■詩論時評（７）
豊穣な詩人論
（「びーぐる」２４号）
山田兼士
前号では「詩人論の快楽」と題した本欄だが、今回も魅力的な詩人論集がそろった。いつもよりやや多く、六冊の詩論書を紹介していきたい。
たかとう匡子『私の女性詩人ノート』（思潮社）は、与謝野晶子から新井豊美まで十四人の女性詩人を詩史的観点を中心に据えながら自在に論じた労作評論集。戦争をはさむ二十年程についての記述が特に興味深く、従来の詩史になかった新鮮な観点を示してくれる。
例えば、北海道に生まれて二四歳で夭折した左川ちか（一九一一―一九三六）と、鹿児島に生まれてやはり二四歳で夭折した藤田文江（一九〇八―一九三三）を並べて論じることで、早すぎた女性詩人たちの悲劇を立体的に描き出した手腕などは、並大抵のものではない。左川が生前すでに評価されたことと、藤田が没後にようやく評価されたこととの対照の背景に、当時の新開地と旧弊な土地柄の相違を指摘し、死後にもなお続く藤田の不遇を嘆きつつ正当な評価を求める著者は、この二人にさらに八九歳まで生きた永瀬清子を並べることで、女性詩草創期の苦難と葛藤をリアルに描き出している。特に、「おんなせい」を赤裸に追求し「人間のエゴイズムを突」きつつ様々な実験を「一冊の詩集のなかで全部やってしまっている」藤田文江の先鋭性の指摘には、引用されたフレーズとともに、ただ驚くばかりだ。
戦後に登場した詩人では、茨木のり子、新川和江、牟礼慶子、白石かずこ、吉原幸子、多田智満子、富岡多恵子、新井豊美の八名にそれぞれ一章が与えられているが、いずれの詩人にも鋭くしかも温かい視線が向けられていて、それぞれの特徴と役割が簡潔かつ的確に解説されているので、現代詩入門書としても大変ありがたい一冊といえるだろう。ここでは、本書中最も同時代詩人に近い存在（一九三五―二〇一二）である「新井豊美」の章から、末尾部分を引用しておく。
一九七〇年代を立脚点に据えて、戦後詩と向き合いながら自我を作っていく行き方、一九八〇年代に多くの女性詩人が女の生理や、その心理をきわめて露骨に表現したときも新井豊美は微動だにしなかった。いかにも思想詩人らしく、男女の区別をはるかにとおく乗り越えたところで書きつづけていったという点でも新井豊美は貴重な詩人といえる。
著者には、引き続き（新井豊美に続く）同時代女性詩人論を期待したい。
稲木信夫『詩人中野鈴子を追う』（コールサック社）は、中野重治の妹で、福井県で「農民詩人」として生きた詩人の五二年の生涯（一九〇六―一九五八）と作品を論じた、著者のライフワーク第三弾。戦前から戦中にかけてのプロレタリア詩運動の中での活動と度重なる失恋体験の中で社会に目覚めて行った女性詩人の存在価値を鋭く問いかける。奇しくも、右に上げた佐川ちか、藤田文江と同世代の詩人だが、その生涯は、やはり（不遇とはいい切れないものの）葛藤の連続だったといわなければならない。若い頃には兄とともに民衆の詩人として活躍しながら、家庭の事情で（当時なにより優先すべき事情だった）福井に帰ってからは農民詩人として生き続け、戦後には「ゆきのしたの会」を立ち上げて（「ゆきのした文化協会」として現在も活動中）郷土文学の発展に尽力した中野鈴子は、全国規模でもっと評価されるべき詩人だろう。稲木信夫のさらなる批評活動に期待したい。ここでは、稲木も本書中に引用している鈴子の詩「花もわたしを知らない」の一部を紹介しておこう。
春はやいある日
父母はそわそわと客を迎える支度をした
わたしの見合いのためとわかった
わたしは土蔵にかくれてうずくまった
父と母はかおを青くしてわたしをひっぱり
出し
戸をあけて押し出した ひとりの男の前へ
（中略）
花は咲いている
花もわたしを知らない
わたしは死ななければならない
誰もわたしを知らない
花も知らないと思いながら
張籠二三枝『三好達治詩語り』（紫陽社）は、戦中戦後の五年におよぶ福井県三国での足跡をたどることで、三好達治の重大な転換点の意義を明らかにしようとする力作評論。地元の有識者や青年たちとの交流、さらには萩原朔太郎の妹アイとの「逃避行」の事なども含まれるが、より重要なのは、作品への鋭く柔らかい眼差しだ。
この時期の三好達治を語るためにどうしても避けられないのは「戦争協力詩」の問題だろう。張籠は、戦時中の代表作『捷報いたる』（昭一七年）に言及した上で、戦後の達治の述懐（昭二一年）を引用し、次のように解説する。
