対談・詩と生活と人生と
四元康祐×山田兼士
●「退職手続きしてきました。」
山田 今日は四元さんがミュンヘンから大阪まで来られることになって……仕事なんですよね。
四元 ええ。仕事にかこつけてね。実は、ここに来たんです。
山田 これがメインで（笑）……まず近況など伺いましょうか。
四元 そうですね。昨日、退職手続きしてきました。
山田 退職手続き！ ……今日は一時間ほどお話を聞いて、それから学生たちと話してほしいと思います。今日の内容は…四元さん個人のタイミングも色々あって、会社を止められたとか…そういう話も伺っていきたいと。皆さんには資料として、四元さんの最近の作品を抜き出したものを配っています。それと、一昨年の十一月に初めて来ていただいた時に配った資料もあります。でも、どちらかと言えば新作の方を中心にしましょう。『ゴールデンアワー』は去年の一月でしたか。
四元 二月です。
山田 今のところ最新詩集ですね。
四元 はい。
山田 それと朝日のＷｅｂで配信していた「声の曲馬団」というシリーズですね。これはまだ本にはなってないんですけど、ダウンロードして僕が編集してきたもの、これをあわせて資料として配ってます。その他の情報としてお知らせしますと、今「現代詩手帖」が、小池昌代さんとの「対詩」を連載中で、もうすぐ完結するそうです。五月号で連載完了ですから、これも近々本になると思います。ちょっと珍しいスタイルですね。かつて谷川俊太郎と正津勉の『対詩』という本が出てましたけど、最近はあまりないですよね。
四元 そうね、あんまりないですね。
山田 今連載中ということで。それから、萩原朔太郎賞受賞記念で前橋の図書館が作成した「時の中の自画像」という冊子があるんですね。こういったものを素材にしつつ、今日は気楽に、四元さんに色々話を聞いていきます。前置きが長くなりました。では、四元さんどうぞ。
四元 どうぞって（笑）……皆さんは今何年生ですか？
山田 大体四回生のゼミの人が多いんですけど。
四元 普段、詩とか日常的に読んでるわけ？ それとも文芸学科だけどどちらかといえば小説とか戯曲とかで、詩なんてよく知らないとか。詩というのはみんなどんな感じですか？
山田 まあ僕のゼミですからね。一応詩を読んで書くというのが中心になってる学生達ですね、今いるのは。
四元 （学生たちに）詩って面白い？現代詩。けっこう面白いっていう人は何人ぐらいいる？この中で。…ああ、男の人がけっこう多いんだね。そうするとね、読むけれども実はちょっとつまんないんじゃないかっていう風に思ってる人は？…じゃあ残りの人はあんまりまあ読んでないと、いうことかな？（笑）僕はね、詩をあんまり読んだ事がなかったんですよ、子供の頃、というか若い頃ね。どちらかと言うと小説とか映画とか大好きで。本がないと何かむずむずするような人だったんだけれども詩自体はそんなに読んだ事がなくて…だけどここ数年なんだかすごく詩が好きになってきたっていうか、詩を日常的に読むようになってきて……だけど最近また思い始めたんだけど、実は本当に自分が求めてたのは詩なのかなあ。それとも詩のもっと先にあるもんなんじゃないか、っていう気もしてましてね、いまだに大半の詩は読んでもよく分からないんです。だから、今、詩が段々いろんなところで…新しい雑誌が出たりとか…詩に対するエクスポージャーっていうのは増えてきたみたいなんだけれども、僕自身はちょっと複雑なところがあってね。僕なんかは、それに連動する、呼応するような形ですごく最近は詩、詩って言いはじめて……さっきもちょっと言ったけれども、会社の仕事もやめてね、これからちょっとしばらく一人で…家族はもちろんいるんだけども、ちょっと世間みたいなとこから距離を置いて過ごそうかと思ってるんです。それはやはり詩が引き金なんだけれども、だからと言って毎日詩を読んで暮らしたいとか詩を書いて暮らしたいっていうのとはまたちょっと違うんです。それはもうちょっと先にあって、詩っていうのは、自分とその先にあるものの間にこう…何て言うのかしら、メディアって言うのか、媒体っていうのか、あるいはそういうところに自分が行こうって思った時に、後でふわっと残るもんだとか……詩が絶対その手段であって目的じゃないみたいな、なんだかそういうね、一筋縄ではないみたいなところがありますね、詩は。
●「二つの人格を統合するのが難しくなってきて」
山田 一応前提として、今ちょっとお仕事のことを話されたけど。
四元 ええ。
山田 二十…三年？
四元 はい。
山田 で、もう実業の世界は大体分かったって？
四元 うん。
山田 もう見えてしまった。で、年齢的には脱サラするにはまだちょっと早いなって思うんですが。今いくつですか。
四元 四十五です。
山田 四十五ね。で、霞を食って生きていこうかなんて仰っているようですけど、執筆の方に専念するとか、文学活動で生計を立てるとか、そういう具体的な計画はあるんですか。
四元 うーん…それね、あんまり計画ないんです。でもね、もう二十三年ほどずっと働いてきて、その大半の間僕は生活するということと、あるいは会社で働くということと、詩を書くということに、全く矛盾を感じていなかったんですね。だけどちょっと最近、その二つの人格を統合するのが難しくなってきてね。だからやっぱりどっちかを選ばなきゃいけないんじゃないかっていうことですね。
山田 以前来られた時にはね、わりと生活のリズムみたいなことを言ってましたよね。朝起きて、出勤する前に詩が書けちゃう、大体寝る前にインプットしておくと朝起きた時に大体詩になっていて…。
四元 よく覚えてらっしゃいますね（笑）
山田 それが書けていて。それで会社に行ったらすぐ会社の事をやってる。そういう生活のパターンみたいのができていて…。
四元 ええ。
山田 詩のことと会社のこととが噛み合ってるみたいなね、そんなような風に話してたんですが、この一、二年で変わってきたということですか？
四元 そういうね、具体的な生活のリズムはあまり変わってないんですよ。
山田 それでは…例えば原稿の依頼が増えてとか、詩がもっとどんどん書けるようになってとか、それでバランスが崩れてきたとかいうことはあるんですか。
四元 そういうことでも全くないんです。職場もね、いい職場でね、恵まれてて、僕みたいに…全部これまで本名で、何も包み隠さずやってきたでしょ。だけど白い目で見られるわけでもね、そんな暇があったら残業しろとか言われるわけでもなくて、のびのびやらしてもらって。で、僕が書くの小説じゃなくて詩ですから、時間はそんなにかからない。集中すれば非常に量産できるんですね。サラリーマンやってたって。だからそういう具体的な面では全く問題ないんだけれど、やはり何か人格に関わってくることじゃないかと思うんですよ。僕、最初に自分が詩を初めて本にしたり発表したりっていう時に、一瞬ペンネームっていうことを考えたんだけど、やめたんですよ。その時のささやかな決断みたいなものをいまだによく覚えてるんですね。
山田 どういう決断ですか？
四元 本名で出そうっていう風に思ったのね。それで別に本名で出そうがペンネームで書こうが世間は全然注目しなかったから、結果的に何の変わりもないんだけれども、多分あれは自分と詩との関係を規定する大きな意味を持ってたんじゃないかと思うんです。まあそれで規定したっていうよりも、その関係がそこに現れてきて、自分では意識しなかったんだけど、ある程度、詩というのを自分の人格から切れたところにある、ひとつの表現、という風に捉えたんじゃなくて、やはりそれを書く主体としての自分というものと切っても切れないものだという風に自分は詩を捉えてたんじゃないかと思うんですよね。それから十年ぐらいかかって、段々糸を手繰り寄せられて、なんか逃げられないところに来たんじゃないかみたいな気がするんです。
●「これしちゃったらもう専業作家になるしかない」
山田 そういう話をすぐに作品の解釈と結びつけるのは短絡的なところもあって、直接ということはないと思うんですが、でもね、今のお話で、会社をやめる決意と、あるいはその決意に到るプロセスと、最近の作品の傾向はどこかで結びついてるような気がするんですが。
四元 そうね。
山田 端的に言ってしまえば「私」がずいぶん出てきてるでしょ、作品に。
四元 そうそう。
山田 四元さんの持説だった、自分は空虚だっていうnegative capabilityね……それが前回ここに来て頂いた時のテーマだったんですね。ノンセルフとか…。
四元 ええ。
山田 と、思うんですが、その後一年ぐらいの間に作品がずいぶん変わってきて。もちろん前から潜在的にそういう要素はあったんだろうけれど、まだあまり表に出て来なかったというかね、その辺の釣り合いがギリギリのところで…自分自身に対するスタンスのとりかたって言うか…まあギリギリのところのバランスがあって…。それが『ゴールデンアワー』読んだ時に、「あ、これもう違うな」っていう気がはっきりしたんですよ。
四元 そうですね。
山田 これしちゃったらもう専業作家になるしかないっていうね。ビジネスやりながらではもう無理だろうって。
四元 あ、そんな風に思われました？
山田 そういう気がしたんですよ。
四元 ああ…その時は僕は全然気付いてなかったですけどね。
山田 もちろんその時はまだ仕事を辞めるとか何も言ってなかったですよね。
四元 ええ、そんなつもりは露露なかったんだけれど。
山田 そうですよね。ただ、作品の中に「私」というものが非常にはっきりと出てきて、従来の、四元詩論とはかなり違うものが出てきたんですね。もちろん、以前から予感のような言い方はされていましたよ。
四元 うん。
山田 これから変わって行くかなっていうことも、言ってたけど、それがはっきりとした形で作品にあらわれてきたので、どうするんだろうっていう思いはあったんですよ。
四元 なるほど。
