谷川俊太郎の詩論詩 「櫂」から現在まで
（「るる」第４号、２０１７年６月）
山田兼士
１ はじめに
最近、最新詩集『詩に就いて』（二〇一五年）刊行を機に、谷川俊太郎の「詩論詩」について考えてみた。時を同じくして、北川透さんから現代詩研究会での発表を促され、その際に、詩誌「櫂」をモチーフとすることを示唆された。「櫂」は一九五三年五月刊行、谷川さんは第二号（同年七月）から参加し、作品「夢」と「雲」を掲載している（後『六十二のソネット』に収録）。二つとも瑞々しい恋愛詩である。
詩集『六十二のソネット』は一九五三年十二月刊行。一九五二年四月から五三年八月までの間に書かれたので、右二篇のみが「櫂」掲載作となる。
第一次「櫂」は一九五五年四月に第十一号を出して五七年に解散式を行い、一九六五年十二月復刊（第十二号）以後は第二次となる。本稿ではこのうち「第一次」（一九五三―五五年）のみを取り上げる。
第一次「櫂」が谷川俊太郎に与えた影響について列挙すると、まず、他者を発見し仲間を意識するようになったこと、次に、詩劇の試みによって作品に劇的要素を取り入れるようになったこと、最後に、当時すでに気鋭の評論家でもあった大岡信と終生にわたる交友をもつようになったこと、この三点に要約できるだろうか（岸田衿子との出会いはそれより以前のこと）。二人の対談は谷川作品を世に理解させるのに大いに寄与したし、初期の谷川俊太郎論を書いた大岡の功績は大きい。第二次「櫂」における連詩の功績も見逃せない。大岡信詩アンソロジー『丘のうなじ』を谷川さんが編集出版（童話屋、二〇一五年六月）したことはまだ記憶に新しいところだ。
以上のように、「櫂」と谷川俊太郎についてはいくつかの論点から多角的なアプローチができそうだが、今回は、特に批評性ということに注目し（これも大岡信との相互作用が重要なポイントになるが今回は割愛）、私の文脈では「詩論詩」というキーワードに即して話を進めていきたい。
２ 詩集『六十二のソネット』から『愛について』へ
第三詩集『愛について』（一九五四年十月）の執筆時期は、ほぼ「櫂」時代と重なる。実は今回『詩に就いて』が出た時にかすかなデジャヴュを感じた。どこかで聴いた響きだ、と。先に仮説的なことを述べるなら、「詩に就いて」とは「愛について」への六十年後からの応答ではないのか。「愛」と「詩」は、谷川さんの中でほぼ同義なのではないか、と。詩論詩の開始も実は『愛について』にあって、その後長い詩人人生の中で常にライトモチーフであり続けてきたものだ。
谷川俊太郎の第一詩集『二十億光年の孤独』（一九五二年）は｢歌｣を意識した瑞々しい抒情詩集と呼ぶべきで、天然詩人の天衣無縫の自由闊達さが身上と見られる。ここでは未だ「詩とはなにか」という疑問は見られない。これに対して『六十二のソネット』には、直接的でないにせよ、「歌」への疑念、「言葉」への疑念のモチーフが早くも現れている。「詩論詩」の萌芽と呼んでいい。
５７
私が歌うと
世界は歌の中で傷つく
私は世界を歌わせようと試みる
だが世界は黙っている
言葉たちは
いつも哀れな迷子なのだ
とんぼのようにかれらはものの上にとまっていて
夥しい沈黙にかこまれながらふるえている
かれらはものの中に逃げようとする
だが言葉たちは
世界を愛することが出来ない
かれらは私を呪いながら
星空に奪われて死んでしまう
──私はかれらの骸を売る
（『六十二のソネット』一九五三）
｢歌」論であり「言葉」論でもあるこのソネットが、初期谷川俊太郎の「詩への疑念」の最初の告白だ。「言葉たち」の「骸」としての詩を詩人は「売る」という。その自己嫌悪を含む詩論が長く詩人の倫理を支え続けた。この疑念はまた、詩人の批評精神を駆り立てて「詩とは何か」の探究が始まる、というのはいささか図式的だが、ひとまずそう考えておく。
私の言葉 ３
