小野十三郎『抒情詩集』について 『詩論』との共時性を中心に
（「PO」１８２号、２０２１、秋）
山田兼士
小野十三郎の作品に『抒情詩集』（一九四七年）と題した詩集があることは、あまり広く知られていない。もしかしたら、不審に思ったり信じられなかったりという人もいるかもしれない。小野十三郎といえば、なんといっても戦後詩歌の中で「短歌的抒情の否定」や「奴隷の韻律」といった抒情批判で知られた詩人である。その反抒情主義の詩人は、戦前の萩原朔太郎の詩を「短歌的抒情」と切り捨てつつ、戦争に向かう時代の中で、日本的抒情や感傷主義の危うさにいち早く警鐘を鳴らした。萩原朔太郎の詩の「音楽性」を「阿呆の寝言」とまで毒づいた詩人だ。その反抒情主義の詩人が、戦後いち早く刊行した作品を『抒情詩集』と名付けたのは一体どういうことか。見方によっては奇をてらった表題ともいえるが、また、小野自身がそれに近い発言をしてもいるのだが、単なる皮肉や諧謔で詩集表題を決めるほどの余裕は（少なくとも戦後間もないこの時期には）なかったはずだ。本稿は、小野十三郎自身の逆説的抒情詩とも見るべき『抒情詩集』を小野の長期にわたる詩的営為（小野は九三歳まで生きて詩集を二十冊刊行した）の中に位置づける試みである。あまり目立たなくひっそりと置かれたかのように見えなくもない小詩集だが、これが意外と小野詩論の要項であることを検証していきたいのだ。
『抒情詩集』と同じ年に小野が刊行した詩集に『大海辺』がある。表題作の初出は詩誌『コスモス』創刊号（一九四六年四月）。これを受けて金子光晴は同誌第三号（一九四六年九月）の「コスモス雑記」の欄で、「コスモスの創刊号にのった小野十三郎の詩は、終戦以来のよむにたえる最初のものだった」と書いた。また、同誌第五号（一九四七年五月）には、刊行されたばかりの『大海辺』への書評を長谷川七郎が書いている。長谷川は小野を「わが愛好する現代詩人の一人」としながらも、『大海辺』における「抒情的意図」に「若干の矛盾を感ずる」と言い、「ここでは抒情性というものが詩の奥ぶかいところで渾然とせず安易な点で妥協している印象を受ける詩が多い。即ち抒情性が低俗なのである」と批判している。長谷川七郎の指摘は、『大海辺』と『抒情詩集』の関連について、現在的観点から見ても気になるところだ。非情の美を身上とする『大海辺』にもまた、『抒情詩集』の情緒が流れ込んでいたのではないか、と想像させるからだ。
長谷川七郎が指摘する「矛盾」の背後に、戦争末期における小野の精神的危機があったこと、そしてその危機を辛うじて乗り越えたことは、戦時中の詩作品と詩論が示しているが、ここではこの点には触れないでおく。ともあれ、小野十三郎の新刊詩集が賛否を含みつつ大きな話題となっていたことは、これら同時代の評言などから窺い知ることができる。そうした注目を浴びる中で小野は、『コスモス』を舞台に二つの大きな仕事を成し遂げている。一つは第二号（一九四六年六月）、第四号（同年十二月）、第七号（一九四七年十月）に掲載した「詩論１８４～２３１」であり、もう一つは、第五号（一九四七年五月）に掲載した連作詩「冬の旅」である。この連作詩は、その一カ月後に刊行された『抒情詩集』（一九四七年六月、爐書房）の巻頭から二番目に収録され、同詩集中の代表作とみなされるものだ。その間、僅か一カ月ほどの間にいくつかの変更が施されていることにここでは留意したい。まず、『コスモス』掲載の初出形を全文引用しておく。
夜の雲
夕暮になつても
つめたい大きな雲の峯はくづれなかつた。
榛原のへんで
いただきから煙のやうに溶けてゐた。
豊富な山
斑の入つた山百合が一つ
トンネルの入口に咲いてゐた。
水がもれてゐる崖の高いところから押し出されて！
みづうみ
雨中を
日本のみづうみに沿ふて
汽車ははしつてゐた。
スタインの本だつたかな。ロブ湖 。
ひよいとそんな荒漠がうかんで