山田 どういうあたりでそう感じるのかということは、色々あるんですけどね、それが今日、お会いして伺いたいと思ってた一つのテーマなんです。生活と文学ということでね。
四元 「詩と生活」っていうのが小池さんと今やってる対詩のタイトルなんですね。
山田 「詩と生活」。この対詩についてはちょっと今はね、話が複雑になるので…まあ相手があることですから、なかなか簡単には話はできないと思います…小池さんも来てくれたらね…。
四元 うん。面白いですね。
山田 ここにお二人いて、どうですかって聞いたら多分色々話が出てくると思うんですけど。
四元 ええ。
山田 四元さんに一方的に聞くのもあんまりフェアじゃないと思うから…。
●赤ちゃんスター体験
山田 今日一番話題にしたいのは『ゴールデンアワー』とその後、ということなんです。『ゴールデンアワー』が出たときにはずいぶん話題になって、書評も出ましたね。
四元 そうですね。
山田 四元さんご自身もあとがきのなかで自己解説のようなことをされてるし。テレビの話題で、金曜の八時というのが昔は一番のゴールデンアワーと言われていて…その時間にプロレスがあったりディズニーランドがあったりとかしたんですけど…。
四元 ディズニーランドってあったの？
山田 ディズニーランド知らない？
四元 知らない知らない。（笑）
山田 あ、僕はもう一つ上の世代ですから（笑）金曜日八時っていうのはね、力道山のプロレス中継とディズニーランドとが一週間おきにあったんですよ。
四元 ディズニーランドって、それは漫画ですか？
山田 ウォルト・ディズニーが進行役で出て来ましたね、当時まだ元気だった。
四元 へえー…
山田 「私のディズニーランドには四つの世界があります、冒険の国、アニメの国…何とかの国…、そのうちの今日は冒険の国から何々をお送りします」って言って。
四元 はあ。
山田 それでディズニーの冒険映画やアニメが上映されたり、時にはミッキーマウス。でもミッキーマウスはね、すごいスーパースターですからギャラが高くて。滅多に出て来ない。ドナルドダックがよく出てましたね。で、そういうのが金曜八時にあったの…知らない？
四元 世代が違いますね（笑）
山田 今度書いて下さい。駄目か（笑）。でも、これ「early 60」で六〇年代前半。
四元 それは五〇年代じゃないですか？
山田 いや、そこまで行かない、うちにテレビが来たのは六〇年代に入ってからですから。
四元 やっぱりそうか。
山田 ただ、物心がついた時期というのは多少ずれますよね。
四元 そうね、六〇年代だから僕まだ…五九年に生まれてるから…六〇年っていったら、一歳から十歳まででしょ。
山田 記憶あんまりないですよね。
四元 あんまりないない、その頃には多分八時には寝てたんじゃないかしらね、おしめつけてね。
山田 そういえば、年譜の中にちょっと面白い記事を発見したんです。一歳の時にどこかでスカウトされたって？
四元 そう。砂場で遊んでたら、スカウトされました。〇歳じゃないかなあ。
山田 テレビに出た？
四元 あ、コマーシャルにね。
山田 コマーシャル……藤沢薬品？
四元 ああ、ありました。それは偶然でね。あと徳島ハムとか。
山田 聞いたことないな（笑）
四元 知らない？そんなのあったよ昔は。
山田 ああ。関西だけでしょ、多分。
四元 そうかなあ。
山田 僕はその頃は岐阜県に住んでましたから、そういうローカルな食べ物は全然見てない。で、〇歳からいくつぐらいまで？
四元 三つぐらいまでやってたんじゃないかな。
山田 じゃあもう幼児というよりも、赤ちゃんスター？
四元 赤ちゃんスター（笑）
山田 そういう前歴があるそうなんで…ちょっと意外だったけど（笑）けっこう続いたんですね。
四元 ああ…そんなに頻繁じゃないんだろうけどね。
山田 覚えてます？
四元 覚えてる覚えてる。ウィンナーソーセージを、あの千里のゴルフ場だか…ＰＬだか…この辺かな、もしかしたら。
山田 ＰＬここですよ。となり。
四元 なんか凄いよ、芝生の上をね、走ってって、きれいなお姉さんがお母さん役で、ピクニック広げててね。で、そこのウィンナーソーセージを鷲掴みにしてかじる、はいカットーなんていうの。
山田 それ一歳？（笑）
四元 いや、それはもう三歳ぐらいになってるから覚えてるの。
山田 ああ三歳ぐらい。…という前歴がある、それ詩のテーマになりませんか？
四元 いやあ…どうかしら（笑）
山田 幼児体験みたいな（笑）いや、どいういうふうに詩と関わりがあるのかって皆さんハラハラしながら聞いてるかもしれないけど、関係ないです、あんまりね（笑）
四元 全然関係がないですね。（笑）
●天才バカボンと鉄腕アトム
山田 あんまり関係ないんですけど、でもまあ「early60」ということで、一歳とか二歳の頃のことをね…記憶が…一歳とか二歳三歳なんてあやふやでしょう。
四元 うん。
山田 で、その記憶があやふやだということで間違いがあるのか、それとも記憶というものの曖昧さを意図的に演出して、こういう混乱を作っているのか。
四元 うん？
山田 最初読んだときに、ちょっと迷ったんです。
四元 どういう混乱ですか？
山田 まず、巻頭からしてね、「天才バカボン」の中にイヤミが出て来るでしょ。こんな作品です。
天才バカボン
薄っぺらな絣を着て
君はただそこにいる
前髪が風に揺らいでいる
鼻の先から垂れ落ちる滴が金に光る
君の眼がどこを見ているのかよく分からない
だがこうなることが君には最初から分かっていた
そのことがいまになってようやくぼくにも分かったのさ
イヤミが歩いてゆくね
どんなにシェーッとやってみせたところで
宙に延びる蔓の影ひとつ震わせることはできない だから
彼はもう立ち止まろうとさえしない
塀に立てかけられたままの竹箒
その上へはみ出した柳の枝に寝そべっている
猫だけが不変だ
君のパパが帰って来たら
伝えておいてくれないかな
海辺の町にステテコが翻っていた
そしてそれはただそれだけでしかなかったと
山田 イヤミは出ないでしょ、バカボンには。
四元 そうね。
山田 「おそ松くん」のキャラが混在しているんですね。
四元 うんうん。
山田 だけどこれはわざとやってるのかなと。同じように六〇年代初めの頃にモスラ対ガメラね、これありえないでしょ。モスラは東宝の怪獣、ガメラは大映ですから、この両者があいまみえるってことはありえない。これもわざとやってるのかな…それがはっきりしない。それが決定的に、あ、これ意図的だなって分かるのが、「浅間騒乱」。
四元 うんうん。
山田 これを読んだらもうね…三島由紀夫と川端康成と谷崎潤一郎を全部一緒にしてるっていう（笑）読んでいてとても楽しい。笑えるネタがあったりして。このへんはどうなんですか？ この記憶の曖昧さというか不統一性というか、そういったものを意図的に演出してるんでしょうか。
四元 浅間騒乱は、本当に楽しんでそういう混乱を演出してますけれどもね。「天才バカボン」とか、「モスラvsガメラ」を書いてる時の意識っていうのは全く考えてないと思います、そういう事はね。
山田 考えてない。
四元 ええ、天才バカボンのことも考えてないと思います。
山田 ああ、そしたら、これはもう自然に、バカボンの中にイヤミが出てきてる、という。
四元 うん…バカボンについて書こうとは決して思っていなくて、バカボンという人を一種の…ガイド役というかね、導き手として、ここに今はもうない、ある別の世界に、行って来ました、っていう詩なんじゃないかと思うんですよ。で、その別の世界というのは、やはり自分の、自我の、奥に埋まっているようなところね、時間的にもだいぶ過去に遡行するようなとこ、だけどいまだに自分の中に生きてますっていうような、そういう変なところに行く為のジャンピングボードとして、バカボンが出てきたり、モスラが出てきたり、ということで。だから僕はわりと、自分としてはね、そのあたりは、比較的、無意識的に書こうとしてたんじゃないかと思いますね。
山田 ひとつのテーマになってるのが、記憶というか幼児体験と言うか、過去のことですよね。六〇年代七〇年代の。その全体の組み立ての中で、PART1だけがちょっと特殊というか…PART2からは時間軸で来てますけど。
四元 ええ。
山田 PART1が「ロストヒーローズ」失われたヒーロー達、でも、PART2からも失われたヒーローなんですよね。エイトマンとか鉄腕アトムとか。
四元 そうですね、ええ。
山田 このPART1とPART2以後がどういう基準なのか、最初分からなくて…でも読み直してみたらね、PART2からはわりと四元さん自身の体験というか、幼児体験が…。
四元 そうね、物語的になってくるでしょ、自叙伝的にね。
山田 でもPART1は違いますね。
四元 PART1はそうじゃないんですよね。それがさっき言った、どこでもない不思議な世界、ということだと思うんだけど。
山田 こういったキャラクターを使いながら、結局自分の世界観を全面に出している。詩についての問いかけみたいなね。書くことそのものへの問いかけみたいな…言い換えれば自意識の問題とか、自我の深いところとかになっていくんだろうけど…重ね合わせがあるんですよね。例えば、「鉄腕アトム」という作品。これは明らかに三歳とか、二歳とかの、ＣＭに出てたりした四元少年の生の幼児体験が書かれてます。シャンプーで頭洗う時に鉄腕アトムの真似するとか…これみんなやりました、子供の頃。
四元 これ寝屋川でね。
山田 これは僕も記憶があってね。みんな遊びでやってたんですよ。確かにこれは四元さんの幼児体験…
四元 そうね。
山田 …ではあるんですよね。だけどそこにいきなり、第三連で「夜の向こうでナパームが閃いていたのは知らなかった」。いきなり今日の世界問題と言ったらいいのかな…まあ今日的な、ですよね。まさか三歳の子供が、その当時ナパーム弾云々なんていうことを意識してるわけないですよね。
四元 うん、私のイメージではこれはベトナム戦争。
山田 ああ、ベトナムか。でもそのまま今に繋がっていきますよね。世界での局地的な戦争が相変わらず続いてるっていう。