あなたの意見は正しい
あなたの意見は正しくない
その少女の鼻は美しい
その少女の鼻は美しくない
四月の風は快い
四月の風は快くない
私の愛しているいない
私の疲れているいない
私の言葉は誰のもの？
私の言葉は空のもの
愛するひとのもの紋白蝶のもの
あなたのズボンのものあなたのズボンの縫目のもの
私の言葉は呼ばれたもののためにある
私の言葉は私のためのうそ
私の言葉は街角の赤いポストのもの
泥だらけの鰐のもの
私のドイツ製の鉛筆のもの
あなたのもの
私のうそのとどく限りのすべてのもの
（『愛について』より）
肯定と否定を対にして繰り返すこの詩句を谷川的（詩的）弁証法、と呼んでいいだろう。この場合、語り手である「私」とは実は他者（例えば恋人）ではないだろうか。「あなたのズボン」は誰のズボン？ 女性一人称への憑依、という話法を後で再度取り上げるので、ここで覚えておいてほしい。「私の言葉は私のためのうそ」という断言が、谷川さんの初期「詩論詩」のテーゼとなった。詩集『愛について』には、他にも、後の谷川作品の批評性を考える上で重要なモチーフがいくつもあるが、今回はその端緒のみの指摘に止めよう。
３ 詩集『２１』から『旅』へ
谷川俊太郎が「初めて現代詩人として認められた」と振り返る詩集『２１』は一九六二年思潮社刊。行分け詩、散文詩、亜散文詩を取り混ぜた実験的な作品群だが、これについては過去に詳しく論じたことがあるので（『谷川俊太郎の詩学』思潮社、二〇一〇年）、今回は割愛する。当然、実験的詩集である『２１』には詩論詩も含まれている。田村隆一を思わせる「詩男」や、自身の戯画「黄色い詩人」などは詩人論としても傑作と言えよう。
次いで、最初詩画集として出た『旅』（一九六八年）は、後に様々な形態で出版されて、今日では代表作の一つとなっている。有名な「本当のことを云おうか／詩人のふりはしてるが／私は詩人ではない」（「鳥羽 １」）を含む「亜ソネット」群である。形式の上でも内容の上でも、『六十二のソネット』の「問い」に対する「答」として制作されたのではないか、と私は考えている。その詩論詩の代表作は次のもの。
旅 ７
岩が空と釣り合っている
詩がある
私には書けない
沈黙を推敲し
言葉に至る道は無い
言葉を推敲し
この沈黙に至ろう
樹の形して
樹は風に鳴っている
それはどこの風景でもいい
見える通りに感ずるなら
すべては美しく輝くだろう
見える通りに書けるなら
時はとどまるだろう
（『旅』より）
この詩については、最近「現代詩手帖」二〇一五年九月号に書いた文章があるので、そこから引用する。
「詩」にとって重要なのは「言葉」よりむしろ「沈黙」である、というのは谷川さんの一貫した主張だ。岩と空の微妙な構図の中に「詩」は確かにあるのだが詩人はその「詩」を書くことができない。あたかも、「詩」とは書くことの不可能性のうちにこそある、と言っているかのようだ。だから「詩」を書く行為とは、「言葉を推敲」することで「沈黙」に至る行為にほかならない。
この姿勢は今回の新詩集においても変わらず貫かれていると言えるのだが、異なる点は、その「沈黙」がさまざまに敷衍されることで、詩集全体がいわば谷川詩学の集大成となっていることにある。例えばその敷衍の一つは次のようなものだ。
チェーホフの短編集が
テラスの白木の卓上に載っている
そこになにやらうっすら漂っているもの
どうやら詩の靄らしい
妙な話だ
チェーホフは散文を書いているのに
（「隙間」冒頭部分）
「詩の靄」とは、なんとも素敵なパラフレーズではないだろうか。「妙な話だ」などと、とぼけてみせるサービスにも欠けていないのは、深遠な問題を軽妙に示してみせる――おもに〈こどもの詩〉で培ってきた――いつもの谷川流だ。私自身、チェーホフの短編に「詩」を感じたことはあるが、｢詩の靄｣などと思ったことは一度もない。それが、そう言われてしまうとすんなり受け入れられてしまうから不思議だ。これと同質のイメージは新詩集のいたるところに見出される。全三十六篇のすべてに「詩」という言葉が使われ、それらがことごとく「沈黙」のパラフレーズになっているのである。