悲しかつた。
冬の旅
深夜。
もう四時頃だらう。
そのときまだ暗い寒い田園の中を
煌々として過ぎる
大宮殿のごときものがあつた。
同じく
方四里。
真赤に枯れてゐる杉林を見た。
死はまさにかくあるべきだ。
『抒情詩集』収録形との異同は、かなづかいや句読点は別として、主に次の三点である。まず、「豊富な山」の第三行が二行に分けられて「水がもれている崖の／あんな高いところから押し出されて。」と変えられている。次に、「みづうみ」の第五行が「ひよいとそんな言葉がうかんで」と、「荒漠」が「言葉」に変えられている。そして、最後の短詩の第二行にある「杉林」が「松林」に変わっている。最後の「杉→松」の変更については、おそらく初出の「杉」が誤植だったのだろう。後に書かれた自伝『奇妙な本棚』にはこの連作への自己解説があって、そこには「福知山線の篠山駅と谷川駅の中ほどの丹波の山間で見た」「真赤に枯れている松林」とあるので、本来「松」であるはずだったのが印刷の行程で「杉」に誤植されたものと思われる。
「豊富な山」の異同については、もう少し微妙な問題がありそうだ。初出の第三行は一気呵成に読まれる長い詩行に感嘆符を付すことで切迫したリズムを構成しているが、詩集では二行に分けられ、更に「あんな高いところ」と、「あんな」が加わることによって、より視覚的かつ静態的な表現になっている。当然、（情感的な）感嘆符は消されて、（静観的な）句点が付けられている。また、「みづうみ」の「荒漠」から「言葉」への書き換えは、より客観的な表現への変更だ。この二つの書き換えに共通しているのは、感情移入を排して怜悧なイメージ表現を目指す非情の詩学への傾斜、ということになる。
連作「冬の旅」の初出から詩集掲載時までの異同はおよそ以上の通りだが、それ以上に興味深いのは、それぞれの短詩の題名の変更である。初出時の「冬の旅」は「暗い寒い田園の中を」に、「同じく」は「死」に、それぞれ変えられている。連作全体の題名にも用いられている「冬の旅」という多分にロマン主義的な（それはシューベルトの歌曲集の表題でもある）題名が一歩退くことによって、また、詩行の一部を題名にするというニュートラルな選択によって、詩集収録版の方はかなり乾いた印象を与えるようになった。これもまた非情の詩学のより意識的な方法の一環と言えるだろう。あるいは、戦争末期から戦後にかけて（戦争詩の問題はここでは触れないことにする）一時は崩れかけた、非情の詩の復活、と呼んでもいい。いずれの場合にも、初出から僅か一カ月ほどで、小野十三郎の詩法は確かに一歩前進した、と見ることができる。
＊
『抒情詩集』の扉頁には、半年前に『コスモス』第四号に掲載したばかりの「詩論」の一節が掲げられているのだが、これにもやはり初出との間に見過ごせない異同がある。『詩論』は『抒情詩集』から三カ月後に真善美社から刊行されることになるが、その際の書き換えはほとんどない（ただし番号が２０８から２１１に変わっている）。ここではやはり『コスモス』掲載の初出形を引用しておく。
私が心に想像する詩の韻律は、詩をつねに「音楽」の状態と結びつけて思考する習慣から解放されていないものには理解することは出来ない。同時に私の詩の読者が私の書く詩の中に「音楽」を感じ、或は発見したとしてもそれを私は阻止することは出来ない。
