萩原朔太郎と『四季』
（「びーぐる」２２号）
山田兼士
昭和八年五月創刊の雑誌『四季』は、二冊刊行後中断し、昭和九年十一月に堀辰雄、丸山薫、三好達治の編集で再出発した。いわゆる第二次『四季』である。一方、萩原朔太郎は同年六月に詩集『氷島』を刊行、第二次『四季』創刊号には「断章�氈vと称してアフォリズム七篇を寄稿している。以後、昭和十三年四月まで、十一度にわたってアフォリズムを中心に計四十九篇を発表。散文詩「虚無の歌」は昭和十一年五月、「臥床の中で」は昭和十二年一月、「物みなは歳日と共に亡び行く」は昭和十三年二月（ただし前年十二月『藝苑』発表作品の再録）、『四季』に掲載された。昭和十一年二月には『四季』同人に加わっている。
昭和十四年は朔太郎最後の詩集『宿命』が刊行された年だ（五月）。『宿命』には『四季』掲載作から右の散文詩三篇が収録され、「龍」と「群集の中に居て」の二篇が、一旦アフォリズム集『絶望の逃走』に収録された後に散文詩として再録されている。『宿命』の散文詩群七十三篇のうち、『四季』に掲載された作品は都合五篇ということになる。
萩原朔太郎と『四季』というテーマで書かれた論考がこれまでどれ位あるのか詳しく調べたわけではないのだが、おそらくそれほど多くはないと推測できる。なぜなら、一般に、萩原朔太郎の詩業は昭和九年刊行の『氷島』まで、それ以後はアフォリズム、エッセイ、時評などの散文作品がほとんどで、詩人としての活動はほぼ昭和九年で終わっている、とする見方が主流であるからだ。だが、昭和九年以後を詩人最後の収穫期（その収穫は昭和十四年の『宿命』）と見る筆者の観点からすると、これら『四季』掲載の作品群は決して看過できるものではない。本稿では、これら散文詩五篇を念頭に置いた上で、晩年の朔太郎と『四季』との関わりを考えていきたいと思う。
萩原朔太郎は、昭和九年から十三年まで、アフォリズムや散文詩を『四季』に寄稿するとともに、様々なメディアで『四季』の詩人たちを紹介、解説、批評している。例えば、昭和十一年十二月十四日付『帝國大学新聞』に掲載した「目覚める新人」では、民衆派以後散文化傾向にあった詩壇に「新しい希望の光」が見えて来た、と述べた上で、『四季』の詩人たちを次のように紹介している。
雑誌「四季」による詩人の一群は、かかる詩壇的新声の中に立って、特に著るしく時代を代表して活躍した。特に三好達治と丸山薫は、過去のきびしい詩壇的虚妄時代に生育し、新散文詩のニヒルな破壊的洗礼を受けながらも、よくその荒寥に耐へ、厳冬の中に節を守つて、純真の詩精神を持ち続けつつ、隠忍して今日の時代を開発指導したところの大功労者である。今日の詩壇に於て、彼等が衆望の名誉を一身に負ひ詩壇の双絶的秀峰を以て目される事も偶然ではない。そして他の若い詩人群、即ち津村信夫、立原道造、中原中也、神保光太郎等は、何れもこの「歌を呼ぶ時代」の詩壇を、それの青春性に於て最もよく代表してゐる新進である。
この時、朔太郎は五十歳、三好達治は三十六歳、丸山薫は三十七歳（堀辰雄は三十二歳）。津村二十七歳、立原二十二歳、中原二十九歳、神保三十一歳である。既に詩集『測量船』（昭和五年）等四冊の詩集を持つ三好と『帆・ランプ・鴎』（昭和七年）等三冊の詩集を持つ丸山の実績を考慮した上での賛辞であることは間違いない。中原『山羊の歌』は昭和九年に出ている。いずれも清新な「青春性」に満ちた抒情詩だ。老境にさしかかった朔太郎が、若い抒情詩人たちに父性的な眼差しを注いでいる、といえばいいだろうか。