（「「詩に就いて」の詩に就いて」より）
４ 詩集『minimal』から『ことば』へ
『旅』の後、一九七〇年代から九〇年代まで、谷川俊太郎はあらゆる言語実験による詩の更新を図り続けた。ざっと挙げるだけでも、一九七三年『ことばあそびうた』一九七五年『定義』一九七八年『タラマイカ偽書残闕』一九八二年『みみをすます』一九八四年『日本語のカタログ』一九八八年『メランコリーの川下り』そして一九九三年『世間知ラズ』（このあたりのことは北川透『谷川俊太郎の世界』思潮社、二〇〇五年、に詳しく論じられている）。この後、いわゆる「十年の沈黙」に入るわけだが、その「沈黙」の中にあっても実は一九九五年『モーツァルトを聴く人』二〇〇〇年『クレーの天使』など作品はかなり多い。
いわゆる「思潮社系」の詩集として「十年ぶり」となったのが詩集『minimal』（二〇〇二年）だ。これが出た時のことは、当時毎年行われた大阪芸術大学での特別講義（九年間続いた）のこともあって、よく覚えている。谷川さんが飛行機の中、高度何千メートルとかで（ひさしぶりに）詩を書いた、というエピソードは田原さんが報告している。その中の一つを引用する。
襤褸
夜明け前に
詩が
来た
むさくるしい
言葉を
まとって
恵むものは
なにもない
恵まれるだけ
綻びから
ちらっと見えた
裸身を
またしても
私の繕う
襤褸
（『minimal』より）
最小限の言葉でみごとに言語論であり詩論であり得ている作品だ。むさくるしい言葉をまとって「ちらっと」裸身＝本体を見せる「詩」は恩寵以外のなにものでもない。もちろんこの場合の「詩」とは「ポエム」ではなく「ポエジー」のこと。ほんの一瞬垣間見えただけで、詩人はたちまち次の「襤褸」つまり言葉を纏わなければならない。「襤褸」とは「骸」（「ソネット５７」）のパラフレーズでもある。
次に挙げるのは、まだ記憶に新しい詩集『こころ』（二〇一三年）から。朝日新聞連載中に東日本大震災が起こったことでも、谷川作品中特殊な一冊となった。
言葉
何もかも失って
言葉まで失ったが
言葉は壊れなかった
流されなかった
ひとりひとりの心の底で
言葉は発芽する
瓦礫の下の大地から
昔ながらの訛り
走り書きの文字
途切れがちな意味
言い古された言葉が
苦しみゆえに甦る
哀しみゆえに深まる
新たな意味へと
（『こころ』より）
これについても既に書いたものがあるので、その一部を引用させて頂く。
二〇一一年五月に掲載された詩だが、大震災から二ヶ月ほどが経過していくぶん落ち着きを取り戻した頃と見ていいだろうか。新聞掲載時に、いつもの冷静さと安定感が戻っている、と感じたことを覚えている。未曾有の大災害にも耐えて「新たな意味と／沈黙に裏打ちされ」た言葉が静かに甦る姿に、詩人の深い祈りがこめられた名作である。この詩については、作者自身が連載終了時のインタビュー（朝日新聞二〇一三年三月四日夕刊）に答えて次のように語っている。
大震災について、メディア上でいろんな人がいろんなことをしゃべっていた。そういう言葉と東北の人たちの言葉とは次元が全然違うのがすごく印象的だった。それをテーマに素直に書けたんだけど、その後いろんなところに引用された。こういう時に詩が役に立つとは全然思っていない人間だから驚きました。
メディア上の発言に対する違和感を元に詩を書くのはこの詩人のいつもの方法だ。が、今回はあまりに事件の衝撃が大きかったので、それだけ多くの人々に強い印象を与えた、そのことが作者自身にも意外だった、ということだろう。（「谷川俊太郎２０１３」「PO」一五一号、二〇一三年冬、より）