戦時中に『文化組織』に連載された「１」から「１８３」までと比較して、明らかな前進を記す一節である。「詩論」出発当初から一貫してきた「歌」批判、「音楽」批判の延長上にあることは言うまでもないが、ここでは読者の側からの視点が全面的に導入されていることに気づく。「音楽」に結びつけなければ「理解」することのできない「詩の韻律」ではなく、批評としてのリズムこそが真の詩の韻律なのだ、とする従来からの持論を前提として、後半では、それにもかかわらず「私の詩の読者」が「音楽」を感じ発見したとしてもそれは止むを得ない、と言うのである。これは一種の諦念の表明だろうか。あるいは読者に対する妥協と見るべきだろうか。そうではない。小野は「それは阻止することはできない」と書いているのだ。少々入り組んだ言い方をするなら、自らの反音楽的立場を放棄するのではなく、さらに強化することによって、真の音楽を自らの詩に付与する意志を宣言しているのである。これは後半生における小野詩論の真髄を成す持論と言っていい。その意志を示す端的なフレーズが、あの有名な「歌と逆に。歌に。」である。
ところで、「詩論２０８」の初出から『抒情詩集』巻頭言までの主な書き換えは、「理解することは出来ない」を「感知することは出来ない」としたところにある。この変更によって小野は何を企てたのか。「理解」はできても「感知」できないかぎりは詩の音楽の変革、言い換えれば「感性の変革」など不可能だ、と言いたいのだ。わずか三カ月の間に書き換えられた「理解」と「感知」の差は決して小さいものではない。そこには、終戦直後の『コスモス』同人たちの共同幻想的な力学が働いていた、と想像されるのだ。小野「詩論」への最初の批評もまた、当の雑誌『コスモス』に掲載されているのである。
小野が戦争中からひきつづいて「歌」にたいする抵抗を「詩論」のなかで展開している強固な非妥協性はなかなか敬服にあたいするものである。だが「大衆と詩」という問題に関しては、小野の考えに賛同しがたいものがなきにしもあらずだ。（第五号「コスモス雑記」岡本記）
小野さんの場合「歌」の否定ということを書いているが、この場合にも何か甘い歌に対して反発することで、問題を詩の形式或は技法上のことに結果的に限定して行くことになる危険があるのじゃないか。小野氏の詩論に対しても僕はこういう疑問をもっているのです。（第五号収録の座談会「近代詩を語る会」での小田切秀雄の発言）
いずれも「読む側」からの真摯な疑問というべきで、読者への影響力を多分に意識した発言と見るべきだろう。読者に「理解」されるだけでは不十分で「感知」されなければならない、という認識は、戦後の小野詩論にとって大きな楔となったはずだ。小野の詩法にさらに執拗な「音楽」の探究を促した、という一点のみを見ても、雑誌『コスモス』の活動は重要な相互批評性を内在させていた、と考えざるを得ない。『コスモス』同人内部における相互関連性に今一度目を向けなければならないのである。少なくとも、（若き日の吉本隆明が断言したように）戦後一時期の一過性の問題として片付けるわけにはいかない、普遍性をはらんだ問題なのだ。
＊
一九四七年に刊行された真善美社版『詩論』初版について最も早く書かれた批評に、植村諦による「『詩論』をめぐって」（『コスモス』第八号、一九四七、一二）がある。植村はその冒頭に次のように書いている。
小野の詩論は最近読んだどの詩論よりも最も多くの問題を含んでいて、吾々自身に反省と思索の機会を与えて呉れて面白かつた。これは二百三十四の断章から成つていて、小野自身もそのあとがきでのべているように体系的な論文ではない。端的にいえば詩句を以て書かれた詩論といつても良い。それだけに一章一章の背後に小野の詩に対するまじめな思索と闘争が広く深く包まれていてその一章を解きほぐして行くだけでも、それぞれ一つの論文を形成しなければならないだろう。それだけにまた前後の章句の間に矛盾もあれば、重複もある。それが又却つて小野の思考の発展段階がうかがえて面白いところでもある。（傍点山田）
