杉山平一の詩学（３）

『声を限りに』に流れている時間　

（「びーぐる」第３０号）

山田兼士

　杉山平一の著作『ミラボー橋』（一九五二年）を「詩集」と見た場合、一九六七年刊行の『声を限りに』は第三詩集ということになる。ただし、前作『ミラボー橋』は他の著作とは大きく異なった特殊な作品なので（拙稿「『ミラボー橋』は詩集か小説集か　杉山平一の詩学（２）」「びーぐる」二三号、参照）、詩集『声を限りに』には第一詩集『夜学生』（一九四三年）以後の長い時間が流れていることになる。『夜学生』は刊行当時もそれ以後も中原中也賞と文芸汎論賞を受賞するなど相当の評価をされたし、戦後の文学上の立場も（「四季」派詩人に対する詩壇での敵視蔑視はあったにせよ）それなりに確立していた詩人にしては、この二十四年という空白はいささか不自然に見える。沈黙していたのではない。折りにふれ作品依頼はあったし、杉山さんもこれに応じて相応の作品を発表してきた。ただ、一冊にまとめようという意志も気力も生じなかった、というのが実態だったと考えられる。それくらい、詩人の三十代四十代は艱難辛苦の時期だった。

　土曜美術社刊の『杉山平一詩集』（一九八五年）の年譜によれば、この期間の杉山さんは、公私共に大変な苦難の連続だったことがうかがわれる。まず戦争末期、父親が経営し自身も勤務していた尼崎の工場が空襲で炎上、敗戦をはさんで二人のご子息が相次いで病死、工場経営の仕事のかたわら映画批評や詩作に携わるが、会社経営は悪化の一途をたどり、労組、債権者、金融業者、暴力団との葛藤の日々を経てついに倒産。その間には母親を亡くしてもいる（昭和三十六年）。父親の財産をほとんどなくし家屋敷も手放して宝塚で父と借家生活を始めるのが昭和四十一年（一九六六）、帝塚山学院短期大学教授に就任したのと同じ年である。杉山平一はすでに五十二歳になっていた。（余談だが、当時の帝塚山学院短期大学で杉山平一が担当したのはおもに「映像論」、小野十三郎が「詩論」を担当していた）。その翌年、詩集『声を限りに』が思潮社から刊行されるのである。

　第一詩集以後、四半世紀に近い時間を含む本詩集には、初期から後期にかけてのいくつもの変化が含まれているが、一方で、初期作品から変わらず一貫した詩想も見られるのであって、そこに流れている長い時間が、本詩集を単純には読み解けない要因になっている。

　詩集『声を限りに』の「あとがき」で詩人は、まず、『夜学生』以後に書いて散逸していた作品を集めて「添えもの」にしておこうと思った、と書いている。「四季」終刊後の孤立と、若き日の友人であった立原道造と津村信夫に思いを馳せながら、師・三好達治への遠慮と畏怖などを記した後に（このあたりいかにも杉山さんらしい謙虚な物言いだ）、自らの詩作を飛行機の低空飛行になぞらえ、次のように書いている。

　地上すれすれの滑走をつづけるうちに、もはや大空には新鋭のジェット機が飛び廻っている。「詩の大空よ、さらば」などといって墜落しようと思ったが、「詩よきみとお別れする」と宣言しながら室生犀星氏はまた詩を書かれたし、中原中也氏のように「在りし日の歌」などという題名をつけると本当に縁起でもないことになりかねないので、そんなことはいわないことにした。一夜、私が何十年も実業や映画批評の世界にいる矛盾を述懐したとき、小野十三郎氏が「きみは詩人以外の何ものでもないよ」といわれた言葉を思い出し、自分流に解釈して元気づけ、もう一度機首を立て直して自分のコースを試みようと思うのである。　（「あとがき――墜落を前に」『杉山平一全詩集〈上〉』一九九七年、編集工房ノア）

　「あとがき」前半部もそうだが、後半部に記されている詩人たちの名前からも、杉山平一の歴史的位置があらためて思い起こされる。一九一四年生まれの杉山さんは中原中也より七歳、小野十三郎より十一歳、年下なだけなのだ。立原道造とは同い年である。この時すでに歴史上の人物でもあった五十三歳の詩人は、若い世代の詩人たちを「新鋭のジェット機」に喩え（機械好きの詩人らしい比喩だ）、自らを「墜落」目前の滑走機になぞらえている。ジェット機とは「荒地」や「列島」や「櫂」の詩人たちや、さらに若い「現代詩人」たちのことだ。

　それにしても、同じ関西に居住し勤務先も同じでありながら全く正反対にさえ見える小野十三郎と杉山平一が、実は互いを高く評価し合っていたことは、今後の文学史的評価の文脈でもっと重視されるべきだろう。その小野十三郎の「きみは詩人以外の何ものでもないよ」の一言は決して社交辞令とは思われないし、「自分流に解釈して元気づけ」というのも思いのほか深い「解釈」の深淵から生じた意思表示と考えられるのだ。その内実にせまってみよう。