詩集『こころ』からもう一つ引用する。
問いに答えて
悲しいときに悲しい詩は書けません
涙こらえるだけで精一杯
楽しいときに楽しい詩は書きません
他のことして遊んでいます
詩を書くときの心はおだやか
人里離れた山間のみずうみのよう
喜怒哀楽を湖底にしずめて
静かな波紋をひろげています
〈美〉にひそむ〈真善〉信じて
遠慮がちに言葉を置きます
あなたが読んでくだされば
心が活字の群れを〈詩〉に変える
これについても同じ文章からの自己引用をお許し頂きたい。
おそらく、震災後各所で発せられた問いに対して、自らの立場を表明した作品と見ていいだろう。「喜怒哀楽を湖底にしずめて／静かな波紋をひろげています」とは、簡単なようでいてこの詩人にしか書けない（たとえ書いても説得力を持てない）穏やかな宣言ではないだろうか。
連載中に東日本大震災という大きな事件に遭遇したという偶然も含めて、詩集『こころ』はこの時代における詩人の魂の遍歴という副産物をも含む、重要な一冊になった。もちろん、そのドキュメント性は本詩集の価値のすべてではない。詩人の明晰な精神と深遠な魂がとらえた六十通りの心がかぎりなく明晰なイメージになって念写されたアルバムなのである。（同右）
いま改めて読み直してみると、どんな状況にあっても谷川俊太郎の「詩論詩」は揺るがない、ということが分かる。言葉が襤褸であり骸であることを知り尽くした詩人は、絶えず「おだやか」な心、つまり平常心を保ちつつ、「遠慮がちに言葉を置く」という節操を保つことで「詩＝ポエジー」を立ち上げることを続けて止まない。
５ 詩集『詩に就いて』
大震災を生き延びた「詩」は新詩集『詩に就いて』では次のようにあらわれる。
苦笑い
詩はホロコーストを生き延びた
核戦争も生き延びるだろう
だが人間はどうか
真新しい廃墟で
生き残った猫がにゃあと鳴く
詩は苦笑い
活字もフォントも溶解して
人声も絶えた
世界は誰の思い出？
これについてもやはり、書いたばかりの拙文からの（いささか長い）引用をお許し頂きたい。
冒頭はアドルノの有名な「アウシュヴィッツの後で詩を書くことは野蛮だ」をふまえた一行だ。（アドルノは「野蛮だ」と言っているのであって、書けないとも書いてはいけないとも言っていない。ただ、「野蛮」であることを意識せよと言っているように私には感じられる。）惨劇を「生き延びた」詩は、だから「核戦争も生き延びるだろう」という。たとえ人間が滅亡したとしても、ただそこに「詩」はあり続けるというのだ。さりげなく付け加えられた最後の一行の問いは深く重いものだが、ともあれ未来永劫に「詩」は存続する。では、過去においてはどうか。
その男
〈これは俺が書いた言葉じゃない
誰かが書いた言葉でもない
人間が書いたんじゃない
これは「詩」が書いた言葉だ〉
内心彼はそう思っている
謙遜と傲慢の区別もつかずに
カウンターの端に座っているその男は
紺のスーツに錆色のタイ
絵に描いたような会社員だ
〈ビッグバンの瞬間に
もう詩は生まれていた
星よりも先に神よりも早く〉
思いがけない言葉に恵まれる度に
そんな自己流の詩の定義を
何度反芻したことか
〈言語以前に遍在している詩は
無私の言葉によってしか捉えられない〉
男はバーボンをお代わりする
いかにも会社員風の「謙遜と傲慢の区別もつか」ない「その男」が何者なのかも気になるところだが――たしかに具体的なモデルがいるような気配が漂っている――、語られている内容はほかでもない谷川さん自身の持論だ。「ビッグバンの瞬間に」つまり宇宙創成の時点ですでに「詩は生まれていた」という主張は、「核戦争も生き延びるだろう」という予見とみごとに呼応している。宇宙の誕生から消滅まで、詩は何時でも何処にでも存在し続けている、という主張だ。それは「言語以前に遍在している」ものであり「無私の言葉」によってのみ把握される微粒子のような（あるいは靄のような）ものである。このダイナミックにしてラディカルな詩観は、また、きわめて些細でささやかな生活の断片に適用されることもある。
