詩魂の不安、詩魂の悦楽　 　

田中庸介『ぴんくの砂袋』（思潮社） (「図書新聞」2021年5月8日号)

山田兼士

著者第四詩集は三五〇ページの大著。ほとんどが行分け詩だが、極端に長い行脚の作品などは、ほぼ散文のリズムに近づいている。足し算を重ねた雄弁な詩もあれば、引き算による寡黙な詩もあり、また、文法や文脈を崩した前衛詩も、端正な抒情詩も、それに短歌まである。さらに、諧謔や皮肉に批評の要素もあって、全体としての多様性がまず目立つ一冊だ。そんな中で、最も凝縮した基本形と見るべき作品「水」を挙げてみよう。

水にね

黒い絵具を落とすと

もわっと広がるわけですよ

そこに

赤や青の絵具を落とすように

夜空に花火が広がる

どーんどーん

大根やニンジンを切ってお供えします

雑草の根っこ

雑草の根っこが

急にきれいに見えてくる

夜空のそよぐ駅のホームで

歌うよ

きれいに

　一見してただちにわかるように、イタリア（ペトラルカ）式のソネット（十四行詩）を韻律なしで応用した、ある意味で近現代詩の定型（的）行分け詩の典型だ。四連構成がみごとに起承転結を描いている点でも、非常にオーソドックスな抒情詩といっていい。水に黒い絵具を落とすと色が広がる→赤や青の花火が夜空に広がる→雑草の根がきれいに見える→「夜空の」「そよぐ」「ホームで」「歌う」。ここで、最終連が前三連を意味的にも音的にも凝縮、圧縮することによって、最初の影像を最後の音像へと変換していることに注目しよう。

　本詩集は、多くの実験的前衛的方法の試行に満ちているために、つい目先の独自性や異質性に眼が行きがちだが、実は右に挙げたような正統的（平凡といえば平凡、本格的といえば本格的）詩法を前提にしていることを忘れてはならない。例えば、右のスタイルを凝縮したかのような作品、「ものすごい振動音のディーゼルよ　走れ走れよ　闇のかなたへ」などは、短歌の様式をとりつつ（やはり四部構成の）一行抒情詩になっている。ただし、こちらでは細部がより多く省略されているので、「闇のかなた」が、例えば萩原朔太郎の散文詩に表されているような虚無なのか、宮澤賢治「銀河鉄道の夜」の末尾に描かれているような「石炭袋」なのか、あるいはほかの全く異なったイメージの「闇」なのか、読者には全く不明だ。この寡黙さはまさしく短歌的余情と呼べるものだろう。

　これが逆に、拡散に拡散を続けることで一種の時間構造をかくとくするなら、詩はただちに物語的作品へと構造化されることになるだろう。この場合、行分け詩であるか散文詩であるかは問題にならない。なぜなら、ここで問題になるのは様式ではなく内的意識の姿勢であるからだ。どれを例にとってもかまわないのだが、例えば表題作「ぴんくの革袋」を見てみよう。

　作品は最初、「子どもが産まれた」ことをきっかけに「新しい詩が書かれなければならない」というプレッシャーによる憂鬱が言及され、次いで、大人になった自身の大きさと子どもの（頃の）小ささとの対比、そして、自身が「ぴんくの革袋」に入ることによって想像被妊娠（ここでは想像妊娠と対になる観念として用いている）による出生を（疑似）体験し、最後に、帯文にも用いられている「ぼくすなわちお父さんすなわちパパすなわち彼。／彼すなわちパパすなわちお父さんすなわちぼく。」という印象的なトートロジーに導かれて、「それが自分なのだ、と腑に落ちる」と、多様にして多数の自己を実感する。この実感はいわば詩的発見としてもたらされる。ここには父親になったという事実に対する素直な喜びが描かれてもいるのだが、その喜びは同時に、「腑ってどこなんだ」という本質的疑問を呼び起こし、「流星のごとく、自分が自分の中に無限に落ちていく。」と、本質的孤独を促し、そこから芽生えた前世の記憶によって作品を閉じることになる。この納得と疑問の連鎖こそが、この詩人の整然とした構成意識の根底にある詩魂の不安であり、同時に詩魂の悦楽、なのだろう。