四元 そうですね。
山田 それで、アトムと一緒に地球のまわりを飛んで、夜になると布団に横たわって、という自然生活的なものと、子供ながらの想像力の世界というものが重なって、それで「何度壊れても生は繰り返し修繕してもらえるものだ」と。これなんかはもう四元さんの現在の人生観がはっきり出てますよね。
四元 うん、これはやっぱり僕の中では、明らかに「天才バカボン」と比べるとつまらないんですよね。
山田 つまらない？
四元 ええ、書いてるときはすごいカタルシスがあって。それまで自分というものを棚上げしてね、自分に関わらずに対象にがーっと入るように書いてたのが、一回自分の幼年期までなるべく遡って、当時の自分を思い出してみよう、みたいなことをやってるわけですね。それはそれですごく面白かったんですよ。僕、常に「現在しかない」みたいな感じでやってきてね、過去を切り捨てたり、昔の…転勤とかで転々と親と一緒にやってたけど、行く先々ですぐ順応しちゃってね…前のことはもうどこにあってのか分からないみたいなことでずーっと来てたのを、もう一回繋ぎ合わせようということで…なんて言うのかな、自分というものを再構築する作業だったと思うのね。で、それはそれですごく面白いんだけれども、やっぱりこれは自分の中である程度完結していてね、そこの面白さというのは何か表現の面白さだったり、あるいはその語りの面白さだったり、表現の面白さじゃないかと思うんですが、「天才バカボン」とか、ロストヒーローのセクションの部分…あ、東京オリンピックも若干そうなんだけれど、これなんかちょっと別種な世界でね、自分の中をくぐっていったんだけれども、自分ではない、別の空間で、時間もまったく別の時間というか、時間が無いような世界だと思ってますね。だから恐らく、その違いを書けたっていうことが…『ゴールデンアワー』を書いた自分にとっての一番大きな成果は…そういう無国籍的でよく分からないところに、自分の中を通ってふわっとさまよい出てしまったっていうところが、自分にとって一番大きかったですね。あとのところはわりと、純粋な詩とはちょっと違って、人間としてね、あるいは生活者としてのね、自分に繋がっているんだけれども…。ロストヒーローの部分なんかは、そういうところから完全に離れた何か変なところ、というか、もしかしたらそこに出ようとして色々、それ以外の作業を無意識のうちにしてたんじゃないかなという風に、これを書いて思いましたね。
●「やはり「自分」というものがテーマになってきた。」
山田 巻頭に来てるということもそうだけど、ちょっと物語的な…四元さんの、何て言うのかな、自伝的な部分から切れてるってことですよね。
四元 自伝的なところから切れてるし、何と言うのか……。
山田 それと、今の鉄腕アトムはPART2ですからね。非常に意識的って言うか、意識的に自分というものを探求しようと思って、そういう覚悟をして、書いたシリーズがあるんですね。
四元 基本的にはそうなんです。自分の頭の中でね、いつも僕はある種の企画を考えるんですね。詩を書くときに。それで、その前の『噤みの午後』の中で、詩とは何だろう、というような問いかけをしたんだけれども…そういう問いかけをしてる中でどうしても自分というもの、その詩を書いたり読んだりしてる自分って何だということに、関心が動いたんだと思います。あるいはそういうものを棚上げしては成立しない詩の世界っていうのがあるんじゃないかと。恐らく成立する詩の世界もあって…わらべ歌だとか、労働歌だとかね。インディアンの収穫の時の詩だとか。そういうところあるんだけど、やっぱり我々がやってる口語自由詩というか、現代詩というか、定型がなくって、常に荒野から始めるようなタイプの詩ですね、その中では「私」っていうことがないと成り立たないんじゃないかというようなことを漠然と考えたんじゃないかと思うんです。ですからその次に何かをまとまって書くというときには、やはり「自分」というものがテーマになってきた。ただその「自分」というものにどう向かい合うかっていうことになると、なかなかトリッキーでね、下手にやっちゃうと単なる私小説になったり詠嘆詩になったりするから、なんかそこで、あまりベタベタしなくって、あまり自分に引きこもらなくて。ある程度他者と共有できて、そういうフォーマットはないか、という中で、六〇年代七〇年代のみんな知ってる一種の共同体の象徴みたいな、コミックやテレビ番組のキャラクターを出せないかと。ただね、そういうのは、完全に意識的ではないにせよ、ある程度頭で考えているということですね。
山田 まあシリーズみたいなことをね……前、会ったときにそういうお話聞いたと思うんだけど。
四元 同じこと喋ってるんでしょうね、おそらく（笑）
山田 テレビ番組で…そういったものを使って書くんですよって…ちょうど『夜のミッキー・マウス』を谷川俊太郎さんが出した後に…あの中に鉄腕アトムやミッキーマウスが出てきたりする…その話をしてたら、四元さんが「いや僕も鉄腕アトム書いたんですよ」と言ってました。
四元 そうそうそう。あの時もう、本当にびっくりしましたよ。僕は二月ぐらいからこれ書き始めて…俊太郎さんが「夜のミッキーマウス」を「新潮」に発表したのが五月ぐらいだったかな。
山田 そうですね。
四元 それで五月ぐらいにたまたま日本に帰って来て、ここにもアトム出てるじゃないかなんてね、びっくりしたんだけど。
山田 あの頃にもう、このへんの作品は書いてたんですね。
四元 二月からずっと。最初は、俊太郎さんの息子の賢作と会ってね、色々喋ってて…昔の話とか。同い年だから。その晩に「ピアノへ」という本を賢作からもらってね。彼は子供の頃「夕日のガンマン」のテーマ曲が好きだったと書いてあって、いや僕もそれはいろいろ覚えてるなんて。で、それから二月、三、四、五月と集中的に書いて。
山田 それが一昨年ですね。
四元 そうそう一昨年の頃ね。
山田 これ、僕なんかはもちろん全部知ってるんだけど……ある世代の人たちに共通のコードみたいなのがありますよね。そういうったキャラクターをいわばバイアスに使うっていうか……あとがきには、自分だけでは心細いのでキャラクターたちに手伝ってもらった、ということが書かれてるんですが、共通のイメージというのをひとまず立てて、それに関連するような、当時の子供のメンタリティとか、今振り返っての感傷とかいったものを、詩のテーマにしていこう、というような意図は初めからあったんですか。
四元 それはもう明らかにありますね。今日、最初に詩が面白い？なんてこと聞いたでしょ。僕が大半の詩を面白くないと思ってたひとつの理由は…何かすごく閉鎖しててね、自分の中で閉じちゃってて、他者っていうものをあんまり入れてないんじゃないかみたいな、批判があったんですね、若いなりに。だからすごく自分を抑えて、他者しかないような詩をずっと書いてきたんだけれど、やっぱりここいらでね、自分というものに戻んなきゃいけないと、思って書いた詩だから、当然その中でどう他者と関わるかっていうのはひとつ大きなテーマになっていて…他者代表としてアトムやバカボンたちに登場してもらった。でも、その他者について論じるんじゃなくて、ちょっと自分の中に降りていった、みたいな気持ちがありますよ。
山田 この方法は非常に面白いと思う。「対詩」にも繋がると思うんですけど、他者と向き合うことで初めて自分というものが具体的な輪郭を持って現れる、というのは基本的な原則ですけど、でも、それを具体的に詩の形でやろうとすると、一体どういう他者と向き合えばいいんだっていうことになる。小説だったらできるんですよ。登場人物のひとりとして敵が現れたり、友人だったり恋人だったり……なかなか他者とうまくいかなくて葛藤するとドラマができますよね。僕は、他者性をめぐる小説としてドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」が抜群の傑作だとずっと思ってるんですけど、あの、四つのキャラクターをそれぞれ描き分けていくという方法ね、その全体でドストエフスキーの思想そのものを表現するとか、そういう複数の登場人物で他者性を描き分けることができる。ところが詩では非常にそれが難しい。他者に向かい合うとなると詩じゃなくて詩論になっちゃうから。でも、その他者の扱い方次第で詩になることもある、といったところをね、四元さんは実践した。
●「それまで自分の中になかった地点にぱっと出た。」
山田 他者を次から次へとバイアスとして登場させる事で自己を語ってる、という、そういうスタイルですね、これは。
四元 そう。それね、皆さんの中に詩を書かれる方がいると思うんだけど、その時にね、他者をどう想定するかっていうのは、やってみたら面白いと思うんですよ。本当に目の前に何十人がね…おじいちゃんとかおばあちゃんとか親父だとか、学校の先生だとか、自分の友達だとか…がいると思って。で、一行ごとにそいつらが覗き込んでると思って詩を書いてみたらすごく新鮮なんじゃないかなって思いますね。それをちょっと大袈裟な言い方するとね、詩とか小説とかって話以前の問題としてね、日本語の中で他者を用いるというのがすごく難しいんじゃないかという気がするんですね。人称の問題で行くとね、一人称、それから「私」と「あなた」だけの二人称、これはあるんだけど、すごく徹底した三人称っていうか、他者…別の言い方をすると絶対者…と言うのか、その人の前では自分もただの「私」じゃなくて、ひとつの「彼」として立たざるを得ないような、何か絶対的なものの前で立ってる存在。そういう三人称的な世界っていうのかしらね。それが少なくて、独白だったり、あるいは、人と人との間の睦み合いだったり罵り合いだったりっていう、そういう言語空間はたくさんあると思うんだけど。僕が言ってるのは非常に西洋的な話ですけれど、自分を本当に絶対者の前でひとつの「個」として客観的にとらえるという精神的な成り立ちというのが僕らにはあまりないし、言語的にもそれが成り立ちにくいような構造をしてるんじゃないかと思うんです。僕の好きな詩というのは、やはりそこに第三者的なものがあるもの、自分をいかに客観化できるか、ということは自分を一回引いて見せて、そこに他者というものを自分の中にどれだけ取り込めるかっていうことで、詩の深さや広さが出て来るんじゃないかなという気がするんです。小難しいこと言いましたけれど、きわめて現実的なやり方としてはね、本当に普段詩を読んでない自分の親父になったつもりで自分の詩を読み返してみるとか、書きながらその人の顔を思い浮かべてこの人はこれを読んでどう思うだろうとかね、そういう具体的な話とも繋がってくると思うんだけど…。そうしないと、自分の中だけで舞い上がっちゃうわけでしょ。
