『ミラボー橋』は詩集か小説集か

　杉山平一の詩学（２）

（「びーぐる」２３号）

　山田兼士

　杉山平一の生前最後の著作は詩集『希望』（編集工房ノア、二〇一一年）で、その一つ前は『巡航船』（同、二〇〇九年）である。一方、第一詩集は『夜学生』（一九四三年）で、第二「詩集」は『ミラボー橋』（一九五二年）だ。このうち『巡航船』は前半部がまるごと『ミラボー橋』なので、杉山さんは文学的出発の二番目と最後から二番目の位置に、同じ『ミラボー橋』を置いたことになる。偶然といってしまえばそれまでだが、この一致には何か不思議な符合があるように思われてならない。作品『ミラボー橋』の特殊な性質が、この符合を実現したように考えられるのだ。そもそも『ミラボー橋』を詩集と呼ぶべきか小説集と呼ぶべきかが、作者自身の態度も含めて、きわめて曖昧なのである。煩を厭わず、年譜に沿って経緯を見ておこう。

　『ミラボー橋』刊行当時、杉山さんは「あとがき」冒頭に「これらが、厳密な意味で小説と呼ばれるべきかどうかは、私にもよくわからない」と書いた上で「詩では歌へず、小説では歌ひすぎるのが自分のわるい癖だが度量のひろい小説はこれを許容してくれるやうな気がする」として、結局は広い意味での小説との認識を打ち出している。さらに「あとがき」には、全十五篇のうち「父」は「科学技術小説のつもりで書いた」し、「恋する人」は小説一般を意識して書き、「ミラボー橋」は雑誌発表時に「詩として取扱はれ」、「星空」は「探偵小説として取扱はれ」たと書かれている。要するに、作品ごとに評価の異なる諸作品を一冊にまとめた、ということのようだ。その刊行意図は、次の言説によって明らかにされている。

　この本が詩集であるか、エッセイ集であるか、小説集であるかを私はあまり気にしない。ただ私の独自のものであるかどうかを心配してゐる。

　いかにもこの詩人らしく謙虚な物言いに見えるのだが、実のところはどうか。その後、一九八五年刊行の土曜美術社版『杉山平一詩集』では「散文詩集」として扱われ、一九九七年刊行の『杉山平一全詩集（下）』（編集工房ノア）では「年譜」中に「散文詩的小説をあつめて」との記述があり、帯文には「詩業・詩小説集成」との文言が見られる。さらに、二〇〇六年刊行の思潮社版『杉山平一詩集』の「年譜」には「散文詩集」と記されている。

　ここで注意すべき点は、思潮社版『詩集』には『ミラボー橋』からの収録作品が一つも含まれていないということだ。一方、土曜美術社版『詩集』には僅か三篇ではあるが「散文詩集『ミラボー橋』より」として収録されている。両者の間には二十一年の隔たりがあり、特に、二〇〇四年刊行の『青をめざして』が思潮社版で（いずれも短い作品ながら）七十八篇収録されていることから、スペースの都合上『ミラボー橋』からの収録を断念した、とも考えられるのだが、一方で、その五年後に刊行された『巡行船』に「拾遺」三篇を含む「完全版」と呼ぶべき『ミラボー橋』を収録したことは、この作品集に対する作者の並々ならぬ思いを示している。

　以上の経緯から見られるように、杉山平一は、一九五二年刊行の自身三冊めの本――二冊めは夭折した二人の息子への「はなむけ」（思潮社版『詩集』）として書かれた童話集『背たかクラブ』（国際出版、一九四八年）――を「小説集」「散文詩集」「散文詩的小説」「詩小説」と様々な呼称で呼んでおり、生涯にわたって迷い続けたことがうかがわれる。『ミラボー橋』刊行以後、杉山平一は、詩集、評論集、エッセイ集を出して行くのだが、小説集は二度と刊行されることがなかった。この点に本作品の独自性を見ることで、杉山作品全般における位置づけを試みたい、というのが本論考の目的である。

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　まず、『ミラボー橋』全十五篇（「補遺」を除く）の概要を見て行こう。便宜上、これを四つのタイプに大別してみたい。

（１）一人称小説（的作品）―「虚像」「月明」「星空」「春寒」「恋する人」

（２）三人称小説（的作品）―「父」「動かぬ星」「季節」

（３）エッセイ的要素の強いもの―「陰影」「巡航船」「あしあと」

（４）詩的要素が特に強いもの―「ミラボー橋」「黒」「暗い手」「通信教授」

（注）「父」の語り手は一人称だが主人公は「父」なので「三人称小説」に分類した。

　全十五篇中八篇が「小説」または「小説的作品」と見なされるが、もちろんそれらの作品にも「詩的要素」は含まれている。また、「エッセイ的」作品に分類した三作品は、いずれも思索的または批評的散文詩とも呼べるものなので、（３）と（４）の合計七篇を、より詩的要素の濃い作品群と呼ぶこともできる。つまり、作品集『ミラボー橋』は小説的作品八篇と詩的作品七点から成っている。作者自身が繰り返し迷った原因の一つはここにある。

