最新作が代表作　新川和江のこの一篇

（「PO」２０１５年春号）

山田兼士

　　ぶぅぶぅ紙を…

ぶぅぶぅ紙を

ぶぅぶぅ吹いてた

かぞえ年　九つの頃

若い叔父が

買いたての本の表紙から

惜しげもなくはずしてくれた　パラフィン紙

くちびるを押しあて

鳴らし方も教えてくれて

赤紙一枚で叔父は戦地に駆り出され

骨も帰って来なかった

父母の墓にも苔(こけ)が生えた

久しぶりに帰省し　香を焚(た)き

けむりの行方を目で追うと

青空の深いところに

ちかちか　ぴらぴら　光るものがある

ぶぅぶぅ紙のような

苦い粉ぐすりを包んで飲んだ

オブラートのような…

若しかして

あれがまだ残っているわたしのいのち

叔父の分も含めての　いのちであるなら

ぶぅぶぅ紙を

ぶぅぶぅ鳴らして

いましょうか　今しばらく

　新川和江にかぎらず、経歴の長い詩人の場合、過去に名作秀作があるのはもちろんだが、それでも最新作こそが代表作であってほしい、と願うのは読者として当然のことだろう。しかし実際には、幸福な例外をのぞいて、マンネリズムの危機を逃れて新鮮な新作を物することは、ベテランになるほど困難になっていく。谷川俊太郎や新川和江などはその幸福な例外といえるだろう。

「ぶぅぶぅ紙を」は、現在のところ最も新しい詩集『ブック・エンド』（二〇一三年十月、思潮社）の巻頭に収録されている。初出は、筆者が編集同人を務める季刊詩誌「びーぐる　詩の海へ」第三号（二〇〇九年四月、澪標）なので、筆者は（幸運なことに）本作品の第一読者ということになる。最初一読して、この詩人にはいささか珍しい「反戦詩」に驚いた記憶がある。もちろん、声高な批判ではなく、あくまで静かで穏やかな声調による反戦詩だ。戦争に駆り出されて戻らなかった叔父のことを、「ぶぅぶぅ紙」（なんとすてきな響きだろう）の思い出ひとつで表す換喩は、実に鮮やかなものだ。

　ところで、一九二九年生まれの詩人が「かぞえ年　九つの頃」といえば、一九三七年、日中戦争が始まった年だ。太平洋戦争はその四年後に勃発。終戦を迎えたのは数え年で十七歳の時である。まさに戦争のさなかに少女期を送ったことになる。叔父にかぎらず「赤紙一枚で」「戦地に駆り出され」生きて帰らなかった知人知己がほかにも大勢いただろう。だから、この作品で歌われているのは、多くの戦死者たちへの追悼の思いと、その惨劇を二度と繰り返してはならないという反戦の願いそのものといえるのだ。

　詩の後半では、久しぶりの墓参りの際に「青空の深いところに」――当たり前のように見えてなかなかできない表現だ――「ぶぅぶぅ紙のような」光るものを見つけて、その「ちかちか　ぴらぴら」――このオノマトペがまたみごと――「光るもの」を「まだ残っているわたしのいのち」とする隠喩が鮮やかだ。しかもそれは「叔父の分も含めての」「いのち」であるのだから、ここには命のリレーという重要なテーマが歌われていることになる。こうして「ぶぅぶぅ紙＝いのち」の等式を完成した詩人は、「今しばらく」の命をやさしくおだやかに抱き続けることを（これもまた穏やかに）宣言する。難しい言葉など一つも用いていないのに、魂の深所にまで鋭く響いてくる作品だ。「ぶぅぶぅ紙＝パラフィン紙」と「赤紙」のコントラストも鮮やかに、命の重さばかりでなく、命の軽さをも歌い切っているのはみごとというしかない。

　詩集『ブック・エンド』には、ほかにも佳作秀作が多く収録されているが、ここでは、最後に、「あとがきに代えて」と付記された短詩「はい、とへんじを」を紹介しておきたい。

鳥だった日がある

ちいさな魚だったことも

遠い日のわたしの声に

はい、とへんじをする。

　長い人生を経て来た人でなければ表現できない抒情というものがあるとすれば、たとえばこういうものだろう。気負いも衒いもまったく振り捨てて、遠い過去からの自らの呼び声に「はい、とへんじをする」のは、永遠の少女である詩人の現在なのだ。