山田 以前の『噤みの午後』の中にも、既に他者が出てくるものがあって…キーツが出て来たり中原が出て来たり…だけどそれは、中原のことを言いたいというよりも、中原中也を読んできた自分のことを描きたい、という作品ですね。やっぱりバイアスとしての中原中也でありキーツであり、ということだったと思うんですよ。
四元 うん、ただね、あれはそこまで意識的じゃなくて、あの作品を書いたことによって、僕はなんだか詩を書く主体としての自分というようなことを非常に意識し始めましたよね。当然そこに、いま仰ったような萌芽は読めるわけですけど。
山田 『ゴールデンアワー』では、中原とかキーツといった詩人や文学者芸術家ではなくて、ある時代のコードみたいな他者がね、いっぺんに入ってきてると。
四元 そうなんです、ですからさっきも言いましたように『噤みの午後』の主題は「詩」で、『ゴールデンアワー』の主題は「自分」だったんですね。逆に言うと『噤みの午後』は詩を追い求めてったら最後に自分が残った、という風に言えると思います。それに対して『ゴールデンアワー』は、自分というものをテーマにして、色んな語り口や色んな切り口でやって、最後に「天才バカボン」に辿り着いてしまって、そこにはやっぱり自分はいるのかいないのか、少なくともその、「鉄腕アトム」で、あるいは「浅間騒乱」でね、語ってるような自伝的な意味での自分とか、生身の生活者に繋がってくるような、そういう「個」としての自分というのは「ない」世界に出てしまったと。
山田 ああ…それが巻頭の「天才バカボン」。
四元 そうです、だからこれ実は、書いてくプロセスの中では巻頭じゃなくて、自分というものを掘り尽して掘り尽して掘り尽してたら、ここはどこ？私は誰？っていうところに出てしまった。そんな作品を最初に持って来たんです。
山田 でも、これを作品としての構成で言うとね、必ずしもそうはなってなくて……最後のPART5に「ゴールデンアワー」というタイトルポエムが来てますし、それからPART4の七〇年代の最後の「宇宙家族ロビンソン」…これ僕は相当の傑作だと思うんですが…このあたりがこの詩集の中心でね、「天才バカボン」は巻頭だから出発点に見えるんですよ、作品的には。
四元 そうね。うん。
山田 ただ、作者としては、むしろこれが出口で……。
四元 そうそう。だから必ずしも同じじゃないんですね。書いてて、その作品を書いたことによって自分がどこからどこに移動したかということと、その作品自体の作品集としての成り立ち、どう構成してどう提示するかということは、同じじゃないですね、この場合。
山田 でも、敢えて言えばね、ご自身としては出口だと思われる作品を巻頭に持ってきたということは、ここからまた円環していくってことになりませんか。また始まっていくというか、出口じゃなくて、作品世界がここから始まっていきますよね。
四元 だと思いますよ。というのは…それでまた最初の話に戻るんだけれどね、言葉で書かれた詩にそれほど自分はこだわっていないんじゃないかということを最初に言いましたけれど、じゃあ何にこだわってるのかって言うと、これも小難しい言葉で言うとね、ひとつの認識のＡ地点から、それまで全然見えなかった世界が開けてくるＢ地点の認識に移るということが自分にとって一番大切なことで、それで色んなものを積み重ねた結果、天才バカボンの世界にある、それまで自分の中になかった地点にぱっと出た。だからそいつを冒頭に持ってくることによって、それまでの自分を新しくその中に、内的な宇宙の中に、もう一回放り込んじゃった。そのことによって自分自身が更新された、という風にも言えるんじゃないかと思います。
●「こういう詩を書いたのが（…）決断の原因ではないか」
山田 ちょっと話を変えますけど、この中に出て来るテレビのヒーロー、キャラクターですが、僕はこれ全部分かります。だけど世代が変わると、何のことか…
四元 わからない（笑）
山田 どうなんでしょう、皆さん分かりますか。これに出てるような…天才バカボンや鉄腕アトム…まあこれなんか古典的なヒーローだから分かるだろうけど…東京オリンピックも分かりますよね。でも、宇宙家族ロビンソンなんて分かんないでしょ。これはどういうイメージで読めばいいのか。例えばタイムトンネルだって分かんないでしょう。
四元 マイナーなんだね。
山田 僕なんか全部分かりますよ。隅から隅まで。「太平洋ひとりぼっち」と言ったら、こないだも大冒険した堀江謙一さんだとか。「ちあきなおみ」なんかね、カラオケにお父さんと一緒に行く人は知ってるかもしれないけど（笑）、多分みんな知らないでしょ。ところが、ちあきなおみを知らなくたってこの詩は読めるし、宇宙家族ロビンソンを知らなくたってこの詩は読めるわけでね、これはすごくいい詩だと思います。さっき、フォーマットを自分で作らなきゃならないっていうお話があってね、ずいぶん色んなことをやってますよね。タイトルだけ見るとキャラクターずらっとが並んでてて一貫してるようだけど、実は、散文詩風のものがあったり……それから「東京オリンピック」なんかソネットですからね。
四元 ああ。
東京オリンピック
土埃ダットサン、藤色パブリカ、国道沿いのホットドック屋、
夜の螺旋階段、高架下のお堀の波紋、メタンガス、
折り詰め寿司巻き、おこげとごま塩、ノリタマ、チキンラーメン、
ああ、もうすぐオリンピックがやってくる
地下鉄、タイル張りの壁の呼吸、手足のない男が連絡通路を攀じってゆく、
下腹を突き出してバランスを取る車掌、ほっそりと白い手袋が
重い鉄のハンドルを撫でて、誇らしげな微笑、鈍い上昇、
ああ、もうすぐオリンピックがやってくる
暗い台所の隅にしゃがみ込んで息子がナメクジに塩をかけている
俺たちの若い細胞が新しいガスレンジの炎に照されるとき
なにかが一度だけ翻りすぐにまた闇に沈む
五月のひかりが、こだまを追い越し、タワーを目指して、
はるかな富士の裾野、駆け降りてくる裸足の王
ああ、もうすぐオリンピックがやってくる
山田 偶然かも知れないけど、四行四行三行三行……よく授業中に即興詩で練習するスタイルですけど……ソネットです。それから、「宇宙家族ロビンソン」なんて二行ずつ。二行ずつ一連で最後だけ一行。ここにあるのは、そういう風に抜き出してるんですね。「東京オリンピック」なんかこういう詩集の中に入ってなくたって、すごいテクニックですから、ぜひ皆さんには熟読して欲しいと思って…お手本になるような詩です。でも実は、特に四元さん自身にとって、こだわりがあるというわけじゃないんですよね、この詩は。
四元 うん。
山田 だけどその情景が、すごく生き生きとしていて…東京オリンピックの時、四元さん何歳ですか。
四元 四歳。
山田 四歳なんてそんなにはっきりと具体的に記憶が……あったのかな、テレビのＣＭに出てたぐらいだから。
四元 四歳だったらもうかなりあるんじゃないですか、色んな断片的なね。別にオリンピックと何の関係もないイメージばっかしですけどもね、あの頃の。
山田 だけどこれがね、一九六四年ごろの都市風景をすごく端的に表してるんですよ。例えばバスに車掌さんが乗ってるのなんて今ないでしょ、みんなワンマンで。その車掌が…概念としてバスの車掌さんていうとね、例えば僕らの世代の人間が絵を描くとしたら、たいてい女の人を描きますよ、「東京のバスガール」なんて歌をコロンビア・ローズが歌ってたりしてね。だけど、実際には…こうやって言われてみると…「下腹を突き出してバランスを取る車掌」、これすごい描写ですよ（笑）、そういえば結構おっさんがやってた。お腹のとこにポシェットみたいなのがあって、がま口みたいになっていてそこからお金を出すんです。で、その、お腹が突き出てる中年男性がバスの切符を売ったりしてた…ということを思い出してね。こんなことは普通は詩の言葉として出てこないし、だいいち言わなくてもいいことだしね（笑）でも、それがいかにも東京オリンピックの頃の、都市風景の、非常にささやかな、一つの情景として描かれていてね。四元さんは、これを書かなきゃいけなかったわけです。そういうとらえ方とかね、選び方、イメージの切り取り方、というのが、本人はかなり無意識的にやってるところもあるんでしょうけど、でも結果としてね、それが大変なな技巧になってる。「おこげとごま塩」とか、「ノリタマ、チキンラーメン」にしたって、こんなの今の若い人に分かんないです。ノリタマなんて言われても分かんない。ふりかけのことだけど…エイトマンのスポンサーだった永谷園の。
四元 （笑）