終わってしまえば、すべてはむなしい努力であったということだろうが、戦争詩の一切が、ただ命ぜられるまま、灰のような心をもって詠われたのだとすることもまた、本当ではないように思われるのだ。需めに応じ果たした仕事であったにせよ、詩人はときに昂揚し、一民族中の詩人たることを、自負したのではなかっただろうか。
この微妙な問題を、著者は作品を例示しつつ、次のように展開していく。
国民詩歌のモラルというのは、戦争の是非を問うことと、おそらく次元を異にするのだ。大戦はすでに始まって、世界は変貌しようとしている。「道徳中の道徳ともいふべき、一つの統一的感情」が希求され、その役目を担うのが、詩人という存在だった。詩歌の力を恃む詩人はときに自ら声を励まし、昂揚あるいは悲傷のうちに、読む人の心を束ねることを、使命としたのではなかったろうか。
この先、論旨はさらに深められ、絶唱「ことのねたつな」に込められた「たおやかなもの」への愛惜や「冬の日」（『一點鐘』所収）冒頭の「閑雅な午前の平和」の詠唱を評価しつつ、憂国の詩人へと変容していく過程を描いていく。その間、師・萩原朔太郎の死（昭一七年）、その妹アイとの「逃避行」、さらに達治の離婚と再婚と離婚、という疾風怒濤のなかで詩作へと書き進んでいくあたりは、まるでスリリングなドキュメントのようだ。同時に著者は、詩の引用と解釈をあくまで中心に据えて、詩人の深層へと迫っていく。その先の展開についてはとてもここで紹介できないが、福井という土地に焦点を定めつつ戦争詩という深刻な問題に一石を投じた優れた詩論書である、とだけ紹介しておこう。
國峰照子『『二十歳のエチュード』の光と影のもとに 橋本一明をめぐって』（洪水企画）原口統三の遺著編纂者として知られる橋本一明（一九二七―一九六九）の四三年の生涯を描いた一冊。橋本は、ランボーやヴェルレーヌ等の優れた翻訳と研究で知られるが、繊細な詩人でもあった。著者は「序章」で「これは当時を知る人の引用による橋本一明のドキュメントである」と断りつつ、この人物を通して見えてくる群像や文化が「現代を生きる人たちにとって、何らかの示唆になるのではないか」と述べ、それは「私たち共通の日本という国の青春群像であったと思われる」と書いている。
本書の前半は、おもに原口統三と橋本一明の関係の諸相に費やされ、前者が後者に及ぼした影響が「純粋精神」という理念に凝縮されていく過程を描いている。橋本は、原口の遺著の刊行を託されただけでなく、原口死後の日本人の「純粋精神」を探究していく使命をも引き継いだ、という意味で、真の意味での遺言執行人と呼ばれるべきだろう。
後半は、橋本が『二十歳のエチュード』の刊行に奔走する姿を描くとともに、その後の橋本の文学的自立と仏文学者としての業績を軸に、当時の「青春群像」を描き出していく。飯島耕一や安藤元雄、安東次男といった詩人たちや、平井啓介、菅野昭正、粟津則雄といった仏文学者たちとの交流を経て、次第に文学者として成熟していく様子が活写されていて、読み物としての面白さが光っている。引用のかたちで随所に挿入される証言ともども、
長く読み継がれるべき書だと思う。橋本の遺稿詩集『モーツァルトの葬儀』に収録された詩「ドビュッシーの葬儀」を全文引いておく。
きみの棺は海に沈めようクロードよ
やがてみどりの藻の愛撫がきみをつつむだ
ろう
そうだ、きみの墓地には海がいちばんにあ
わしい
なぜなら、ぼくの住んでいる陸には、きみ
にふさわしいやすらぎの場所がないから
阿部嘉昭『換喩詩学』（思潮社）は、おもに吉本隆明詩学を視座に据えた原理的詩学探究の試み（その中心は隠喩から換喩へのシフトだ）と、時評的な作品解析の二部構成による四百頁の大著。換喩のもつ明示性とずれをいくつもの方角から検討する論旨が目を引く。
論考冒頭部分で、著者は、辻征夫や松下育男の作品を例証として、「詩の最もうつくしい機能を開花させる」換喩表現の特質を指摘した上で、次のように述べる。
詩の技術が吟味されなければ、換喩型の詩は読まれて印象にのこるだけで、その価値が素通りされてしまう。結果、詩の公がひろがらないのだ。それは回避されなければならない。
