詩とは何か　散文詩問題に即して

（「詩の練習」第１１号）

山田兼士

　「詩とは何か」という難問(アポリア)は、昔からあるように見えて、実はそれほど古いものではない。西洋詩の場合、十九世紀中頃まで、詩poèmeといえば韻文versを意味していたので、「詩とは何か。韻文で書かれた文学作品のことである、以上、説明終わり」で済んでいた。韻文――リズムと脚韻に一定の決まりのある文学表現――が詩であって、それ以外は散文proseと呼んで区別していたわけだ。したがって、韻文詩poème en versというのは元来同語反復に過ぎない。この表現が必要になったのは、新たに登場した「散文詩poème en prose」と区別する必要が生じたからだ。十九世紀半ばのことである。

　十九世紀半ば、アロイジュス・ベルトラン『夜のガスパール』（一八四二年、死後出版）を先駆としボードレール『パリの憂愁』（一八六九年、死後出版）を決定的出発点とする散文詩の登場で、詩は形式ではなく内容の問題として問われることになった。これはフランスの場合だが、西洋の各国でも事情は同じであり、明治以後の日本詩においても、半世紀ほどの時間差はあったものの、同様の事情をたどった。萩原朔太郎『月に吠える』（一九一七年）を「口語自由詩」の確立点とする近代詩観は古くから定着しているが、ここでいう「自由」とは形式からの自由であり、そのため、やはり「詩とは何か」は形式ではなく内容の問題として問われることになった、という点において西洋詩の場合と変わりはない。ただ、フランス詩の場合、「韻文」に対する「散文」詩の登場の後、韻文と散文のいわば中を取るかたちで「自由詩poème libre」が成立したのだが、日本詩の場合には「自由詩」の後で「散文詩」が前景化した点が、事情を錯綜させる原因となった（犯人は萩原朔太郎）。おもに自由詩による『月に吠える』にも「散文詩」と称する詩篇があるにはあったが、これが前景に現れるには『宿命』（一九三九年）の散文詩群の登場まで、二十二年の歳月を経なければならなかったのである。

　「散文詩」と「自由詩」の順番は異なるにせよ、「詩」が形式でなく内容で問われなければならなくなったのは、この百年乃至百五十年ほど前のことである。詩が韻文から離れたことで、「詩とは何か」という難問(アポリア)が生まれ、その問いは「散文詩とは何か」という問いと限りなく接近することになった。したがって、ここで『パリの憂愁』の序文を改めて検証することは、決して無意味ではないだろう。すでに二冊の自著（『ボードレール《パリの憂愁》論』砂子屋書房、一九九一年、『ボードレールの詩学』同、二〇〇五年）で論じたことと重なるが、大事なことは何度言ってもいい、と日頃考えている私は、自説の繰り返しを厭わずに、全文を拙訳で引用しながら解説を試みたいと思う。

　　アルセーヌ・ウセーに（序文）

　親しい友よ、貴兄に小さな作品を送りますが、これには尻尾も頭もないなどという人があれば、それは不当と言わざるを得ません。というのも、逆にここでは、すべてが、代わる代わる、互いに、頭であると同時に尻尾でもあるのですから。考えていただきたい、こうした配合が、我々すべてに、つまり、貴兄にも、私にも、読者にも、どれほど素晴らしい便宜をもたらすものであるかを。私は私の夢想を、貴兄は原稿を、読者は読書を、皆が好きなところで切ることができるのです。それというのも私が、読者の御しがたい意欲を、余計な話の筋などという際限のない糸につなぎとめたりはしないからです。椎骨を一本抜いてごらんなさい。この曲がりくねったファンテジーは、いったん二つに割れながら、わけなく元通りにつながるでしょう。これをまたいくつもの断片に切り刻んでごらんなさい。そうすれば、一つ一つの断片が離れたまま存在し得ることがわかるでしょう。これらの断片のいくつかが、貴兄の気に入り、貴兄を楽しませるほどに生き生きとしたものであることを願いつつ、この蛇をまるごと貴兄に献呈させていただく次第です。

　はじめ一八六一年に「ラ・プレス」紙の編集長アルセーヌ・ウセーに宛てて書かれた手紙を元に、一八六二年、新聞連載開始にあたって掲載された「序文」の冒頭である。この時点ではまだ「パリの憂愁」の題はなく、全体は「小散文詩 Petits Poèmes en Prose（散文の中の小さな詩）」と呼ばれていた。その概要は、第一に、散文詩とは「小さな作品petit ouvrage」であること。内容においても様式においても、例えばロマン派の画家ドラクロワの「大芸術」から印象派の先駆者マネの「小芸術」へと、時代は大きく動きつつあった。その背景には、芸術の主たる享受者が王侯貴族から一般市民（民衆）へと移行しつつあった、十九世紀半ばの時代状況がある。ここには、時代の変遷を見抜く詩人晩年の芸術観が示されている、と言えるだろう。ここで言う「小芸術」には絵画だけでなく、版画、デッサン、漫画、写真といったサブカルチャーもまた含まれる。音楽においても事情はほぼ同様だ。一例として、ヴァーグナーとドビュッシーを並べれば一耳瞭然だろう。いわば「ミニマル・アート」としての散文詩の登場である。