山田 で、そのＣＭやってたのが白木みのるだったりする、そういう映像が僕らはすぐに浮かびます。チキンラーメンもちょうどこの頃出てたのね。ダットサンとパプリカというのも今の若い人には分かんないですけど、六〇年代、日本が高度成長に入ろうとしていた、その頃の象徴的な車ですね。ダットサンっていうのは国産の代表的なトラックだし、パブリカは大衆車というか、このあたりで、自家用車が普及していった、そういう車の名前ですよね。こういうのがいきなり最初から出てきたりとか。ホットドック店にしても、六四年だったらきわめて珍しい、まだ最新の都市風景だったはずです。そういったものがズラズラッと並んでて、そこに、「ああもうすぐオリンピックがやってくる」というこのリフレインね。三回くり返して。最後のリフレインではもう笑えますよ。すごくさりげなくやってるけど、最後の「五月のひかりが、こだまを追い越し」なんてね、ひかりがこだまを追い越すのは当たり前でしょ、小田原あたりで。でも「五月の」とつけるだけでいっぺんにこれが詩のイメージになっちゃう。五月のひかりがこだまを追い越して行く。必ずしも新幹線じゃなくたっていいわけですよ。で、それがタワーを目指して、もちろん東京ですね、富士山の裾野を走ってる。そこに、これはアベベのことですよね。マラソンでローマ東京続けて優勝した、裸足でマラソンを走った、あの伝説のヒーローです。それを「裸足の王」と言うと古代のオリンピックみたいなね、いっぺんに古代のイメージのようなものが重なってきて。すごくイメージが広がったり、それから重なったり、ということをしている。ダイナミックなものを感じるんです。こういうのは相当意図的に作ってるかというと実はそうでもなくて、案外無意識的にやってるような気もするし……どうなんでしょうね、そのあたり。詩を書くときに参考になりそうな気がするんで、少し聞けたらと思うんですけど。
四元 そういうその、技巧的なことは、意図すると言えばそうだし、そうじゃないと言えばそうじゃなくて…ちょっとラップミュージック的にね、何かその…極めて具体的なものを散りばめて、リズムを良くしながら、その中から普段の日常とはちょっと違う別の風景を出していこうっていう…シェイクみたいなことをやってるんですよね。で、その過程の中で、いま言われたような部分は、自分でも比較的上手くできたなあと思うところね。で、…こういうのは、どうなんでしょう。自分を書くって言いながらね、自分にこだわったら絶対出てこないところで、何か距離感を置かないと、つまり自分を相対化して見るような目がないと出てこない、まあ一種のユーモアですね、これ。だからそれは、ちょっとこじつけかもしれないけど、さっき言ったみたいなある種のフォーマットを設定して自分が完全に書いてる主題と一緒くたにならないような距離を置きながら、なんだかこう、ごちゃごちゃごちゃごちゃ、言葉をいじってるうちに出てくると。だからまあ、そこは意識と無意識とをうまく絡めてやって、無意識が出てくるようなものを意識的に作るということなんですけどね。……ただ、今僕はこれを読みながら改めて思いましたけれど、こういう詩を書いたのが、やはり今回仕事をやめるね、会社員というような存在と距離を置くというような決断の原因ではないか、という気が、今、しましたね。
山田 今？
四元 今。これを改めて読み返しながら。つまり…この詩だけが実はね、あの当時の私が出てきてないんですよね。他は…鉄腕アトムに出て来る「僕」にせよ「浅間騒乱」の「息子」にせよ、みんな私がそこにいる。ただ、これだけは…
山田 情景ばっかりですよね。
四元 うん。それから…敢えて言えば「暗い台所の隅にしゃがみ込んで息子がナメクジに…」その息子が僕なんですね。つまり、ああもうじきオリンピックがやってくる、って言ってるのは私の父親の世代の人たち。で、そういう人たちの一種のコーラスとも読めるわけでね。なんか時代そのものを書こうとしてるんじゃないでしょうかね。
山田 あの時代の日本人がみんなで歌っていた、みんなで合唱したような、ああもうじきオリンピックがやってくる、という。
四元 そう。その中に私の私的なところというのはちょっとなくて、何か共同体みたいなものを意識してたんじゃないかと思うんです。詩人の古典的なあり方として、自分が一つの巫女さんみたいになって、共同体の共有する集合的なところに降りていって、みんなの声をすくい上げるみたいなね。要するに自分は何かというようなことと、詩を書くということを重ねてやってしまうと、詩人みたいなところが出てきちゃって…。それで、自分のことだけにかかずりあってたら、今あなたはどこにいてどういう生き方をして、社会的にどう機能してるのか、というところに追い込まれなくても済んだのかも知れないんだけど、更にここでひとつの時代だとか、共同体だとか、そういうものを自分の中に引き込もうとし始めたんじゃないかと思うんです。
山田 かなり大きなテーマですよね、それは。
四元 それがね、この裏側にある「声の曲馬団」にそのまま繋がって行くんですね。
山田 ああ、それで繋がるんですね。今の詩のことで、まだ少し聞きたいことあったんだけど…。
四元 どうぞどうぞ、ええ。
山田 第二連の「手足のない男が連絡通路を攀じってゆく」って何ですかね、これが不思議で。地下鉄…手足のない男。
四元 あの頃はよくいたじゃないですか、あの…何て言うの？戦争、傷痍…
山田 ああ、傷痍軍人。
四元 傷痍軍人で、真っ白な包帯ぐるぐる巻いて、アコーディオンかなんか弾いて。
山田 あの頃までは街によくいましたね。
四元 そのイメージですね。だからこの、連絡通路っていうのは難波あたりの、地下鉄の通路でね。
山田 「よじっていく」でいいんですか、これは。
四元 攀じ登っていくっていう…なんか、怪奇なイメージなんですけれど。
山田 そうですね。攀じ登っていくっていう感じが何か非現実的ですね。手足のない男ですから。
四元 そりゃあやっぱり幼児から見るとね。
山田 手足のない男というのは、手のない男がいたり足がない男がいたり、というのを全部ひっくるめて手足のない男、と。
四元 その幼児の目にはそう見えるわけですけれども。
山田 そういう表現の仕方をするんですね。つまり手も足もない男っていうんじゃなくて……幼児の感覚として。
四元 いや、そう言っちゃった瞬間にそうなるわけでしょ。
山田 なっちゃうわけね。で、それが連絡通路を攀じっていく。
四元 そう、だからこれそれもただ単に床だけじゃなくてね、全部この辺をぐるぐるしてる感じですよね。
山田 だからすごく非現実的な不思議なイメージになっていくわけですね。それが、いま説明聞いて分かったんですけど、東京オリンピック前夜ぐらいの都市風景でもあるんですよね。確かにそういう人がいた。ちょっと細かいところにこだわるようですけど昨日から気になって…これ書き写してて。
四元 あ、そう？
山田 今回はデータを統一したかったんで、コピーじゃなくて。
四元 いや、おっしゃって頂いたらファイルを送ったのに。
山田 でもね、やっぱりこうやって書き写してみるのはすごく大事なことで、書いてると作者の呼吸が分かるんですよね。ああ、ここはいいリズムだな、とか、書いてると分かるんです。
四元 そうですよね。
●宇宙・家族・ロビンソン
宇宙家族ロビンソン
その夏の夜ぼくらは
海の近くの、小さな旅館に不時着していた
食事の後には早々と布団が敷かれ
家族三人蛍光灯の下でしどけなく横になって
半ば眠りながら煙草を吸っている父、腹這いになって足をあげて
本を読む母、ぼくはテレビの窓から
ロボットのフライデーがあたりの砂浜を偵察するのを見守っている
やがて一つ目の巨人が岩陰から襲いかかるだろう
そしたらまたあたふたと宇宙船に乗り込んで飛び上がればいい
本部の命ずるままに地球を離れて
大阪から広島、そして岡山、次は福岡、モーリン・ロビンソン、
じゃなかった母は福岡の一歩手前で宇宙船に乗りそびれたが
息子のウィル、ならぬぼくはその伝統を忠実に引き継いで
日本からフィラデルフィア、シカゴ、そしてミュンヘンへ
Lost in space
渦巻きながら煙をあげる蚊取り線香
父と母が眠ったあともぼくは目を開いて
蚊帳越しに開け放った窓から満点の星々を眺めていた
まっすぐに空を横切る人工衛星と
鱗粉をまき散らして羽ばたくオオミズアオ
数えきれぬ波の腕が枕元にまで伸びてきてぼくを濡らす
明日が仕掛ける巧妙なまやかしに誘われて
家族を乗せた宇宙船が旅館ごと浮遊した
山田 書き写していて非常に快適だったのが「宇宙家族ロビンソン」。一行あたりの息が結構長いのもあるんですけど、このイメージの重ね合わせが面白くてね。「宇宙家族ロビンソン」なんて恐らくここにいる人たちみんな知らないだろうけど…。
四元 知らないよね。
山田 だけど、これ読んだら大体分かるでしょ、どんなドラマか。つまり、ロビンソン・クルーソーの話を宇宙空間に置き換えて…ただし、主人公は一人じゃなくて家族なんです。お父さんとお母さん、それから女の子二人…姉さん二人ね、それから男の子。末っ子なんですね。それと若い少佐…だったか。
四元 ああ、そうかなあ、うん。ほとんど覚えてないんだよね、僕は（笑）
山田 うろ覚えで書いてる？（笑）
四元 もう全く。うろ覚えで（笑）
山田 僕はよく覚えてるんだけど。お姉さんの恋人ですよ、少佐が。
四元 ああ、そうなの？へえ。
山田 それと、入り込んできてしまったスパイの「ドクター」っていう、これ悪役なんですけど。
四元 まあよく覚えてらっしゃいますね（笑）
山田 それとフライデーですね。フライデーはロボットなんです。ずんどうのロボット。
四元 それはいまだにね、おもちゃ屋さんに売ってますよ。フライデーっていうのがお人形で、ブリキの。古典の。
山田 ああ、古典なんですか。日本で非常に人気だったから。
四元 コレクターズ・アイテムになってるっていうか。
山田 人気キャラだったんで。そのロボットのフライデーがここに出てくるでしょ。それから一つ目の巨人が…まあ何となく、これでどんなドラマか分かるでしょ、皆さん。
四元 アメリカのね、いわゆるホームドラマとかあるじゃない。それとロビンソンクルーソーと、ＳＦと、三つ重ねたら売れるんじゃないか、という安易なコンセプトだったんだけど、面白かったね、あれ（笑）
山田 アメリカのホームドラマでもありましたからね。
四元 ええ、全部実写ですよ、アニメとかじゃなくてね。
山田 実際にね、これで母親のモーリン・ロビンソン役をやってたのが、「名犬ラッシー」のお母さん役の女優さん。
