書評●『長田弘全詩集』『最後の詩集』

このかけがえのない十九冊

（「びーぐる」２８号）　

山田兼士

　長田弘さんが亡くなる直前に、既刊の詩集十八冊をまとめた「全詩集」が刊行された。あとがきによれば（未刊詩篇をも含めた）「全詩・集」ではなく、あくまで既刊十八冊の「全・詩集」とのこと。生涯にわたる一貫した作品としての「詩集」群を更に一貫した総合詩集へと離陸させるのが、本書刊行の意図だったと思う。本稿では、ほんのわずかなスペースではあるが、全十八冊への寸感を記すことで、ささやかな追悼に代えたいと考える。

『われら新鮮な旅人』（１９６５年）二十代前半の作を集めた初々しい第一詩集。世界への愛とひとりの女性への愛が等価に歌われ、時に絶望に沈み時に希望に満ちて全身で世界と交わろうとする、そのパッションこそが詩の源泉にあるものだ。混乱に満ち廃墟めいた時代の中に詩を求める青春の一冊だ。

花冠も　墓碑もない

遊戯に似た

懸命な死を死んだ

ぼくたちの青春の死者たちは、もう

強い匂いのする草と甲虫の犇(ひしめ)きを

もちあげることができないだろう。

（「われら新鮮な旅人」より）

『メランコリックな怪物』（１９７３年）８年ぶりの第２詩集。謎めいたタイトルに比して内容は明確な作品が多い。ビート詩の影響や海外体験を反映してか、 北アメリカおよびアメリカ人の登場する詩篇に特徴がある。後の長田作品と比べるとかなり饒舌だが、リズムや響きに個性が見られる過渡的作品。

I am now here!

ぼくはそう打ったのだ、

だが、ちがってた

なんたる、

I am nowhere!　　　　　（「nowhere」より）

『言葉殺人事件』（１９７７年）全篇「言葉」をテーマにした詩集だが、言葉遊びあり言葉論ありといった調子で変幻自在の書法は読む者を飽きさせない。サディスティック＝マゾシスティックなまでに乾いた詩情もあれば、この上なく抒情的な思想もある。自己愛と自虐が共存する矛盾こそが詩の魅力。

言葉が死んでいた。

誰が言葉を殺したか？

「わたしだ」と名乗る誰もいなかった。

（「言葉の死」より）

『深呼吸の必要』（１９８４年）いずれも短めの散文詩から成る第４詩集。闘病体験を経て日常と人生を深く見詰める習慣が身に付いた頃の作品らしく、表題通り深い呼吸を思わせる作品群だ。「子ども」が「大人」になる（ことに気づく）一瞬を描いた連作「あのときかもしれない」の９篇は今も新鮮。

『食卓一期一会』（１９８７年）全４章６６篇の大冊。「食」と「生」と「詩」を重ねた超絶技巧作品集だ。丁寧に書かれたレシピがそのまま詩の暗示になっていたり日々の食事に生活のニュアンスを込めたりと、驚いたり納得したりしながら読むのが楽しい。外国小説の主人公たちが登場する作品群も。

だが、まちがえてはいけない。

他人の言葉はダシにはつかえない。

いつでも自分の言葉をつかわねばならない。

（「言葉のダシのとりかた」より）

『心の中にもっている問題』（１９９０年）前作と対照的に全２０篇の慎ましい一冊だが、晩年の作品群へと繋がる重要な結節点。５０歳を過ぎて素朴、単純、 明快といったことの意味と表現法を静かに穏やかに、だが内面は激しく問うようになった、その方法確立の一冊に見える。本質とは素朴なのだ。

『詩の絵本』（１９９９／２０１２／２０１３年）絵本として刊行された３作品を言葉のみで全詩集に収録。原本の絵が気になるが、言葉だけで読んでも「絵本」らしさは十分に伝わる。イメージの鮮やかな作品群だ。ただし絵があればより立体的になっているはずではある。問いの重要さが全体の主題。

『世界は一冊の本』（１９９４年）タイトルの潔さにまず脱帽。父母や友人はじめ多くの身近な人たちへの追悼詩を含みながら、世界の全体像へと詩人の眼差しは向けられる。愛するスペインの芸術家たちを描いた１２の肖像詩は圧巻。巻末に置かれた表題作が以後の作品群を予示しているかのようだ。

神々がつくり、ひとが発見する

パブロ・ピカソはいった

発見したものに、私は署名しただけだ。

（「ピカソ」より）

『黙されたことば』（１９９７年）一冊まるごと音楽（家）をテーマにした詩集。おもに３行詩節を用い、形式にもリズムにも「音楽」を滲ませながら偉大な作曲家たちの作品と人生を各一篇の詩に結晶させていくことは、よほど音楽の世界に精通していなければできないが、同時に沈黙への敬意が必要。

自由って何だ？――われわれの

宿命。カルメンの作曲家はそう言いのこす。

人生は短い。自由のほかに、何がある？

（「自由のほかに」より）

『記憶のつくり方』（１９９８年）幼少期の思い出や旅の思い出、日常の僅かな感興など様々なモチーフを「記憶」をテーマに綴った散文詩集。物語的なものやエッセイ風のものも多く、散文詩の広がりと深まりを体現した詩集だ。「記憶」を過去のものとせず「とどまるもの」とする後書の定義は鋭い。

