若き仏文詩人の憂鬱――鈴村和成と「白鯨」
（「詩の練習」第２４号）
山田兼士
はじめに
詩誌「白鯨 詩と思想」（これが正式名、以下「白鯨」と記す）は、一九七二年十一月創刊、一九七五年十一月に第六号を出して中断した（廃刊は宣言されていない）。創刊時における同人六名の年齢は（誕生日を過ぎていたとして）倉橋健一が三十八歳、清水昶三十二歳、藤井貞和三十歳、鈴村和成二十八歳、米村敏人二十七歳、佐々木幹郎二十五歳である。現在ふりかえって、まず、この若さに驚く。一九七〇年代前半というポスト全共闘の時代背景もあってのことだが、この頃の青年たちは総じて大人だった。かくいう私は「白鯨」創刊の一九七二年、関西の私立大学一年生、文芸サークルに籍を置いてはいたが、田舎の高校出身の新入生に「白鯨」創刊を知る術はなかった。漸くわずかに現代詩の風に吹かれ始めた頃で、この稀有な同人詩誌の存在を知るのはずっと後になってのことだ。
そういうわけで残念ながら私は「白鯨」のリアルタイムでの読者ではない。本稿は、知人から借りた「白鯨」全六冊とその前身と呼ぶべき「犯罪」二冊を通読した上で書き始めている。とはいえ、一九七〇年代前半の文学状況や文化芸術の諸相については、直接間接に感じ得る環境にはいた。当時の感覚を呼び起こしながら、その後知った詩の動向なども参照しつつ本稿を書き進めることにする。
倉橋健一の証言
今のところ、詩誌「白鯨」の概要を知るのに最良の証言は、倉橋健一が「現代詩手帖」二〇〇九年一月号から七月号にかけて連載した後『詩が円熟するとき 詩的年代還流』（二〇一〇年、思潮社）に収録した「「犯罪」から「白鯨」へ」だろう。同人中最年長で「関西組」（倉橋、米村、佐々木）のリーダー的存在でもあった倉橋は、当時を振り返り、一九七〇年に商業誌として始まった「犯罪」（構造社、編集人は倉橋健一）が第二号で「杜絶」した経緯を述べ、その後を受けるかたちで、一時はある出版社から発案のあった詩誌刊行を、結局は同人誌として創刊するまでの事情を説明した上で、「白鯨」創刊時の同人相互の意見交換を次のように要約している。
ようするにここで同人とは、同時に異人でなければならかった。あつまることに夢がないとすれば、みずからそこに境界線を設けねばならなかったからである。おそらくこのときみんな、書く行為のなかの自分の主体をも、いちどは非在としなければなるまいと思っただろう。そのための検証すべき対象を探さねばならなかった。メンバーのなかでいちばん年長者であった私は、そこでは一隻のガレ船を建造して、みんながかってに奴隷の漕ぎ手を志望しているようにも見えた。同人雑誌をつくるにしても、薄墨のかかったとおい彼方が、たえずまとわりついているようにも感じられたからである。憑かれたように疾駆しはじめてしまったのだと思った。ともあれ、こうしてやるなら自力でという気持に、みんなが固まっていった。まぎれもなく私の体験した一九七二年夏だった。
なんとも憂鬱で暗い出発と思わざるを得ない。とりわけ、自らの「主体」を「非在」とするための「検証すべき対象」が各人各様に探究されなければならない、という覚悟は重く深いテーゼを同人たちに担わせることになった。本稿では、詩作品についてはひとまず措くとして、「試論」の名の下に収録された各人の「検証」作業に注目したいと思う。
六人の同人たちが選んだ「検証すべき対象」とは、倉橋健一にとっては金時鐘に代表される「朝鮮」であり、藤井貞和は折口信夫、清水昶は石原吉郎、鈴村和成は伊東静雄、米村敏人は黒田喜夫、佐々木幹郎は与謝蕪村だった。いずれも、後の長い詩的創造において重要な意義をもつことになる「対象」だが、私自身としては、特に鈴村和成の論考に注意を引かれた。以下は、「白鯨」に掲載された鈴村論文と、その前後の鈴村の批評活動についてのささやかな覚書である。
鈴村和成と「白鯨」――「同人」と「異人」について