詩を言葉から解放したい
と彼女は言う
漂白されたような顔で
じゃ踊れば？と私は言う
肉体は恥ずかしいと彼女
都合よく大空を雁が渡って行く
あれが詩よ 書かなくていいのよ
書くと失われるものがあるのは確かだが
草の上にシートを敷いて二人は寝転がっている
他の同人たちは下の川に釣りに行ってる
（「同人」前半部分）
タイトルが暗示しているように、ここにはたぶん谷川さんの青春時代――同人誌で活動していた頃――の生活情景が想起されている。「彼女」のモデルについてもおよそ想像のつくところだろう。「詩を言葉から解放したい」とは私と彼女に共通の願いであり、「書かなくていいのよ」も、私／彼女が一体化した幸福な交感宣言だ。ただし、「書くと失われるものがあるのは確かだが」という留保付きの言い回しには、かろうじて「書く」ことへの強い個人的願望が蟠っている、と言えるだろう。その初々しい抒情は、実際に二十歳の頃に書かれた次の一節とまったく同質の瑞々しさを保っている。
私に初めてひとりのひとが与えられた時にも
私はただ世界の物音ばかりを聴いていた
（『六十二のソネット』より「６２」部分）
「世界の物音」に耳をすますことで――言葉を推敲することで――沈黙に至ることが詩人の使命であり詩の宿命であることを、初めてそして深く自覚した瞬間のポエジーだ。それはまた同時に、〈詩論詩〉誕生の瞬間でもあった。
（引用ここまで）
長々と自己引用したが、今のところこれ以上の表現はできそうにない。付け加えるなら、ここで「同人」とあるのが「櫂」への遠い回想である、というのは私の身勝手な想像にすぎないかもしれない。谷川さん自身は、ある対談の中でこれを小説的なストーリーを意識して書いた、と述べている。つまりフィクション性の強い詩だ、と。だが、たとえそうであるにしても、その遠い源泉に「櫂」の同人たちへの追憶、とりわけ、敢えて名指しするなら岸田衿子さんのイメージが重なって見えるのは私だけだろうか。詩にまみれ詩を書き続け、書くことで生活を維持してきた詩人の生涯が「詩論詩」の根源にしっかり根を張っていることが、その証明にならないだろうか。
６ おわりに
『詩に就いて』の二カ月後に刊行された詩集『あたしとあなた』（ナナロク社）は、ほとんどが一見おだやかな生活詩と呼び得るものだが、ここにも谷川さんは〈詩論〉を潜ませている。その巻末に置かれた詩はその名も「詩集」と題されている。
詩集
読んだ？
と
あたし
あと少し
と
あなた
詩が
からだに
溶けてゆく
漢方薬みたいに
あなたの
息子が
駈けてきて
あたしの
膝に
乗った
頁の
外にある
弾む
詩
本稿の最初の方、詩集『愛について』の「言葉について ３」のところで私は、女性一人称への憑依、という話法について述べた。谷川さんはしばしばこういう書き方をするが、この二つには大きな特徴がある。女性一人称の「私」が詩を書いている、ということだ。読むのは「あなた」つまり有り体にいえば谷川さんである。漢方薬も幼児も言語以前の「詩の靄」なのだろう。（そういえば「漢方薬」といういささか時代がかった名詞も一九六〇年代頃を彷彿させるし、「頁の／外にある／弾む／詩」とパラフレーズされる「あなたの／息子」も一九六〇年に生まれた谷川さんの長男、賢作さんのように見えてくる。妄想だろうか？）
この詩で「詩」は二つの形態をとって表現されている。一つは、人の体内に溶けていく微粒子として。もう一つは、詩集の外にある（言語以前の幼児のような）無垢な存在として。この二つのイメージが、いまのところ最も新しい谷川さんの「詩論詩」だと思う。