのである。これが本作品集の基本構造だ。

　もちろん、全八十一篇がすべてこのような構造をもつと言いたいわけではない。逆に、それこそ多様性そのものであるかのように、順番も展開も色合いもそれぞれに異なった作品が次々と繰り出されるのが、本詩集の最大の特徴なのである。

流刑された東海でエビスはひとりで「自由」を釣っていた。海から跳びはねる「自由」は金色に輝く大きな魚体をくねらせて空の青から海の青に潜る。エビスは常世の国を目指して孤舟を操っている。ぬばたまの闇夜を走り常世を越えて和多都美の海に浮かぶ鳥居を抜ける。久方の光の中に浮かび出でて漂着したエビスは敷島の大和の国の国原にひとはしらの神となった。　　　　　　　　　　　　エビス

『古事記』の現代語訳を思わせる簡潔な創作神話で（あるいは『古事記』のパロディを意識して書かれたのかもしれない）、あっけらかんとした古代的なおおらかさが詩的ダイナミズムを醸し出している。唯一古代的でないのは「自由」という抽象概念だろう。エビスと言えば誰でも鯛を思い浮かべるので、その鯛のイメージを明示せずに「自由」と呼ぶことで、いわば逆倒した隠喩効果が生じている。逆説的なメタファーと呼べばいいだろうか。さらに、常世、和多都美、久方、敷島、国原と、古代的イメージを畳み込むことで神話空間のパロディを作り出している。これは並大抵の技術ではない。

　だが、作品「エビス」は、一見現実とかけ離れた神話世界を技巧的に描いているように見えながら、実は詩人にとっての現実そのものと重なり合っていることに注意しなければならない。さきほど挙げた基本構造に重ねてみるなら、流刑地である「東海」という異界、まぼろしの「自由」という幻像、舟を操って常世の国を目指すという（エビスにとっての）現実、「ひとはしらの神に」なるという内面世界の確立、というプロットがちゃんと踏まえられているのだ。そう読めば、異界／現実と外面／内面の重ね合わせという冨上作品の詩学は、イメージの多様性の背後で方法の一貫性という特徴を保持していることが分かる。紙幅の都合で短い作品の引用しかできないが、もう一つ紹介しておく。

白川を渡りましたがよく眠っておりましたのでどんな川かは知りません。白川を川と思って誤魔化したというのが白川夜船の語源だが、私は眠っている間にいつも白川の畔の家のことを夢にみるのであった。そこで、私は一人の女と夫婦であった。私たちには、とてもかわいい一人娘がいた。十九歳になった時、娘が死んだ。目が覚めると妻が娘が死んだのは私のせいだと言って責めた。私は白川夜船で眠っていたので何のことかよくわからないと言い訳をするのであった。　　　　　　　　　　　　　　　白川夜船

　ここにも、白川夜船という寓意＝異界、家の夢という幻像、その家での現実の生活、白川夜船にことよせて自身を納得させる内面の葛藤が素早いタッチで描出されている。「言い訳」というのはそれ自体が言い訳＝判断停止(エポケー)にほかならない。この一見素朴で磊落な言い回しの中に、実は激しい葛藤と深い認識が込められていることは、詩集全体を貫く基本構造に当てはめてみれば明らかだろう。ここに透視すべきなのは、異界への憧れを促す幻像と、苦い現実による内面の深化との総和から成る、幻影のリアリズムの詩学である。