鈴村和成が「白鯨」に掲載した論考は、創刊号と第二号においてのみである。引き続き第三、四号には詩作品を掲載しているものの、論考は途絶えたままだ。第五号からは詩作品も消えている。ちなみに、第五号（一九七四年十二月発行）の巻末に置かれた「白鯨舎からのメモ」（編集後記のようなもので「文責・清水」とある）には、鈴村がヨーロッパを「三カ月放浪」してきたこと、パリで盗難に遭ったが「ひとりの美少女」によって救われたことなどが、いくぶんユーモラスに書かれている。さらに、ギリシャやアルジェでの体験が伝聞のかたちで書かれ、鈴村の欠稿の理由について「その経験をいましばらく時間をかけて反芻したいからにほかならない」と結ばれている。若き詩人／フランス文学者がヨーロッパ体験から何を得たのかを伝える機会を持たないまま、「白鯨」は第六号（一九七五年十一月発行）で途絶えてしまった。結局、鈴村が「白鯨」に寄せたのは創刊号から第四号までの詩作品と、創刊号と第二号に掲載した散文三篇ということになる。
「白鯨」に鈴村が掲載した散文の内訳を見ておこう。まず創刊号には「同人への手紙」と題したエッセイと評論「同質と異質と 伊東静雄試論（一）」が、次いで第二号には「同質と異質と（二） 同人へのてがみ」が掲載されている。この奇妙なねじれがまず気になるところだ。創刊号の「同人への手紙」は「白鯨通信」の項に、伊東静雄論は「試論」の項に配されているのだが、第二号では「試論」の項に伊東静雄論はなくなり（わずかに伊東への言及はあるものの）「同質と異質と」に（二）が記され更に副題として「同人へのてがみ」が付されている。そして「白鯨通信」から鈴村の名は消えているのである。これは何を意味しているのか。考えられるのは、「伊東静雄」がひとまず喫緊のテーマから外れて、むしろ同人間での葛藤が中心テーマになったこと、そして「手紙」から「てがみ」への置き換えに窺われる一種の韜晦あるいは皮肉のニュアンスだ。そこから導き出される仮説は、鈴村が「白鯨」創刊時にすでに感じていた違和感が次第に強くなり（それでも詩だけは四号まで掲載したが）その違和感が実質的に途中離脱という結果に結びついたのではないか、ということだ。ヨーロッパ体験を「反芻」するのに要する時間の問題もあっただろうが、すでにそれ以前から鈴村は「白鯨」からの離脱を期していたのではないか、ということだ。
先に引用した二〇〇九年時点での倉橋健一の回想を再度引いてみよう。
ようするにここで同人とは、同時に異人でなければならかった。
ここで倉橋は、佐々木幹郎と米村敏人の発言を受けるかたちで要約を試みているのだが、私には、この二人以上に鈴村の次の発言からのより直截的なこだまが聞こえてくる。
同人という呼称はわたしに、それと対蹠的なもうひとつの言葉をおもひおこさせる ―いふまでもなく異人である。（「白鯨」創刊号より「同人への手紙」冒頭部分）
この文章で鈴村は、書くことのもたらす不安を分身による「教唆」に求め、「精神性」とは元々病んだものではないかとし、「人間をさうした負のなかに置くとき、文学はまさに陰画となつて像をむすぶ」と展開する。その「陰画」としての像の中に閉ざされるものは、まさしくその閉じた状態ゆえに「外界を要求」せざるを得ない。だから、
異人と異人のあひだには相互の内質の交換を可能にする特殊な条件がなりたたなくてはならない。すなはち同人でなくてはならない。（同右）
「同人」とは「異人」であるというテーゼはこうして導き出されたものだ。さらに鈴村は、京都（清水と佐々木が大学生活を過ごした土地）、大阪（倉橋、佐々木の本拠地）、東京（藤井、清水、鈴村の本拠地）、奈良（藤井の出身地）といった地名を具体的に挙げることで「風土病に発熱した暗い眼」という比喩で同人相互の「離反と執着の視線」を指摘する。ここで鈴村はランボーのあの有名な命題「JE
est un autre 私とは他者である」を引用し（鈴村の東京大学修士論文のテーマは「ランボー」であり、その成果は『ランボー叙説「イリュミナシオン」考』として夙に一九七〇年に永井出版企画から出版されている）雑誌の「編輯主体」の「二面性」を指摘することで「複数のわたし」の認識を深めようとする。その末尾部分を引用しよう。