四元 あ、そうなの。
山田 同じ人ですよ。
四元 ああ、それは知らなかった。
山田 女優の名前が出て来ないけど…有名な俳優です。それからお父さんの役ね、ミスター・ロビンソンが、たしかスタートレックのカーク船長…。
四元 あ、そう？
山田 …みたいな。
四元 みたいなね。
山田 それみたいなね、似たタイプの、つまりいかにもアメリカのお父さん。ダディっていう感じの、強い優しい男。
四元 そう、完全に典型的なアメリカの家族。
山田 「名犬ラッシ―」にね、置き換えられる。
四元 そう、本当はカンサスの田舎で暮らしてるはずの人が宇宙空間にさまよい出るっていう話ですね。
山田 それであちこち漂流するんですよね。
四元 地球に帰れないの。
山田 それを、四元家のモーリン・ロビンソン、じゃなかったお母さんの静子さんに重ねて、福岡の一歩手前で宇宙船に乗りそびれた、なんていうのも比喩になっててね。福岡に行く前に亡くなったんですよね、岡山で。
四元 うん、そうですね。
山田 そういう自伝的なことが入ってるんですね。で、ウィルならぬ僕、が今度は世界中を放浪してるっていうような、そういう自分自身のことに重なってきて。で、特にこの最後の方がですね、非常に幻想的なイメージになっていくんですね。
四元 これね、知ってる？「ロスト・イン・スペース」っていうのが原題みたいね。
山田 ロスト・イン・スペース。
四元 「宇宙家族ロビンソン」が日本公開用の邦題で。アメリカではロスト・イン・スペースだったみたいね。
山田 ああ、宇宙の迷子、とでも言えばいいんですかね。あるいは宇宙漂流。
四元 そういう感じですよね。
山田 「宇宙家族ロビンソン」という日本でのネーミングはすごく……。
四元 いいですよね。
山田 日本語として成功していますね。
四元 うん。
山田 ロビンソンって言ったら、ああロビンソン・クルーソーかってみんな分かるだろうし。言い尽くしてますよね。宇宙、家族、ロビンソン、って（笑）
四元 そうそう（笑）
山田 宇宙もの、家族もの、漂流もの、さっきおっしゃった三つの要素がね、タイトルの中に見事に入ってる。で、タイトルもそうだけれど、この最後のイメージの重ね方がね、宇宙空間と人工衛星、それからすぐ近くにいる、これ蛾ですかね。オオミズアオね。それから波がこう…海辺の方から聞こえてるでしょ。それでその旅館ごと、宇宙船になって浮遊したっていうイメージ。子供の頃に家族旅行で泊まった旅館がそのまま宇宙船になって「宇宙家族ロビンソン」に重なっていくっていう一種の重ね技ですけど…。
四元 そうね。
山田 これなんかは、本当に自伝的なものと、「宇宙家族ロビンソン」というテレビドラマとが、もうぴたっと重なって、しかも全部二行ずつで整然と進んでましてね、それにかなりセンチメンタルなところもあって…。
四元 そうですよね。
山田 お母さんのイメージが鮮かですね。ところで、「腹這いになって」まではいいけど「足をあげて本を読む母」って、これどういうことなんですか。
四元 腹這いになって、足がこう…ほら。
山田 ああ、そうか。こうね。そういうスタイルで本を…。
四元 プランプランしながら。
山田 そういう姿勢で本を読んでたイメージが記憶の中に映像として焼きついてる。
四元 そうですね。
山田 そうなんですね。
四元 だからこういうのを書くとね、僕はほんと詩ってなんかよく分かんないんですよね。その…書くことがものすごく快感なんですよ。だけど、ただ自分のセンチメンタルな思い出を並べただけじゃないかっていうような気持ちもちょっとあるしね。これを書いたことによって何かが変わったのか変わってないのかよく分かんなくて、だけどこういうのは自分の中で明らかにうまく書けた詩だなっていう、そういう判断もある程度客観的につくしね。詩ってほんと何なんだろうなと思いますね。
山田 個人的なセンチメンタルだけ書いて人に読んでくださいなんていうのはとんでもないと思うけど、でも、ちゃんと普遍化してますよね。そういう幼児期と、それから少なくとも「宇宙家族ロビンソン」を旅行先の旅館で家族で見ていたような体験を持ってる同世代、あるいはそれに近い世代の人は、恐らく日本中に何十万人いるわけですよね。まあ少なくとも何万人はいるはずですよ。で、それと近いような…「宇宙家族ロビンソン」じゃなくてガンダムでもいいけど…近似値的な経験をもった人も何万人といるでしょ。そういう人たちがこれを読んで、ああこういう旅行先での家族団欒というイメージあるよな、っていう共感があって、同時にそれが、宇宙家族ロビンソンというバイアスを経ることである種の客観視もされてる。そうすると、自分のセンチメンタリズムを読者に押し付けてるということじゃなくなりますね。共有を求めるということになりますよ。
四元 そうね、だからそういうことなんでしょうね。結局「宇宙家族ロビンソン」っていう、さっきおっしゃったような非常にマーケティングにうまい命名のものがね、実はオリジナルタイトルはロスト・イン・スペースで、非常に根源的哲学的な一行なわけですよね、全ての存在が宇宙の中で漂っている、っていう。だから、何で気持ちがいいんだろうとか思うんだけど、そこにはさっき山田さんがおっしゃった、普遍化するっていうのかしら、個人的な体験から発していって、個を超えた、根源的なものなり、普遍的なものに何か近付いたっていう時に、その気持ち良さが生まれるんでしょうね。
山田 それでさっきおっしゃってたことに戻るんですね。詩は認識の手段であって、目的ではないっていう、その話にかなり近付いているような気がするんですよね、今の話が。
四元 そう、こういう詩を読む時というのは、何かこの詩がひとつのディヴァイスであってね、この詩にのって、その詩を楽しむと言うよりも、それから何かシミュレートする、一種の心的な状況に行く為の乗り物だったり、装置だったりするような気がしますね。
●「非常に倫理的に問われるような気がした」
山田 かなり結論的なところに話が来てるようですけど、次に「声の曲馬団」の話題があって、次の展開もあるんですけれど、これ以上二人でやってると、皆さんから話を聞く時間がなくなっちゃうんで。
四元 なるほど、はい。
山田 「声の曲馬団」については、ちょっとだけ今の話の延長線上でうかがいましょう。ここで使ってるバイアスはヒーローとか時代のものではなくて、現代社会ですよね。現代社会で、四元さんが最初の頃から得意にしていた、キャラクターになりきる、他人になりきる、掃除婦のおばさんになりきったりとかね、そういう人になりきる……何て言うんでしたか。
四元 ドラマティック・モノローグ。
山田 そういう手法を使いながら、かなりその中で自分を書いてますよね。
四元 そうなんですよ。
山田 今までの方法が合体してきたような作品ですね。
四元 そうなんですよね、あの…朝日の編集者の人がね、昔書いてた、ああいう楽しい詩を、文学じゃなくて。現実的な題材を取り上げて書いて下さいっていうことだったんですね。ただ僕は、勿論それ楽しくって好きなんだけれども、『ゴールデンアワー』書いた直後だったでしょ。だから詩って何だって問いかけて自分というところに来て、自分って何だって問いかけた直後でしたからね、そういうのを後退してもいけないんじゃないかとかと思って。現実的な題材、それからドラマティック・モノローグで他者に入っていくところ、でもその中に、自分というものをどうとらえるか…で、昔は例えば掃除婦のおばさんの詩とかね、ビジネスマンが喋ってるとか、本当になりきって書いてたんだけど、それは自分のことを完全に棚に上げてて…。
山田 まあ時代とか状況とか社会とか、そういったものを描き出す書き方だったんですよね。
四元 リルケ風に言うならば、愛がなかったわけね。その人を本当に茶化しちゃう、それでその人になりきって言うんだけれども、非常に冷酷にやってましたね。でも今回は、それが幼児の虐待であれ、主婦の話であれ、その語り口を自分の声に深いところで重ねることが出来なかったらそれはもうやっちゃいけないんじゃないかっていう風に思ったんです。
山田 これはだから、これまでとは逆にね、こういう言い方できないかな…自分自身をバイアスにして、他者の中に入っていってる…というのはどうなんでしょう。
四元 そう。そういう…
山田 四元さん自身が鏡になってるような。
四元 うん、そうなんですね。
山田 それで、例えば主婦だったり、子供だったりという、それが今の一番新しい書き方ということになるんでしょうか。
四元 そうですね、例えばね、「春の河原」とか、あと痴漢の詩なんかも書いたんだけれど。
山田 ええ、読みました。
四元 作者だと思われた方がいたみたいですね。
山田 ああ、やっぱりそういう読まれ方しちゃうんですね。
四元 うん、この人は本当に辛い経験をしたとかね、色々手紙をもらったりしたんだけれど、必ずしもそれ的外れではないんじゃないかと思って。
山田 そうそう、そういうリアリティってやっぱり大事なことですよね。
四元 自分がやりたかったのは、むしろそういう風に読んでもらうことだったんじゃないかなと思いました。
我儘
今朝もお日様はベランダから勝手に入ってきて
わたしたちの寝室の畳の目地をなぞった
息子は兎の世話をするために早めに登校した
夫も寝癖の髪を揺らして駅へ向かった
わたしは今日生きていたくない
テレビから明るい笑い声は絶えない
ＣＭのあとの瓦礫と死体
流しの蛇口が緩んで水滴の音が響いている
鏡の中からこっちを盗み見ているのは
だれ？
生きたいと祈りながら
いま死んでゆくひとがいるだろう
縋りついて泣く男と子供たちがいるだろう
そう思うことの罪は痛いほど分かったうえで
わたしは今日生きていたくない
明日はまたお布団を干してみせよう
セールの山を掻き分けて未来を掴みとろう
でも今日だけは我儘を許してください
帰らせてください わたしを
石と木と雲と空のあの静けさの方へ