これに先立つ同年初秋、『四季』第二十号に朔太郎は、「四季同人印象記」と題して、ユーモアを交えた闊達な紹介文を寄せている。その冒頭から見ていこう。
僕が「四季」同人になってるのは、どういふわけかと人によく聞かれる。別に主義を一にしてゐるわけでもないし、芸術行動を共にしてゐるわけでもないので不審されることは尤もだが、実は単なる友情関係なのである。但し僕が年長者なので、友情と言つても、自然に多少先輩的の取扱いは受けてるけれども、とにかく一種の友情関係にちがひない。それで以下「四季」の知友諸君について、漫談的に僕の印象記をかいてみよう。
「主義を一にしてゐる」わけでなく「単なる友情関係」というのが、朔太郎のみならず『四季』全般に通じているようで面白い。「漫談的に」という膝を崩した姿勢が朔太郎には珍しいが、実際、これに続く人物評（詩人評）は、いつになく磊落かつ率直なものである。まず、三好達治について、初対面の時の印象からその後の交流までを語った後に、陸軍幼年学校出身者らしく豪傑笑いをするような男性的一面に反して、実は「女性的に気の弱い人間である」という。
彼の純情さもリリシズムも、すべてこの女性的の気質を反映してゐる。彼の性格の中には、魂の不潔さといふものが少しもない。僕の知つてる範囲の中で、三好君は最も心情の高貴性と美しさを持つてる人間である。
後の戦争詩問題や戦後の遍歴などを知っている現在の我々が読むと、意外な指摘と見る向きもあるかもしれないが、いかにも「男性的」な高村光太郎の戦争詩などと比べて、三好達治の詩が「女性的」であることは確かだ。
次に、堀辰雄の肖像から一部を抜き出してみよう。
堀辰雄といふ男は、不思議に一種の雰囲気をもつた男である。彼の側で話をしてゐると、いつも何かの草花や乾麦のやうな匂ひがする。彼が香水をつけてゐるのではない。人物の性格から来る匂ひなのだ。
知的で温厚な佇まいを嗅覚に喩えるのは朔太郎ならではの感覚表現だろう。彼はまた、堀辰雄が中心にいると自然に「好い雑誌ができる」のは「他を惹きつける人徳の牽引力があるから」と称えた上で、次のようにも述べている。
しかしこの聡明さが、文学上では却つて彼を害毒し、作品を臆病なものにしてしまつてゐる。も少し彼が馬鹿であつて、我武者羅に強く物を言つてくれたら好いと思ふ。
この文章がほかならぬ『四季』に掲載されたものであることを考えると、いかにも歯に衣着せぬ交友関係がうかがわれて微笑ましい（例えば、三好達治による朔太郎『氷島』批判も、対する朔太郎の反論も、共に『四季』に掲載されたのだった）。それにしても朔太郎の嗅覚の鋭さは特筆すべきだろう。もう一つ、丸山薫評の末尾を引いておく。
大きな子供である丸山君は、一つの玩具箱を持つて楽しんでる。その箱の中には、帆、ランプ、鴎、マストなどが入れてあり、時にはまた折紙の鶴などが這入つてゐる。彼は与謝蕪村と同じやうに、それによつて追憶の夢に耽り、魂の時間的郷愁を侘しんでゐるのである。この悲しい子供は、永久にそのベツドの中で泣かしておくより仕方がない。
丸山薫の代表詩集を「玩具箱」という美しく懐かしい比喩で語りながら「悲しい子供」と断じて突き放したかのような一言で閉じられた文章だ。この少し前（昭和十一年三月）に刊行されたばかりの朔太郎の著書が『郷愁の詩人与謝蕪村』であったことを考えれば、この評言が非難などでなくむしろ共鳴であることが理解できるのだが、それにしても辛辣な物言いではあるだろう。丸山の苦笑が見えるようでもあり、それだけ忌憚のない交友関係が微笑ましくもある。