同人はひとりひとりの異質な要素を紙面にあらはすことによつて、他者がかきしるす自己をすこしづつ恢復する。その異様なかたちを思考の病理としてつきだしてゆくのである。そしてそれをたいせつにするのだ。そこにべつの異質性がきつとはたらきかけ、抵触しないではゐない。特異と特異のあひだに置換がおこなはれる。一介の異人であるわたしは、もうひとりの異人と出会はなくてはならない。それはわたしであるかもしれない。そこまで同人はゆきつかなくてはならない。
今となってはいささか懐かしい気がしなくもない、共同体における自己論と見えなくもないが、あくまで個としての自己に止まりつつ（個人の複数性の認識を深めつつ）同人雑誌という共同体に参画することの覚悟と不安を二つながらに表明した文章、と位置づけることができるだろうか。ここで「同人」は「同質」に、「異人」は「異質」に敷衍されることで、より普遍的な文学論「同質と異質と 伊東静雄論（一）」（「白鯨」創刊号）が生まれることになった。
まぼろしの伊東静雄論
「白鯨」創刊号に掲載された論考「同質と異質と」は、「伊東静雄論（一）」と副題にあるように、本来は「伊東静雄」についての連載論考となるはずだった。第二号ではそこから「伊東静雄論」が外れ「同質と異質と（二） 同人へのてがみ」と変更されたことは先に述べた。いわば「伊東静雄論」は置き去りにされたわけだが、ある意味では、鈴村の伊東論はこの第一回だけで完結しているといえなくもない。
ページ数にして十六、四百字詰め換算で三〇枚弱の、決して短くはないこの論考で、鈴村は伊東の四冊の詩集がそれぞれきわめて独立した完結性を有していることに注目し、各詩集がそれぞれの同質性に拘ることで他の詩集との異質性を否応なく強調している点を重視している。本論考の内容をここで詳細に検討することはできないが、結論的なことがらのみを要約して紹介しておこう。その結論は、第一に、四十八歳まで生きた詩人としては作品の分量があまりにも少ないことに、その圧縮、凝縮への強い意志を見るということ。第二に、伊東がきわめて意識的な詩人であって、あらゆる細部にまで綿密な思考を施していること。そして――
第三に、そしてこれがあるひはもつとも重要な面かもしれないが、伊東の四冊の詩集はそれぞれの角度で、近代詩がいづれとらざるをえないあらゆる傾向の典型的な表現を、ひとりの個人ににないうる極限まで可能にしたといふ、いへばおどろくにたる事件がある。（中略）たしかに伊東の抒情詩は、ほとんど理念から主観を排した上で、高次の主観を蜘蛛の巣のやうに精緻にめぐらしてゐる、透徹して悪意に充ちた意識のはたらきをまのあたりにする観がある。
「高次の主観」をめぐらすことが「悪意に充ちた意識」につながる道筋がよく分からないが、徹底して意識的であることがもたらす非情のパラフレーズと考えれば理解できる。いわば伊東静雄の抒情とは徹底的に非情な抒情である、ということだ。この非情さの前では、「完成」というあの不可能性をも認めざるを得ない、というのが本論考の結論である。
このような結論が出た以上、この続編は（少なくとも普通の論脈の上では）考えにくいだろう。実際、何度もいうように、「白鯨」第二号で連載は「同質と異質と（二）」と変えられ、「伊東静雄論」はタイトルから消去されてしまったのだ。本文中に、伊東静雄論執筆の動機や総括は示されているが、本題はあくまで「同人へのてがみ」と副題に記された、他者への直截的呼びかけなのである。ここで鈴村は「白鯨」刊行までの経緯をかなり具体的に記しつつ、その実現までの、そして実現以後の、暗鬱で不安な内面を告白している。
空想のために未来をかぎることはできない。それと同様に、未明のおくに宙ぶらりんになつてゐる雑誌を「愛する」ことはできない。さいごに報復するのは現実であるからである。