つめたい風にさらされて

僕は一個の種子のやうだ

土に埋れるやうに

暗い寝床に埋れて

ひそかに殻から芽を出すのだ

ああ湧きくる思ひ出　（「種子」全文）

　旧仮名遣いから推測するとかなり早い時期（おそらく戦後まもなく）の作のようだが、詩集『声を限りに』では全作品がほぼ同様の旧仮名使いを採用しているので（一九六七年当時にはいくぶん古風な感じを与えたかもしれない）はっきりした年代推定は難しい。ただ、詩人自身が「あとがき」で本詩集を『夜学生』の拾遺集のように位置づけているので、かなり古い作品を含んでいることは疑いない。また、『全詩集』版には「「声を限りに」拾遺」として二十篇が収録され、その多くに初出データが記されていて、そのうち最も古いものが昭和十八年（一九四三）十二月の「文芸汎論」、最も新しいのが昭和三十六年（一九六一）十一月の「詩苑」だが、その多くは昭和二十年から二十七年の間に集中している。右に引用した「種子」もまた、昭和二十年代の悪戦苦闘の生活のさなかに書かれたものと推測される。

　辛い境遇にめげそうになりながらも自らを土に埋もれる種子になぞらえることで「ひそかに殻から芽を出す」機会を狙っている、と読めば平明な作品だが、最後の「ああ湧きくる思ひ出」はやや複雑なニュアンスを帯びている。「湧きくる」のは希望や期待ではなく「思ひ出」なのだ。何の思い出なのか。青春期の？　幼児期の？　あるいは夭折した長男（執筆時期によってはさらに次男）の思い出であるかもしれない。短く易しいフレーズで多義的かつ深遠な（うっかりするとつい見逃してしまいかねない）イメージを創出するのは、この詩人の終生変わらぬ特長である。

勤めに疲れきつたからだに

はげしいジャズが

一杯の焼酎のように入つてきて

すでにたそがれた心の中に

パッと電気がつく

すると見え出すのだ

たのしかつたむかしのこと

ふたたび会えぬあなたのこと

亡くした二人の子供のこと　（「ジャズ」全文）

　長男を亡くしたのは昭和二十年（一九四五）二月、次男は昭和二十三年（一九四八）八月に亡くなっているので、この作品がそれ以後に書かれたことは確かだ。「あなた」とは過去の恋人だろうか。あるいは夭折した立原道造のことかもしれない。いずれにせよ、深い喪失感の中で「たのしかつたむかしのこと」を思い出すのはただ辛いだけではない。ジャズと焼酎が心の中に電気を灯すように、疲労の中にかすかな慰安をもたらすのもまた、思い出にほかならないのである。

　右に挙げた二篇は、どちらかというと苦難の生活を背景に生まれた作品との印象が強いが、本詩集には、やはりこの詩人特有の磊落かつ健全なユーモアも漲っている。

飛行機や超特急で、ずいぶん時間が短縮されたのに、出発前一時間も前から出発点にきて待つている人があります

また発進の合図が終つたころ、カタカタカタカタ音をさせて、いきせき切つて走つて乗り込む人があります

それからまた、出発したあとのガランとしたホームにとび込んできて、つつ立ち、ぼんやり時間表などを見あげて、ひとり言をいつている人があります

それが私です　（「遅刻者」全文）

　自虐とも自戒ともいえるユーモアは杉山さんが得意とするところだ。この年代の人としては長身であることから、いつも身を持て余して窮屈に世間をわたってきたこと、それとは一見逆に、自儘で悠然とした（関西弁でいうと「どんくさい」）性質のため他人との競争にいつも負けてきたことなどが、度々ユーモラスな語り口で描かれている。一行めに「超特急」とあること（新幹線の開通は一九六四年）、それに「つ」以外には新仮名遣いが用いられていることから、比較的新しい作品と推測される。

　もう一つ、杉山流諧謔に満ちた作品を引用する。

十年前、バスを降りて

橋のたもとの坂をのぼり

教会の角を右に曲つて

赤いポストを左に折れて三軒目

その格子戸をあけると

長谷川君がいた

きよう、バスを降りて

橋のたもとの坂をのぼり

教会の角を右に曲つて

赤いポストを左に折れて三軒目

その格子戸をあけると

やつぱり長谷川君がいた　（「退屈」全文）

　全文を読んだ後であらためてタイトルを眺めると思わず吹き出してしまうような、とぼけた味わいの作品である。おそらく天性の、と思われる（あるいはイギリス仕込みの紳士だった父親の影響かもしれない）悠然たるユーモアで、まさに苦難続きの壮年期を乗り越えた詩人は、五十代以後の長い（四十数年間の）詩人人生に向けて、ゆっくりと、だが着実な歩みを始めたのである。