意味は理解されても「価値」が評価されにくいのが「換喩型の詩」のジレンマだというのだ。私自身もまた、高階杞一の詩や谷川俊太郎の〈こどもの詩〉などを論じる際にしばしば突き当たる問題なので、このジレンマはよく分かる。詳細を論じる余裕はないが、ここでは、その「価値」を発見し主張し続けることは詩論の重要な使命である、とだけ付け加えておこう。
さらに阿部は、一方で小島数子、貞久秀紀、まど・みちおといった詩人たちの換喩詩を論じつつ、他方で吉本隆明の詩と詩論を執拗に探究することによって、総合的かつ原理的な詩学を構成しようと努めている。当然そこには、音韻、律動、像、接続詞、助詞といった言語学的要因の探究が含まれるので、この探究は容易に達成されるものではない。ひとまず一段落といった印象で本書前半は締めくくられるのだが、続編を期待させるに十分な視野と野心に満ちた論考であることは疑いない。
本書後半部は、前半部とは打って変わって、「あとがき」に「詩的状況についての時評的な長論」とあるように、二〇〇八年から二〇一二年までに書かれた、自由闊達なエッセイ群だ。「現代詩手帖」年鑑号に書かれた時評がその中心だが、私は特に、「中堅」詩人について書かれた、二〇一一年の「展望」を面白く読んだ。文章冒頭で著者は、「中堅」ということの定義に迷いつつ「常に「責任」が介在し、書く主体はこれに自覚的にならなければならない」というテーゼを打ち出していく。こうした定義から出発して演繹的に論理を組み立て応用しようとするのは「原理的」詩学の特徴で、具体的作品論から帰納法的に詩学を組み立てていくことを常態とする私などにはなかなか真似のできないことだ（皮肉ではなく、だからこそエールを送り続けたいと本気で思っている）。「中堅詩人」を対象とすることを謳っている「小野十三郎賞」に十六年にわたって関わり続けている私なども、この問題には無関心でいられない。
阿部が本章で取り上げている詩集は、女性では宮尾節子の第五詩集、野田順子の第二詩集、森山恵の第三詩集、小島きみ子の第三詩集、北原千代の第三詩集など、男性では渡辺玄英の第六詩集、廿楽順治の第三詩集、山崎純治の第三詩集などだが、これらを「女性「中堅」詩作者たちが「やわらかい遅延」によって世界を生成し、不気味を創造しようとしていたのにたいし、男性「中堅」詩作者たちの一類型では、速読誘惑性が断裂を巻き込んでゆく眩暈こそを創造しようとしているかにひとまず見受けられる」と、総括的に述べているあたりが興味深い。本章の末尾を紹介しておく。
「ちがうもの」によって詩が更新されてゆく場そのものを、いまや中堅性と呼びかえるべきなのかもしれない。中堅の詩法こそが詩的世界を飽和している。
「飽和している」とは聞き慣れない語法だが、阿部詩学の文脈の中ではごく自然に読み取れてしまう。過剰と飽和の中でなお新奇を発明する事こそが「中堅」の「責任」なのだ、と。
中村不二夫『廃墟の詩学』（土曜美術社出版販売）は、敗戦直後の一九四五年から五一年までの詩の状況を総合的に捉えた力作評論。こちらも四百頁に近い大冊だ。戦時中から準備されていた、新しい詩への胎動が、戦後複雑な経緯を経て「荒地」「列島」そして「地球」へと展開していった様子が丁寧に書かれていて、重要な資料的価値もある。特に、戦後間もなく刊行された「ゆうとぴあ」（「詩学」の前身）や「コスモス」といった詩誌の文学史的意義については、いくら強調してもいいぐらいだ。私自身、『小野十三郎論』（二〇〇四年、砂子屋書房）を執筆中に「コスモス」が果たした戦後詩出発時点での重要性を繰り返し説いたことがあるので、この点には大いに共鳴を覚えた。
本書は、様々なメディアからの需めに応じて書かれた文章の集成といった性質上、記述に重複や繰り返しがあるのは当然だが、「大事なことは何度繰り返し述べてもよい」ことを信じる私としては、この繰り返しもむしろ心地よく有難いものと感じる。細部に触れる余裕はもうないが、著者が「荒地」重視の「詩壇ジャーナリズム」の偏向に対して「列島」の重要性を説き、さらに「地球」特に秋谷豊の仕事を重視する姿勢には、独自の価値観と信念が横溢していることを指摘しておきたい。「戦後詩復興と抒情精神」と題された三七頁におよぶ論考は、ほとんどが秋谷豊論で埋められていて、著者の詩史的立場を明確に示している。著者が「近代詩史上、傑出した希代のロマン詩人として語り継がれていくのではないか」と評する秋谷豊の作品をもっと読みたくなるのは、私だけではないだろう。