そして雑誌は、予想をすこしくうらぎつた、よそよそしい距離をおいて、机上にひらかれ、ゆるやかな反映をあたりにひろげながら、期待のうしろへ閉ぢられていつた、閉ぢられていつたにちがひないと、そう信じられるのである。
こうして、鈴村和成は再びランボーの「私とは他者である」を引用しつつ「複数の「私」」に拘ることで書くことの相対化＝総体化を企てるのである。本論考の末尾は次のようになっている。
他の多くの生活。
わたしは暫くこの一行のまえにたちどまりたい。
なにやら謎めいた言葉を残して、鈴村は「白鯨」からゆるやかに離脱していく。
鈴村和成の批評活動――萩原朔太郎とランボー
ここで、「白鯨」創刊以前に鈴村和成が発表した論考を紹介しておくことは無意味ではないだろう。修士論文を元にした『ランボー叙説「イリュミナシオン」考』（永井出版企画、一九七〇年）については先に触れた。次いで、一九七一年には雑誌「ユリイカ」臨時増刊「総特集 ランボオ」に「初の雑誌発表エッセイ」（『ランボー、砂漠を行く』岩波書店、二〇〇〇年、「追い書き」より）である「ランボー放浪書簡偶感」を発表し、これが以後のライフワークである「砂漠のランボー」の嚆矢となる。次いで、同じく「ユリイカ」臨時増刊「総特集 萩原朔太郎」（一九七二年）に「朔太郎の迷夢」と題する論考を発表している。この「臨時増刊」はほぼそのままの内容で一九七四年に『萩原朔太郎研究』（那珂太郎編、青土社）として刊行されるのだが、そこには唯一の例外として鈴村論文だけが不掲載となった。那珂太郎による「編者あとがき」には「鈴村和成氏のものは同氏の意向にそつて割愛するほかなかつた」とあって、刊行当時これを読んだ大学三年生の私は、いくぶんかの違和感を抱いたことを覚えている。当時の錚々たる朔太郎研究者や詩人たちを総動員した大著に参加することを拒んだ若手詩人／研究者の胸の内を知りたい、とひそかに思ったものだ。今回、その理由を想像しながら鈴村論考「朔太郎の迷夢」を読み返してみて、朔太郎の全詩業をたどる作業がもたらした陰鬱な印象と曖昧な結論を見出すことができた。結末近く、伊東静雄との比較を試みた一節を引用する。
伊東静雄のわがひとに与ふる哀歌を、朔太郎は歪力詩という風変りな造語でよんだけれども、この評価は、他の場合と同様ここでも、夫子自身にそのままかえされてしかるべきだった。静雄の恋歌をゆがんでいるとみた同じ視線は、その背後に自作のどうしようもない破綻を裸形に見とおしてしまっていたのである。朔太郎、静雄に共通する、そうした曖昧な偏差は、前者にあってそれが意識的であっただけに、朔太郎の詩風を瑕瑾のない抒情詩からわけへだてる結果をまねいた。そしてその距離のなかに、ひとはおおく朔太郎の回帰の遠因を探りだそうとしてきたのである。
この部分にかぎらず、「朔太郎の迷夢」に描かれる朔太郎像は徹底して苦悩と絶望のそれであり、そのために詩人を「生活」や「現実」の隘路に追い込まざるを得ないような性質のものだった。鈴村が本論考の単行本への採録を拒否した理由の少なくとも一つが、この隘路の発見にあったように思われてならない。
これと反対に、ランボー論（前掲）において鈴村は、詩の放棄がそのまま「生活」の発見と表現からのゆるやかな撤退にあることを発見し、その緩慢な放棄こそが「放浪書簡」に示されているのではないか、との仮説に逢着することで、これを一生の研究テーマにすることを決意した。つまり、伊東静雄論と萩原朔太郎論は詩論家としての鈴村和成のただ一回かぎりの「試論」であり、対して、ランボー論は自らの人生＝生活を賭けるべき恒久的な課題と認識した。いささか不安を伴いながら、若き仏文詩人の一九七〇年代前半における詩的彷徨の顛末を、そんな風に認識しておきたい、と今は考えている。ちなみに、鈴村和成が初期の二冊の本、『ランボー叙説』と『異文』（思潮社、一九七三年）を刊行した後、次の単行本は一九八六年の『未だ／既に 村上春樹「ハードボイルド・ワンダーランド」』（洋泉社）であり、ランボー研究の成果である『ランボーのスティーマー・ポイント』（集英社）が刊行されるのは一九九二年、「白鯨」から約二十年の後のことである。