山田 この「我儘」という作品ね。僕はＷｅｂではじめに読みました。連載のことを知った時に。
四元 ああ、そうなの。
山田 「わたしは今日生きていたくない」という一行を読んで僕ちょっと震えたんですよ。これは主婦の立場で書いてるな、というのは確かにすぐ分かりました。で、世界中にね、苦しんでる人はいっぱいいる、だからそんな我儘言っちゃいけない、って分かってるけれどもとにかく今日は生きていたくないという、主婦の日常の中のちょっとした、誰でも感じるような、今日だけは生きていたくないという実感をね、これひょっとしたら四元さんの奥さんがゴーストライターで書いてるんじゃないかって思ったぐらい（笑）、切実に書いている。
四元 そうですね。ちょっとこじつけるとね、『ゴールデンアワー』でまあ、自分と言ったけどやっぱりこの「声の曲馬団」っていうのは、そういう「自分」を抱えてて、本当にどこまで他者の中に、他者を突き放して見るんじゃなくて、他者の中に入っていけるのかということなんで、やっぱりそれをやってしまうとね、その詩を書いていない時の自分のあり方みたいなものが、非常に倫理的に問われるような気がしたんですね。
山田 そのあたりが今度の退職の決意にも繋がっていくと。
四元 そうなんです、だから僕は色んなところから…その、理由はあるんですけれども、現実的な理由から何からね、あるんだけど、ひとつ大きかったのはね、これを三ヶ月ぐらいぐっとやった、その経験はすごく大きかったと思います。
山田 そのあたり大きな経験を経て、ビジネスの世界から身を引いて、ということですが。で、どういうことになるのかな、今後は…専業詩人？文筆業者？執筆活動？
四元 プータロー（笑）
山田 …（笑）まあ色んな言い方があって…。暫くはドイツにいらっしゃるって？
四元 うん、そう。
山田 国際的な詩の会とか、翻訳とかいった文筆活動をドイツでするということに…。
四元 まあ、本当に何もしないとね、ちょっと頭おかしくなっちゃうからやるけれど、多分僕が本当にやろうとしてることは「何もしない」、それから「何者でもなくなる」ということ。ずっとやってたら死んじゃいますから…お金もなくなるし…そんなこと出来ないけど、一年でも二年でも、出来る限りね。要するに、これまで言葉の上で空っぽだとか言ってたけれども、やっぱりそれを標榜する以上は、ちょっと自分の生活も含めて、寅さんみたいな存在にならないといけないんじゃないかなあと。
山田 まあ期間限定ではあっても。
四元 期間限定ではあっても。
山田 充電期間という言い方していいんですか。
四元 どうかなあ…充電でそこで勉強しようとかって言うんじゃなくて本当にちょっと何でもないっていうことを引き受けないとね、あんまりこういう詩を書いちゃいけない、あるいは書くのがものすごく偽善に繋がるんじゃないかなっていうのをちょっと思ったんですね。
山田 でもどうですか、会社をやめて、それでまあ暫くドイツにいて、日本に来る機会とか、かえって減るんじゃないですか。
四元 もう全然減るでしょうね、だって僕去年十回以上来ましたからね。
山田 ああ…出張ということで。
四元 うん。
山田 じゃあ、なかなか次の約束はしにくいですけど。
四元 次はねえ、約束しにくいですよね、そうなったら。
山田 でもまあメールでインタビューとか、そういう手もありますし。
四元 はいはいはい（笑）
山田 またそういう機会を作ってということで…
四元 今度シベリア鉄道に乗って来ようかな（笑）
山田 （笑）僕のほうから行きましょうか。学生とツアー組んでね。ミュンヘン・ツアーとかできたらいいなと。
四元 ああほんと、うち泊まってください（笑）
●詩について小説を書く
山田 じゃあ皆さんの中から、質問とか話したいことがあれば、もう自由に。今けっこう難しい話になったから、もうちょっと基本的なことでも。何でもいいです。最初にあんまり難しい質問しちゃうと後の人がしにくくなるから、こんな幼稚なこと、と思う人から思い切って聞いたほうがいいですよ。
学生１ 四元さんは、しばらくはとりあえず充電期間に入るということですけれど、今後…
四元 放電。
山田 放電期間？（笑）
四元 放電期間（笑）あの、昔はビデオカメラとかさ、完全にチャージアウトしないと寿命が短くなるってんで時々そこまで。
山田 ああ、石油ストーブを完全に燃やし尽くすみたいな（笑）
四元 そうそうそう。はい、ごめんなさい（笑）
学生１ 今後詩集…詩以外にも何か書いていこうという思いはあるんでしょうか？
四元 小説を書け書けって言うんですよね、すぐね。ちょっと詩がね、あれするとすぐ小説ってなって、で、僕の中にはすごくそれやってみたいって気持ちはあるんだけれども、小説なんて書かないでねっていう先輩もいるしね。難しいところですよ、それはね。だから小説を書くとすればやはり…詩があんまり詩的じゃないでしょ、僕の詩って。小説的な詩だから、小説を書くんだったら、詩について書きたいなっていうのがちょっとあるんですよね。詩とは何かとか、詩人というのはどういうものかとか。詩について小説でもって散文的に、詩をとらえようとする、そういうことだったら許されるのかなとか。でもそんな小説、誰も読まないだろうと思うんだけどね（笑）
山田 詩人を主人公にした小説っていうのは駄目なんですか。
四元 それはほら、欧米というか、特にヨーロッパ文学の中で伝統としてありますよね。
山田 ありますね。リルケの「マルテの手記」とか。
四元 日本にはそんなにないのかもしれないですね。だから僕はそれはちょっと…いや大いに、興味のあるところです。
山田 まあ、詩人によってはね、詩人は小説を書くと詩が荒れるから書くべきじゃないって頑なに言う人もいて。
四元 とかね、みんな言うんだよね。
山田 でも小池昌代さんなんかも最近小説書いてますし。
四元 そうそう。
山田 松浦寿輝も書いてるし。伊藤比呂美もそうでしょ。詩から小説に行った人って結構リッチになってますよ（場内笑）
四元 そうでしょ。うん、そう、すすめる人もいるし。
山田 そうなんですよね。
四元 で、日本に…仕事辞めたからね、日本に帰ろうかって言ったら、どうせ日本に帰ったらまたエッセイとか小説とかってそっちの方に行くでしょ、って、そうなるとつまんないからもうちょっと向こうにいなさいっていう声と、両方、僕はすごくよく分かりますけどね。
山田 難しいですね。身の振り方っていうか。
四元 ええ。まあ金がなくなったら何でもすると思うけどね。官能小説とか（笑）
山田 それいいかも。四元さんの官能小説（笑）読んでみたい気もする。
四元 小池さんがこの間書いてましたね、週刊「宝石」に。
山田 そうそう、「官能的な部屋」なんて前に書いたから、官能的な詩を書いてもらえると思って、週刊「宝石」から依頼があったけども、全然そういうものじゃなくてごめんなさいって…「樹林」の対談の時にかなり詳しく話して頂きました。…で、小説があることはあるんでしょう実は。小説版何とかってのが。
四元 ええ、ありますよ。「噤みの午後」。
山田 見てみたい気もするけど、出して欲しくない気もするし（笑）微妙ですね。次の質問に行きましょう。
●「見る仕事は終わった」
学生２ 私は…色んなものを見ても…たとえば風景を言葉にすぐ変えて保存するんじゃなくて、空気とかオーラとか色とかを、雰囲気でマーブル状になったまま頭の中で保存してて、ある時にそれを言葉にしようと思って…後からするんですけど、四元さんはものを見た時にすぐに言葉に変える方ですか。
四元 僕はそうじゃなかったです。視覚的な人間でね、全然言語的な人間じゃなくて、写真が好きだし。で、写真撮ってる時っていうのは一切そういうことをしなくても済むんですよね。逆に言うと、誰でも何か見ちゃうとね、「あ、りんごだ」とかって思うでしょ。それでりんごだっていう言語を介さずにね、りんごだけを、セザンヌみたいにやったら多分、分裂病かなんかになるんですよね、だからやらないんだけど、カメラでパチパチ撮ってたりする時っていうのは比較的言語化みたいなのが抑制できて。ずっとそういうタイプでしたよ。ただここ一年ぐらい…特に半年ぐらいかな。メモ用紙を持ち歩き始めててね、見たものをその場で言語化するみたいなことを今ちょっとやってるんですね。でもそれは極めて意識的に、ひとつの作品の準備でやってるだけであって、性格的にはそうじゃない人です。
山田 子供の頃からカメラやってたんですよね。一眼レフをずいぶん早い時期に。
四元 そうですね。
山田 それで写真…これにも四元さんが撮った写真が…これ表紙もそうですか。
四元 それも全て、基本的に全部そうです、僕のポートレート以外は。
山田 見事なもんですよ。そのうち一人で写真詩集出すんじゃないかと。そういう話はないんですか。
四元 今のとこない…ああ、もしかしたら今度ちょっと写真入れるかもしれないですね。
山田 なかなか見事なもんです。写真とも関係があるけど、元々詩のイメージを絵としてとらえるみたいな傾向はあるんですか。
四元 そうですね、ええ。
山田 メモ帳というのはどういうことですか？ なんか少し変えてみようっていう？ 言葉として保存する、思ったことをそこで言語化していくっていうのは、どうなんでしょうね。ちょっと意識的に自分を変えようとしている、というのか。
四元 うーん…何と言うのか、「見る仕事は終わった」と言うんです、詩人のリルケがですね。私ぐらいの年だったと思うんだけども、ある時「見る仕事は終わった」って。それまで彼はひたすら「見る」人だったらしい。これからは心の仕事だとか言ってね、内面の方へ向かっていくのね。で、そこで「転換」っていう詩を書いてるんですよ。ターニングポイントね。セザンヌも途中から「見る」ということに対して非常に距離を置いた。例えばクロード・モネを評して、モネはただの目に過ぎない、しかしそれにしては何と素晴らしい目だろう、って言ったんだけれど、そう言ったセザンヌ自身は、明らかに自分を目の画家だとは思っていなくて、もうちょっと内的な、先ほど一人称とか二人称とか三人称とかって言いましたけれども、それで行くと三人称的なね、絶対的な存在そのものをいかにとらえるかっていう…。僕も、仕事辞めたりとか…外在的な詩から自分、他者、あるいは内面とか…ひとつのターニングポイントにあるんじゃないかなと思って。だからこれまで、ずっと、ただ見るだけだったものを、ひとつひとつ全部言葉にしてみると、何か面白いんじゃないかなと、思ってるところなんですけどね。