『一日の終わりの詩集』（２０００年）還暦を過ぎて新たな境地に入ったことを窺わせる一冊。多くの詩篇の末尾に反歌のような一行の問いが付されており、考えさせられる。沈黙を包み込む寡黙な言葉に一層の磨きがかかり、作風は一見ますます平易になっている。句読点の明確さもその一因だろう。

『死者の贈り物』（２００３年）死の側から生を描き出した２０篇。今は亡き者たちを悼むのではなく、むしろ同僚として親しむことで、詩人は自らの死のレッスンを開始した。だが、詩とはそれ自体、本質的に死のレッスンではなかったか。死の側から描き出された生の風景はどこまでも透明で静謐だ。

木があった。

ことばの木だ。

その木の影のなかに、

その人は静かに立っていた。

（「その人のように」より）

『人はかつて樹だった』（２００６年）表題通り樹木を主要モチーフとする２１篇。平易なことばの中に世界創成譚的なイメージを含めながら、アニミズムとは異なった草木譚が展開される。物言わぬ草木の沈黙に密かな声を聴くのは詩人のアニマだ。根を失った人間の根源に樹の記憶を呼び起こすのも。

『幸いなるかな本を読む人』（２００８年）梶井基次郎、中島敦、モンテーニュ、カフカ等２５冊の本をめぐる２５篇の詩。批評的作品というわけではない。その本によって詩人がどう動かされてきたかを綴った、魂の報告書なのだ。２５の肖像詩のようでいて、実は２５の自画像集ともいえる不思議。

よく生きた人のことばは、死なない。

歩くことは読むことである。

老人は掌に、檸檬(れもん)を握っていた。

京都の丸善が店を閉じた年の話である。

（「檸檬をもっていた老人」より）

『世界はうつくしいと』（２００９年）季節ごとに１篇ずつ書かれたという２７篇。一日一日を丁寧に大切に過ごしたいという静かな願いが、絵画や音楽や物語や花や木、それに食物に託されて、穏やかな発見を促していく。モチーフは多岐にわたるが、主張はシンプルなものだ。実現は難しいのだが。

うつくしいものをうつくしいと言おう。

幼い猫とあそぶ一刻はうつくしいと。

シュロの枝を燃やして、灰にして、撒く。

何ひとつ永遠なんてなく、いつか

すべて塵にかえるのだから、世界はうつくしいと。　（「世界はうつくしいと」より）

『詩ふたつ』（２０１０年）前年に亡くなった妻を悼む２篇の詩。これだけで独立させたのは、この２篇がとりわけ大切な絶唱であるためだ。「２」という数をキイワードに、生と死の静かなたたずまいが淡々と語られていく。通奏低音に深い悲しみがあるのは言うまでもないが、それは透明な悲しみだ。

『詩の樹の下で』（２０１１年）記憶に残る樹木をテーマにした散文詩集。軽やかなエッセイ風のスタイルの中に、さりげなく古代以来の樹と人の関係＝交感を織り込んだ幸福な作品集だが、刊行間際に起こった大震災と本人の大手術が詩集に大きな痕跡を残した。日付入りの３作品は故郷福島への哀歌。

水平線からまっすぐに向かってくる。

きらきらした、夏の鏡のような、

海からの日の光。

風の匂う朝の岸辺に立って、

黙って、海を見つめている人がいる。

何をみているのか。無を

見ているのだ。そこに立ちつくして。――

われ汝にむかひて呼ばはるに汝答へたまはず。

小さなイソシギが、汀を走ってゆく。

どこにもいない人たちのたましいを啄(つい)ばむように。　　　　　（「朝の浜辺で」全文）

『奇跡―ミラクル』（２０１３年）生前最後の一冊。沈黙の声への「返答の書」として書かれたという３０篇は、自然や生活の細部に宿る小さな「奇跡」を慈しむように、寡黙な言語から成る。巻末「きみはまず風景を慈しめよ。／すべてはそれからだ。」の２行は重く深くそして優しい。詩人の遺言だ。

ずっと、空を見上げていたくなる。

いつまでも、日が暮れるまで。

ほぼ百年前、汽車の窓から、

誰とも知られない少女が投げ上げた

鮮やかな色の蜜柑が、ばらばらと、

希望のように、心の上に落ちてくるまで。

（「夕暮れのうつくしい季節」より）

　こうして全巻を通して読んでみて、あらためて、みごとに一貫した人生を歩んだ詩人だったことが実感される。いずれ詳細な評論・研究・評伝なども編まれるだろうが、詩人の人生はなんといっても詩作品の中にある、というか、長田弘の場合、作品としての詩集の中に凝縮されている。その意味で、生涯の最後にこうして全十八冊をまとめた一冊を自らの手で遺してくれたことに、我々は感謝しなければならない。それくらいかけがえのない十八冊なのである。

　本稿校正中に『最後の詩集』が届いた。文字通り遺作となった十五篇の詩と六篇のエッセイ。人生に必要な最小限のこと、つまり「詩」をさりげなく優しく教えてくれる静穏きわまりない一冊だ。おそらく死を意識した詩人が残りの生を慈しみながら後世に託した詩の遺言集だろう。心して味わい読むべき。

思うに、歳をとるにつれ

人に必要となるものはふたつ、

歩くこと、そして詩だ。

（「詩って何だと思う？」より）

（みすず書房、六〇〇〇円／一八〇〇円＋税）