鈴村和成評論集『異文』
ここまで書いたところで、アマゾンで注文しておいた『異文』が届いた。四六判三三一ページ、かなりの大著である。目次には計二十の項目があり、巻末の「初出誌紙一覧」によればこれらはすべて一九七一年から七三年にかけて、「現代詩手帖」「ユリイカ」「国文学」など雑誌新聞に掲載されたものだ。前掲の萩原朔太郎論もランボー論も含まれていて（ただし「ユリイカ」掲載時の新仮名遣いは旧仮名遣いに改められている）、これで那珂太郎編『萩原朔太郎研究』（青土社）への収録を鈴村が拒否あるいは遠慮したことの理由（の一つ）は明らかになった。自身の最初の評論集に収録したばかりの論考を別の単行本に再録することへの違和感があったのだろう。
もう一つ大事なことは、評論集『異文』には「白鯨」掲載の「試論」が二つとも収録されていないことである。もっとも、第二号の試論が単行本に収録されなかったのは、単純に刊行時期（および執筆時期）の問題だろう。『異文』の刊行は一九七三年八月一日、「あとがき」の日付は一九七三年五月、さらに「あとがき」には一番新しい「地形論」は「ことしの三月に発表した」とある。一方、「白鯨」第二号の刊行は一九七三年六月一日なので、微妙なところではあるが、第二号掲載の論考は単行本に間に合わなかった、と見ていい。そうすると、創刊号の試論が単行本に収録されなかったこともよく分かる。この時点では伊東静雄論を連載にする予定が（たぶん）あったのだから、未完の連載論考を一回分だけ単行本に収録しようとは普通考えないだろう。結局、「白鯨」から評論集『異文』に収録されたのは、創刊号に「白鯨通信」として掲載された「同人へのてがみ」のみである。「手紙」が「てがみ」になっているが、元々鈴村の文章では訓読みの漢字は平仮名に開く傾向があるので、この文字遣いの変更は（「白鯨」第二号掲載論考の副題の場合と同様に）別に不自然ではない。
もう一つ、『異文』について書いておくべきことがある。全五章から成る本書は、おもに詩的方法論、近代詩人論（中也、光太郎、静雄、朔太郎、啄木）、同時代詩人論（清水昶、永島卓、藤井貞和、佐々木幹郎）、状況論、フランス詩人論（ネルヴァル、マラルメ、ランボー）から成っているのだが、これら二十代後半に集中的に書かれた論考エッセイがことごとく苦しげな身振りで書かれているように思われてならない。「朔太郎の迷夢」についてはすでに述べたが、他の諸篇についてもほぼ同様に、陰鬱な印象がどうしても拭えないのである。著者自身「あとがき」で「ぶきような仕事の後退戦」と呼び「じつに内心忸怩たるものがある」と書いていることからも推察されるように、自らの青春を封印するための書、という位置づけができるのではないだろうか。ついでに述べるなら、翌一九七四年には鈴村和成の第一詩集『青い睡り』が永井出版企画から刊行されている。
『異文』の「あとがき」を一部引用しておこう。
これはすべて、一の精神史の病理から地理までを書きつけた、過去の反省によりなりたつてゐる。頁の裏にくまなく封じこめられた二〇代後半をまのあたりにして、その寒酸に身の毛のよだつ思ひがする。あらためて同じ自分をくりかへさないためにも、すなはち異なる自己、異人のために、この書物をあへて世に問ふ必要があつたのだ、さう信じたい。
なんとも憂鬱な告白に見えるが、これが当時の嘘偽りのない本音であっただろうことは、本文の内容を見れば明らかだ。ここに用いられている「異人」というキーワードについても、もはや繰り返すまでもない。「あとがき」の続きを引用する。
題して異文とした。
その意味は、異界よりの消息、異人のたよりを衒ふいささかの誇りと、本文たるにはいまだしの感を払へないので、せめて異稿なりとしてよみ捨てられよとの謙遜と、ふたつながらの感想が、こもごもこめられてある。――異文ばかりをつみかさねて、永久に本文に達しないうらみをのこす、そんな惧れもなしとしない。