●生活のことなど
学生３ 詩からちょっと離れる質問で申し訳ないんですが、退職される事に関してご家族とか奥さんから反対はなかったんですか。
四元 素晴らしい質問ですね。あの、まだ家族にはね、妻にしか言ってないんですよ。子供達には言ってない。言ったって関係ねえよって言いそうな気がするけどね。それで妻はね、今のところ喜んでくれてますね。これからは君の番だっていう…。要するに、これまで僕が稼いできたけれども、これから君、頑張って下さいねっていう。あの、一家の大黒柱としてね。だからそれなりに今モチベーションが上がってて。私が何とかしなきゃいけないっていう。
山田 四元さんの奥さんは何か仕事してらっしゃるんでしたっけ？
四元 ついこないだまでビザの関係でできなかったのね。でも二年ほど…一年前かな。ようやくね、永住許可と、それから労働許可証が夫婦で貰えましたから、彼女今少しずつ翻訳とか通訳とか…それからパーカッショニストなんですよ。
山田 へえ。
四元 それを人に教えたりとか、やってるんです。
山田 それは頼もしいというか逞しいと言うか。
四元 もうこれから…でも、だから捨てられる可能性も段々出て来たなと思ってね。
山田 いえいえいえ（場内笑）
四元 あんまり自立されると。
山田 そうか…交代でね。バトンタッチ。
四元 そうです。
山田 それうまい手ですね。
四元 そうかなあ（笑）うまく行きゃあいいんだけどね。
山田 でもほら、あと十年ぐらい我慢したら今度は子供にタッチっていうのが。
四元 そりゃあ無理でしょう。
山田 子供に稼がせて…
四元 面倒は見てくれないですよ、うちのは。ええ（笑）
山田 そう…退職についてはそういう…。
四元 だからその、僕は会社員でね、やっぱりすごく恵まれた立場にいて、お金とかにあんまり不自由しない、そういう立場にあることにはものすごく疑問を抱いちゃったんですけれども、「生活者」っていうのかな、家族がいて家族の為にお金を稼いでっていう、それ自体については全く矛盾を感じていないんですね。だから僕は大企業のね、エリートサラリーマンじゃなかったら、もっと二足のわらじが続いてたんじゃないかと思うの。こないだ亡くなった石垣りんさんみたいな。ずっとその…まああの人は大銀行だけど、その最下層のね、お茶汲みみたいなことをずっとやらされて、五十五歳の定年までいた人で。あの人がキャリアウーマンで、ＭＢＡなんかとっちゃってね、昇進してたら彼女は絶対どっちか捨てなきゃいけなかったと思うんです。最後の最後まで男女差別されて学歴差別されてね。という、被害者的な立場にいたから彼女は最後までそれできて、それが生活であって、私の詩は生活の中から生まれるって言えたと思うのね。僕もそういうのだったら、積極的に生活を引き受けたいですね。だから家族は大切にしたいと思って、せめてまあ炊事とか洗濯とかさ。そういうのは頑張ろうと思ってるんだけど。
山田 反対に、辻井喬さんの例もありますよ。
四元 僕はだからほんとね、辻井さんと何度もお会いさせて頂いて、今度お会いした時にはね、そのあたりのこと是非聞いてみたいなと思ってるんですよ。
山田 大変な忙しさのはずだけど。今もう退職されましたけどね。定年退職しちゃったら嫌でもみんなフリーの物書きになるわけだから…それまではちょっとね。
四元 うん。
山田 六十…六十五ぐらいまで、二足のわらじでやってる詩人というのは、大体そもそも仕事持ってなかったら食っていけないっていうところが圧倒的なわけだから。
四元 そうですね、うん。
山田 何かしてるわけでしょ。でも、大抵何とかなってますよね。だけど敢えてそうじゃなくて、もう…無職になって。
四元 まあ当面はね。今度働く時はね、あんまり偉い、大企業の経営陣みたいな、そういう立場じゃなくて、もうちょっと慎ましく、お金を稼がせて頂くという、それだったら僕は全然自己矛盾ないと思うんですよね。
山田 焼き鳥屋の親父とか。
四元 そうそう。
山田 喫茶店経営するとか、古本屋の親父とか、憧れますよね。
四元 ほんとね、そういうのいいですよね。森林警備隊とか。
山田 ああ…地球環境防衛隊とか（笑）
四元 （笑）
●「むしろ自分の中の他者性みたいな。」
学生４ 「声の曲馬団」のところで、四元さんが、他人に入り込んで自分を表現するっておっしゃってたんですけど、他人に入り込むときに、その入り込もうとしている他の人のことをすごくよく観察したり、知識を自分に取り入れてからその人の中に入り込むか、それとも想像だけでその人の中に入り込めてしまうのか、どちらでしょうか。色々調べたり、調査したりというのはどの程度あるんですか。詩がすごくリアリティがあるので、どうなのかなと思ったんですけど。
四元 それはもう一切ないです。そういうその、調査とかね、調べるとか。想像力を馳せる、ということもないような気がするのね。ひたすら、自分の中にある老人性とか、自分の中にある幼児性とか。自分の中にある主婦性ってなんだかちょっと分かんないけどさ。だけどその自分が…例えばこの「我儘」だったら、普段の自分っていうのはね、毎朝、ここに登場する、髪の毛寝癖を立てて通勤していく人だけど、その後ろに残って、一日家事をしている人っていうのはまあいるわけね、やっぱり…自分の中にある、その、会社に行って人に会ったりしてない自分みたいな、ひとり残されてる自分っていうのはやっぱりいるんですよね。だからこれは主婦のふりはしてるけど全部僕は自分だと思ってますけどね。
山田 他者と言ったけど、むしろ自分の中の他者性みたいな。
四元 そう。だから、ほんと…それ段々言葉の意味が難しくなってきちゃって、他者って何、みたいなね。自分って何ってことになるんだけど、少なくともその主婦の詩を書いてみよう、老人の詩を書いてみようっていうので、今の老人の今日的な問題は何かっていうのをちょっと本で読んでみようとかね、今回はそういう書き方は一切しなかったの。でも若い頃、僕は調べてて。最初にデビュー作で「笑うバグ」っていう、経済の詩なんだけど、あれは、ＭＢＡコースで二年間フルタイムの学生をやって、徹底的にその、最新の金融理論とか色々勉強して、それのネタで書いたんですよね。だからその頃は、これで詩が書けるんだったら、例えば分子生物学をなんか半年ぐらい一生懸命勉強したら、きっと詩が書けるだろうと思いましたよ。で、それは多分書けるんですよね。そういうものをメタファーにした新しい作品は絶対出来ると思うの。だけど今僕はそういう外在的なアプローチではなくて、要するにそこにある…何て言うのか、属性じゃなくて、自分の自我のほうに多分興味があるんだと思うんです。ですから、さっきから何度か言ってる、リルケがある時に目の仕事が終わって、目の仕事には愛がなかった、これからは心の仕事だっていうところにちょっと過剰に反応しているような気が自分でしますけどもね。だから今僕がそういうリサーチをやってしまうと、すごい矛盾するんじゃないかな。
山田 なりきってるって言うよりも、もう元々自分の中にあるっていう、自分の中の「何か」であるんですよね。
四元 そうね、だからこれはね、あの…実は同じ行数で、すべて。行分けは違うんだけれども、縦横のフォーマットは同じで、発表したのは十三篇なんですけれど、既に五十篇以上書いてるんです。ただ今のところまだ人間に留まってるのね。だからこれから動物、植物…鉱物…
山田 鉱物も行くの。
四元 ええ、鉱物…金属とかね、そういうところまで行きたいので…ずっと中断したままで、まだまだなんですけれども、やりたいと思ってます。
山田 大変なスケールになるかもしれない。
四元 それね、少しずつやってみたいですね。自分の中にあるコカコーラの缶…だったら俊太郎さんになっちゃうけど（笑）
山田 「コカコーラ・レッスン」になっちゃう（笑）ああ、何やっても先にいるってところもあるけどもね。
四元 そこを間隙を縫うっていうのが、道しるべだと思うのね。
山田 なんとかそこを出し抜く。
四元 そう、ボカリスエットで行こう（笑）
山田 ちょっとヒントが、そうか。さすがに、岩とか石とか木になることはあっても、原始生物まではならないとかね。
四元 うん。
山田 あるんですよ、そういう詩が。例えば…すごく時間的な孤独みたいなものをとらえてる高階杞一の詩もあります。空間的宇宙的な孤独ではなくて、時間の中の孤独みたいなのがね、高階さんの詩の中にあるんだけど、これはすごく特徴があって面白いと僕は思うし…。それから、キャラクターをバイアスに使うという言い方を何度かしましたけど、歴史上の人物を次々と登場させる神尾和寿さんの『七福神通り』も面白い。丹下左膳とかね、エジソンとかベイブ・ルースとか。ちょっと『ゴールデンアワー』と似てる。
四元 田口犬男なんかもよくやりますね、それを。
山田 そうそう。まあ全部同じパターンでやるとちょっと単調になるんですけどね。そういうものも現代詩のひとつの流れとしてあるけれど、四元さんの場合、『ゴールデンアワー』で留まってないと思うし…。「声の曲馬団」の話をもっとしたかったんですけど、まあ今度にしましょう。
四元 はい。
山田 今日は四元さん、長時間ありがとうございました。
四元 どうもありがとうございました。
（本稿は、二〇〇五年二月一七日、大阪芸術大学文芸学科研究室で行われた自主ゼミの記録を山田有実子がテープから起こし、山田兼士が編集した上で四元康祐さんの加筆訂正を経たものです。）