　では、この作品集は小説と詩の混合という、ある意味で中途半端なものなのだろうか。私はこの混合を、むしろ新しい様式を求めた新奇な詩的実験の結果と考えている。「散文詩的小説」といい「詩小説」といい、要するに詩的要素の強い作品はすべて「散文詩」と呼んでいい、という考えである。ボードレールにまで遡って論証するつもりはないが、散文詩集の嚆矢とされる『パリの憂愁』には、瞬間的な絵画イメージの作品もあればエッセイ風の短詩もあり、会話のみから成る作品もあれば、物語的構造とストーリーを備えた短篇小説風の作品もある。その後のロートレアモンやランボー、コクトー、グラックといった先例を見て行けば、散文詩というジャンルの許容範囲の広さは誰にでも理解できるはずだ。もちろん、萩原朔太郎以後の日本現代詩においても同様である。杉山さんは「小説」を「度量のひろい」ものと認識したが、散文詩はさらに「度量のひろい」ものである、そうでなければならない、と私は考えている。

　ここでは、ひとまず（３）と（４）は措くとして、（１）と（２）のどこが詩的＝散文詩的であるのか。実例を挙げてみよう。

　青空や月明は子供のときから見てゐた筈であるが、それを意識して見るにはやはりある時期を待たなければならない。環境にもよるであらうが、青空の深さ青さを美しく思つたのは中学生の終りの年頃であつた。月明を美しいと思つたのは、高等学校へ行つてからである。私の学校は山陰の湖に臨んだ水の多い古風な町にあつたから、掘割の水まで月明に染まる町の様子は余計私の当時の年頃に訴へるものがあつたのであらう。　　　　　　　　（「月明」冒頭）

　杉山平一が松江高校に入学したのは一九三一年、十六歳のことである。親元を離れ一人暮らしをし始めた頃の心細さが次のように描かれている。

　はじめて遠く家庭を離れてその寄宿舎に入つた私は、夕方町の灯のともるのを見るとにはかに家庭が恋しくて涙ぐみさうになつた。寄宿舎の図書室には、「改造」だの「中央公論」だのむづかしい雑誌がそなへつけてあり、日本は行詰つて満州事変をおこし崩壊せんとしてゐるといふ風な文句が書いてあつて夥しい伏字が並んでゐるのを、胸をどきどきさせて見た。　　　　　　　　　　　　　　　　　　（同）

　いずれもさりげない描写だが、思春期の少年の揺れる心、時代背景、古都の情感などが簡潔に描かれていて、心地よいリズムと共に、詩的と呼ぶしかない抒情が伝わってくる文章ではないだろうか。杉山少年はこの土地で独逸語や倫理や哲学の講義を受け、町の映画館に通い、そこで山中貞雄監督の「小判しぐれ」や小津安二郎監督の「東京の合唱」を見て次第に映画に魅かれて行くようになる。学校時代を振り返って書いたのは次のような文章だ。

　私は学校時代何を求めてゐたのでもない。私はただ自分をもてあましてゐたのだ。学期の終り毎の帰省の夜汽車の狭い席に、足が邪魔でうまく横に寝れず、輾転としてゐたものだ。自分の青春はあの足のやうなものであつたのだ。　　　　　　　（同）

　昭和初期の青年としては長身の杉山さんは、「もてあまし」気味の自身を「足」の換喩でしばしば語っている。「自分の青春はあの足のやうなもの」とは詩的隠喩であると同時に実に的確な換喩でもある。

半ばは強制された一々の学問を、読み返しその意味にはじめて気付いたりするのである。人生に於ける青空や月明のやうに青春もまた理解するにはある時期を待たなければならない。　　　　　（同、末尾）

「青春」から二十年ほどを経た詩人の感慨が呟かれているのだが、「ある時期を待」つことの必然を冒頭の「月明」のイメージに重ねることで、作品は円環を完成する。この構造意識もまた詩人特有のものと言えるだろう。

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　一人称で語られる自伝的小説において、杉山平一は、平易で率直な語り口の中に、自らの過去への郷愁と自責と認識を繊細に描き出している。その口調はあくまで穏やかで和やかだが、同時に繊細かつ鋭敏である。三人称を用いた（より小説的な）作品においても、この特徴は変わっていない。

　全八章から成る作品「動かぬ星」は、主人公「彼」の来歴を主題にしているが、やはり自伝的要素の強い作品だ。「彼」は工場に勤める管理職であり、軍隊体験のある文学青年であり、「ラッシュアワー」という詩をつくったことがあるという。「ラッシュアワー」は杉山平一の第一詩集『夜学生』に含まれる詩であり、多少の改変はあるもののほぼ同じ内容で引用（自己引用）されている。これらはいずれも「彼」が作者自身の投影であることの証明といえるだろう。「彼」は幼子が自分に向かって手をあげているのを見て「思はず三好達治の詩の一行を口ずさ」みさえするのである。