　第二の要項は、「曲がりくねったファンテジー」、つまり蛇行するテクストであることだ。韻文詩集『悪の華』の重厚な建築スタイルと反対の、柔構造設計による建造物（例えばプレハブ住宅のような）であることが述べられている。この軽量化、柔軟化もまた、「小芸術」の特徴の一つだろう。

　貴兄に少々告白することがあります。少なくとも二十度目くらいでしょうか、アロイジュス・ベルトランの有名な『夜のガスパール』(貴兄にも、私にも、我々の友人の幾人かにも知られている書物ですから、有名と呼ばれる権利は十分にあるのではないでしょうか)を繙いていたときに、自分も何かこれと似たものを試みようという考え、彼が不思議なほど色彩ゆたかな昔の生活の描写に用いた手法を、現代生活の、あるいはむしろ、現代のより抽象的なひとつの生活の描写に応用してみようという考えが、頭に浮かんだのです。

　先駆者への敬意を払いながら自らの固有性を主張する一節では、「現代性」と「抽象性」がキイワードとなっている。「色彩ゆたか」に対して「抽象的」、「昔」に対して「現代」、「生活」に対して「ひとつの生活」を主張することは、抽象化した（せざるを得ない）現代生活をモチーフにしつつも、身近でより現実に密着した詩作を表明することである。

　我々のうちの誰が、野心に満ちた日々に、律動も脚韻もなく音楽的で、魂の抒情的運動にも夢想の波動にも意識の突発的揺動にも適応するほど、十分に柔軟で十分に対照の激しさを持った、詩的散文の奇跡というものを夢見なかったでしょうか。

　『パリの憂愁』のみならず「散文詩」を論じる際にしばしば引用される一節だ。律動（リズム）や脚韻といった音響性をすべて排した上でなお「音楽的」なイメージを描くこと。そのためには、イメージの対位法が方法的基軸となる。「柔軟 souple」であると共に「対照の激しさを持った heurté」表現形態とは、和声法から対位法への方法転換を示している。対位法によってこそ、韻文では表現しきれない「意識の突発的揺動」をも表現し得るような「詩的散文の奇跡」が実現するのである。

　この執念深い理想が生まれるのは、とりわけ巨大な都市というものと頻繁につきあうことからであり、都市の中での無数の関係の交錯からなのです。親しい友よ、貴兄もまた、「ガラス売り」の甲高い叫び声をひとつの唄に翻訳しようと、そして、この叫び声が街のどんなに厚い霧をも貫いて屋根裏部屋まで送り届ける物悲しい暗示のすべてを、抒情的散文に表現しようと、試みはしなかったでしょうか？

　ここでは、散文詩が都市の詩であることが主張されている。都市の中での無数の人間の交錯こそが散文詩のモチーフとなる。関係性の詩学、と呼びたくなるのは私だけだろうか。「抒情的散文」という微妙な言い回しが気になるところだが、自ら「ガラス売りの唄」という作品を書いたことのあるウセーへの皮肉混じりの賛辞、とひとまず理解しておこう。抒情的散文と散文詩は似て非なるものである。

　しかし、実のところ、私は、自分の競争心が幸いをもたらさなかったのではないかと恐れています。仕事にかかるとすぐに、私は、不可思議かつ秀逸な先人の手本に遠く及ばないばかりでなく、奇妙に異なった何か（それが何かと呼びうるものとしてのことですが）を作っていることに気付きました。 それは、私以外の人間なら誰でもおそらく自慢するような偶然ではありますが、 作ろうとしたものを正確に完成することを詩人の最大の栄誉とみなす人間としては、深く恥じ入らずにはいられません。

　貴兄の心厚き友　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 　　　Ｃ．Ｂ．

　ベルトランの「手本」に及ばないことを告白する謙虚な文面に見えるが、その反面、先人とは「奇妙に異なった何か」の独創性を主張し、にもかかわらず「作ろうとしたものを正確に完成する」こと、つまり無意識でなく意識的な創作を相変わらず重要視する、というのがボードレール詩学の要綱だ。詩は感情の吐露によってでなく思考と意図と思想によって構築されなければならない。『パリの憂愁』が現代詩の「決定的発端」（Ｇ・ブラン）と呼ばれる根拠の一つがここに示されている。

　以上、『パリの憂愁』序文をたどってきたのだが、その要項をごく簡潔に要約するなら、小芸術、柔構造、現代性、音楽的イメージ、都市生活、意識性、関係性、ということになる。これらの要素を展開することが「散文詩」の実践になる、ということだ。これらの要項を一つでも多く満たすことが、「詩とは何か」という問いに対する、現在時における、少なくとも一つの回答になるのではないだろうか。