「異人」から「異文」へ。こうして若き仏文詩人の憂鬱は「誇り」と「謙遜」をまといながらひとまず幕を下ろした。幕が下ろされた以上は、しばらくの休息＝沈黙が訪れなければならない。「白鯨」第三号から鈴村論考が消えたのも、さらに、一九七四年の第一詩集刊行後にあたる第五号（一九七四年十二月十五日刊行）から鈴村の詩が消滅したのも（ついでに加えるなら例のヨーロッパ旅行も）、第一幕終了のためだったのだ。第一詩集の表題作「青い睡り」はまさにその直前にあたる第四号（一九七四年六月二十五日刊行）に掲載されているのだ。鈴村和成がその第二幕と見るべき「本文に達」するのは「白鯨」以後の活動――それもかなり長期にわたる――においてなのである。
仏文詩人の系譜など
最後にいくらか個人的な蛇足を書き加えておく。先述したように、私は同時代的に「白鯨」に出会いそこねた。が、若きフランス文学者・詩論家である鈴村和成の論考にはほぼ同時代に出会っている。先に挙げたランボー論と萩原朔太郎論のことだ。自分より九歳年長の学匠詩人（古い言い方だが）が関西在住の一大学生にとって眩しい存在だったことを覚えている。思い起こせば、この頃、本格的なフランス文学者で詩人という存在は現在よりはるかに多く充実していた。ざっと思い浮かべるだけでも、渋沢孝輔、窪田般弥、飯島耕一、有田忠郎、天沢退二郎、入沢康夫、安藤元雄など。いずれも私自身から二十歳ほど年長の人たちだ。その十年下、つまり私より十年ほど年長の鈴村さんは、私自身が範とすべき好ましい仏文詩人と映っていた。それと同時に、フランス文学の専門的研究者として、とりわけランボーのような非古典的詩人の研究を持続しながら、詩人であり続けることの困難をも少なからず感じ取っていたように思う。
一九七〇年代から八〇年代にかけて、さらにそれ以後、仏文研究も現代詩も大きく環境が変化していった。その変化を端的に表すなら、どちらも激しく悪化の道をたどった、ということになるだろう。逆風に次ぐ逆風だ。加えて、大学教員としての「生活／現実」の蹉跌も困難の一つであっただろう。「白鯨」第二号に「他の多くの生活」と書いた鈴村さんの意識内には、仏文学者／大学教員としてのさまざまな義務、抑圧、軋轢、葛藤、そして希望などが、総体として一つの憂鬱を醸し出し渦巻いていたのではないか。私自身の（仏文研究と現代詩に関する）乏しい経験からも、そのように推測できる。
若き仏文詩人として出発した鈴村和成が第二詩集『微分せよ、秒速で』（書肆山田）を刊行するのは一九八八年（四十四歳）、研究者としてのモノグラフィ『ランボーのスティーマー・ポイント』（集英社）が一九九二年（四十八歳）、『ランボー、砂漠を行く』が二〇〇〇年（五十六歳）、さらにランボー研究の集大成と呼ぶべき『ランボー全集』の個人新訳（みすず書房）は二〇一一年（六十七歳）だ。決して短くはないこれらの文学遍歴の本格的出発点（つまり第一幕の終焉と第二幕の胎動）が「白鯨」の時代と重なっていることを確認し、若き仏文詩人の憂鬱にあらためて思いを馳せたいと考えている。
さらに蛇足をもう一つ。私自身が畏友長野隆（一九五一ー二〇〇〇）らと共に研究同人誌「詩論」を創刊したのは一九七九年（一九九四年、第十五号で終刊）。「白鯨」第六号から四年後のことだと、今回初めて気が付いた。「白鯨」と「詩論」は意外と隣接していたのだ。この雑誌に私は最初ロートレアモンを書き、次にボードレールを、そして福永武彦、宮沢賢治、萩原朔太郎を書いた。この経験は「ボードレール・プログラム」の「フランス詩サイクル」と「日本詩サイクル」として現在まで私の現代詩史観を形成し続けている。一方、長野隆はおもに萩原朔太郎と伊東静雄について書き、重要なモノグラフィを二冊遺した。いま長野が生きていたら、鈴村詩学について二人で、いや、できれば鈴村さんを囲んで三人で、ゆっくり語り合いたいのだが、とひそかに夢想しているところだ。