　作品「動かぬ星」は、冒頭に総論的思索が置かれ、続いて具体的な出来事や事件が展開される、という形式を取っており、これはボードレール『パリの憂愁』にもしばしば見られる叙述法だ（例えば「不都合なガラス売り」）。孔子の箴言から「無為」という主題を引出し、自らの青年期における無為への志向と恐怖を述べて行くのが、作品の中間部分だ。具体的な出来事を述べながら、叙述は、雑踏についての考察や六人兄弟の長男であることの恥ずかしさや孤独癖や組織との葛藤などについて、自在に流れて行く。途中でパスカルやトルストイやカーネギイーなどのエピソードも飛び出して、名演説を聴かされているような気になるところさえある。次に引用するのは「期待」をテーマにする「五」の章で「著名な雑誌の編集長から、詩を依頼する手紙を待つてゐる」時の描写である。

　永い間誰からも手紙が来ず、返事も来ず、うなだれてある夜帰つてきた彼は、入口の郵便函に白い一枚の手紙が入つてゐるのを見つけた。誰から、どこからきた手紙だらう。しばらく空想をたのしむやうにゆつくりして、彼は手をのばした。そしてそのまま立ちすくんでしまつた。それは手紙ではなかつた。函の入口から洩れる白い月光なのであつた。見上げると澄んだ月が、淡い雲の間を走つてゐた。ふつと目頭があつくなつた。なさけないよりも、その天上の手紙が彼を感動的にしたのであつた。

（「動かぬ星」より）

　これを散文詩と呼ばずしていったい何が散文詩なのか、と言いたくなるほどの描写ではないだろうか。期待から喜びへ、現実認識から落胆へ、そして感動へ、という心の動きがまるでスローモーションの映像のように、切々と、鮮やかに、そして静かにかつ活き活きと展開している。月光が織りなす「天上の手紙」とはまさしく詩そのものではないだろうか。

　作品「動かぬ星」の「八」章（最終章）で、「彼」は「自分を遠く離れてきた多くの位置や身分、それらの中に自分はまぎれこんでしまつたのではなからうか」と自問しながらも「柄に合はない」仕事や位置によってこそ自分を知ることができたのだと思い直し、その思いを「彼」が「七通り知つてゐる」という「北極星の見つけ方」に重ねて「おそらく星一つない夜に、北を知ることができないやうに、自分を離れなかつたならば自分といふ北極星を知ることができなかつたであらう」と認識し、最後に次のように結論付ける。

　この動かぬ自分とは何であるか。これまで彼はそれを知るために漠然と、自分から遠いものを求めようとしてゐたのではないか。そのどれがポインターであるかは知らぬ。又その方法がいくつあるかは知らぬ。而もどの一つも、自分自身が何であるかを指してゐるのに、今更彼はおどろく思いであつた。

（「動かぬ星」末尾）

　この驚きもまた紛れもなく詩であるだろう。なぜなら、ここで驚きとは発見と同義であり、新奇なる事実の発見にこそ詩はひそんでいるのだから。

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　本稿ではおもに、『ミラボー橋』収録の「小説的作品」を散文詩として読むことを試みてきたのだが、最後に最も詩らしい散文詩として表題作を見ておきたい。

アポリネールの「ミラボー橋」の、水はながれて橋はのこるといふなだらかな詩を読むたびに、僕はなぜか、年頃の少女にむかへられて少女が成長すると捨てられてゆく少女挿絵画家のことを思ひ出す。時代が変つても、その存在はのこる。竹久夢二なきあと、そのタイプはつぎつぎにうけつがれてゐる。

（「ミラボー橋」冒頭）

　アポリネールの（時代から見ておそらく堀口大学訳による）詩にうつりゆくものの儚さを読み取った詩人は、宝塚少女歌劇の「レビュウガールの一人」へのひそかな思いを呼び起こし、青春期の淡い憧れをデリケートに描き出している。ひそかに「眼をつけてゐた」好みの少女が起した駆け落ち事件を新聞記事で知った時の驚愕と落胆。その少女がある食堂の勘定場にいることを知って遠くから見守るようなことが続いた後、食堂が閉じているのを見た「僕」は友人にこう尋ねる。

「あの食堂はどうしたの、何だか歌劇にゐたとかいふ娘がゐたらう」

「あれは越して行つた。あの娘はね、コックと関係して、妊娠してしまつて家出したさうだよ」

　僕は何だつまらないといふ風な軽い返事をしてそつぽむいた。そしてこみ上げてくる慟哭のやうなものを、おさへるためしばらくだまつてゐた。

（同、末尾）

　この「慟哭のやうなもの」が杉山平一の詩の核にあることはおそらく疑いない。このことを実証するためには、『ミラボー橋』に続く第三、第四詩集を読解する必要があるだろう。次の課題としたい。