以上見てきたように、朔太郎にとって『四季』は、自分を敬愛してくれる年少の友人たちの間で心置きなく本音を漏らすことができ、それゆえに、それなりの指導的立場を自覚せざるを得ないような場だった。時に（三好達治との『氷島』論争のように）辛辣な論争の場になることはあっても、それは創造的かつ率直な相互批評という幸福な一面をもつものだった。朔太郎と『四季』の詩人たちとは、あたかも想像上の父―子のような関係ではなかっただろうか。
さらに朔太郎は、昭和十二年『文學界』一月号の「現代詩壇総覧」の「詩雑誌」の項で『四季』と『歴程』を取り上げ、次のように評している。
さて「四季」の詩風は、概して穏健典雅であり、フオルムとしての美意識に洗練され、且つインテリの教養性に富んでゐるが、反面の欠点としては、詩精神の逞しさがなく、お上品にすぎ、インテリ的病癖の薄弱性を曝け出してゐることである。之れに反して「歴程」の詩は、概して野性的の力に富み、率直にしてパツショネートの迫力を持つて居るが、イメーヂの色彩に乏しく、詩想の内容が単純で、しばしば詩としての貧困を感じさせる。もし「歴程」の長所をとつて、「四季」の短所を補ひ、「四季」の長をとつて、「歴程」の短を補つたら、おそらく最善の物が生れるだらう。
聡明で繊細な息子だが線の細さが心配でライバルの子に蛮力を習ってこいと諭す、父親の助言のようだ、というのは俗にすぎるだろうか。だが、六年前に父を亡くし、数カ月前には幼い頃から兄と慕い続けた従兄萩原栄次を亡くした朔太郎が、五十路に入って、父としての自覚と使命に目覚めたとしても何の不思議もない。もちろん、家庭における父親とは異なった、文学的「父性」の自覚のことである。二年前には雑誌『苑』に「父は永遠に悲壮である。」という一行詩（後にアフォリズム集『絶望の逃走』に収録、さらに『宿命』散文詩群に収録）を書いているし、この年三月刊行のエッセイ集は『詩人の使命』と名付けられている。
この頃、朔太郎が年少の詩人たちを賞揚し時には叱咤しながら、自ら『四季』に寄せた作品が、散文詩「虚無の歌」と「臥床の中で」だった。
ヱビス橋の側に近く、此処の侘しいビヤホールに来て、私は何を待つてるのだらう？ 恋人でもなく、熱情でもなく、希望でもなく、好運でもない。私はかつて年が若く、一切のものを欲情した。そして今既に老いて疲れ、一切のものを喪失した。私は孤独の椅子を探して、都会の街街を彷浪して来た。そして最後に、自分の求めてるものを知つた。一杯の冷たい麦酒と、雲を見てゐる自由の時間！ 昔の日から今日の日まで、私の求めたものはそれだけだつた。 （「虚無の歌」より）
ここで詩人の意識はかつてなかったほど明晰に澄みわたっている。自らの人生を要約するかのように、散文詩「虚無の歌」で朔太郎は、若き日からこれまでの精神と肉体の実相を通観し、最後に次のような境地に到り着く。
今や、かくして私は、過去に何物をも喪失せず、現に何物をも失はなかつた。私は喪心者のやうに空を見ながら、自分の幸福に満足して、今日も昨日も、ひとりで閑雅な麦酒を飲んでる。虚無よ！ 雲よ！ 人生よ。
『四季』に集った若い詩人たちの瑞々しい抒情詩群の中にあって、こうした（一種の）ニヒリズムが特異であり異質であったことは容易に想像できる。〈父〉は〈息子〉たちの清新な抒情詩を支援し憧憬しながらも自らの境地を独力で開いていくしかないのである。
「虚無の歌」の約半年後に発表された散文詩「臥床の中で」では、「虚無」の中に幸福を求めながら結局は「永遠に空洞の生活」を続けざるを得ない自身の苦悩を、一層痛切な口調で記している。
私は枕許の洋燈を消した。再度また眠らうと思つたのだ。だが醒めた時の瞬間から、意識のぜんまいが動き出した。ああ今日も終日、時計のやうに休息なく、私は考へねぱならないのだ。（中略）私はただ眠つて居たい。牡蠣のやうに眠りたいのだ。
「私」は眠りによる忘却を望んでいるのに「意識」は覚醒を求めている。彼は「意味のない生活」を続けなければならない。なぜなら、彼は今では「悲しい子供」ではなく「永遠に悲壮」な「父」であるからだ。
いま私の手元に『四季』萩原朔太郎追悼号（第六十七号、昭和十七年九月）がある（復刻版）。『四季』同人をはじめ新旧二十七人の詩人たちによる追悼文や追悼詩を掲載しているのだが、その中で今回特に目に留まったのは津村信夫「萩原さんの「父」」である。晩年の等身大の朔太郎像が浮かび上がるようで興味深いエッセイだ。冒頭を引用する。
「わが草木とならん日に、たれかは知らむ敗亡の‥‥」
先生の口を衝いて、まつたく突然、そんな詩が口づさまれたのは、私の記憶に間違ひがなければ、私達仲間の或る詩人の結婚祝ひの席であつた。「先生が詩をつくられた あゝ何年振りかで、それを聴くことが出来た」私達は息をひそめた。さうして全く酔はされてしまつた。
過失を人も許せかし
過失を父も許せかし
それは何か美しい、さうして又同時にきわめて悲痛な余韻となつて、私達の耳に、ながく、ながく、残つてゐた。
「数年前」というのが昭和何年のことか明確ではないが、ここで「口づさまれた」歌が「物みなは歳日と共に亡び行く」（初出は昭和十二年十二月『藝苑』）の一節であることから、また、文中に「五十歳の先生の詩篇」と見られることからも、おそらく昭和十二年頃と見ていい。すでに詩をほとんど書かなくなった時期のことである。「私達」の中には『四季』同人が何人かいただろう。「何年振りかで」萩原先生の新作生成の場に居合わせた詩人たちの驚愕ぶりが見えるようだ。「結婚祝い」の席にふさわしい詩とはどうも思えないのだが（おそらく気安い仲間うちの祝いだろう）その場の雰囲気がよく伝わってくる描写である。陶酔と悲痛が混じり合った、最期の詩の生成現場である。津村の文章を続けよう。
萩原さんの「父」は詩篇に、また数多いエツセエの中に、屢々姿を現してゐる、さうしてそれは、等しく「永遠の悲壮人」として、歌はれてゐる。
津村は詩に歌われる「父」を朔太郎の父と解釈しているのだが、そして一面においてその解釈は正しいのだが、私にはこの「父」が朔太郎自身のことで（も）あるように思われてならない。この文章の後半で、津村は自らの亡父の思い出を描き、自身もまた「悔恨の何者であるかを、やつとさとるやうな年齢に達した」と述べ、最後に再び「過失を」以下の二行を引用し、こう締めくくっている。
やはらかなソファーの上に、からだを埋めるやうに坐つて、人の目を直視しながら、静かに、そして十分熱を帯びて、先生の声は続いてゐた。「私達はそれを聴いてゐた。」もう数年以前の、東京に冬の訪れたばかりのある晩のことであつた。
亡き父への思慕と悔恨と郷愁と不孝の念が複雑に錯綜した感情――最期の抒情――を、独特のか細い声で歌い上げている詩人と、その声に聴き入る若い詩人たちの姿を彷彿させる、すぐれて描写的な文章だ。〈父〉の歌――それは白鳥の歌を思わせずにいない――の響きに聴き入る〈子〉たちの表情までが浮かんでくるようではないだろうか。
この時の歌は、朔太郎最後の散文詩「物みなは歳日と共に亡び行く」に組み込まれ、抒情詩と散文詩の融合から成る新しい詩法を指し示すことになる。『宿命』散文詩群の掉尾を飾る詩篇は、『四季』の若い詩人たちの清新な抒情と、朔太郎晩年の苦い自己認識が、混じり合い化合し合った場において生成した、一度かぎりの超抒情詩だったのである。