『詩論』刊行直後に書かれたこの批評は、早くも小野『詩論』の特徴をみごとに言い当てている、という点において、現在から見てなお貴重な証言である。私が『詩論』を一読した時の印象もまさに「詩句を以て書かれた詩論」ということだった。例えばボードレールの詩「照応」（『悪の華』）やヴェルレーヌの詩「詩法」（『昔と近ごろ』）と同様に、詩論としての詩、あるいは詩としての詩論を、小野はここで試みた。それも二百三十四篇もの断章の集合体として。「その一章を解きほぐして行くだけでも、それぞれ一つの論文を形成しなければならない」というのはいささか誇張した言い方であるにせよ（後に小野は多くの評論や入門書によってその実証をいくらか試みたのだが）、『詩論』を一貫した体系的な書物として読むことはやはり困難だろう。それだけに、表面的な「矛盾」や「重複」をものともしないこの書物を「小野の思考の発展段階がうかがえ」る「面白い」作品、と見る植村の読みは的確である。
植村は続けて、これらの断章に一貫している「短歌的抒情に対する詩人としての抵抗」に一定の評価を下しつつ、「詩と音楽の問題」「詩と科学の問題」「詩と散文の問題」など「あまり明確でないところ」を順次取り上げて、「更に小野の深い思索と教示を得たい」と進めていく。植村の論法はきわめてオーソドックスにこれら諸問題を敷衍していくのだが、末尾近くで、再度「これを明にするにはそれぞれ長大な一論文を必要とするであろう」と繰り返した上で、「それをこうした断章で、ここまで明にし得たのは、小野の詩人的才能というの外はない」と賞賛し、さらに「詩のリアリズム」の問題に触れて「こういう問題についても小野の様な詩人の旺ましい綿密な思索を希望してやまない」とのエールを送って締め括っている。
『詩論』の長所と短所をともにふまえながら『詩論』以後の課題を整理し明確にした、という点において、植村の批評は『コスモス』同人による小野『詩論』評価を代表するものだったと言える。この時期の『コスモス』には折に触れて同人たちによる『詩論』への言及が見られるが、概ねこの植村論文と同工異曲と言っていい。〈コスモス〉という共同の磁場が小野〈詩論〉を位置づけ〈詩論以後〉を方向づけていたのである。
＊
最後に、『抒情詩集』における小野十三郎自身の詩的抒情について、私なりの見解を述べておきたい。敗戦直後の紙不足の中、奈良県でかろうじて印刷されたとはいえ、全二十一篇、五十頁という一冊は、例えば同年に大阪で刊行された詩集『大海辺』が二百頁以上の堂々たる一冊であることに比べて、いかにもささやかと言わざるを得ない。アナログ・レコードに例えるなら、『大海辺』がＡ面で『抒情詩集』がＢ面といったところだろうか。だが、時にはＡ面以上にＢ面の方がより独創的な新しさをもつことがあるように、ほとんど同時に出た二冊の詩集のうちで、小野は野心にあふれたひそかな実験を、実はＢ面で企てたのではないだろうか。その実験とは、表題が端的に示しているように、個人的で主観的で郷愁的でささやかな、要するに個人的感傷と情感を「抒情」と呼び、これを大胆にも詩集表題に掲げた、ということだ。これを詩集『大海辺』における社会、自然、時間の遠大さといった大きなテーマと比較してみれば、両者の対照的な世界観は明らかだ。
『大海辺』については、かなり以前にまとまった論考を書いたことがあるので（『小野十三郎論 詩と詩論の対話』砂子屋書房、二〇〇四年）ここではごく簡単に要約だけ記しておくが、例えば、遠い未来の時点から遥かな過去としての現在を見通すような遠大な視線に、新しい（現代の）ポエジーの可能性を垣間見させるような作品群、と言えばいいだろう。
これに比して、『抒情詩集』の方は、はるかに小さく卑近なモチーフを、ごく個人的な情感に終始することで成り立っている。一例を挙げてみる。
はぜつり
百千の工場と。
その廃墟と。空白と。
ゆきついたデルタの葦原のそのとつぱな
石垣の上に
自転車をたてかける。
かつて大阪湾沿岸の大工業地帯をめぐって発見した、まるで「ガラス管」のごとき人工物としての自己主張を止めなかった「葦」が、ここでは、「百千の工場」はそのままに、ただし「廃墟」となって、力なく自転車にもたれかかられている。これは終戦直後の、廃れた工場の残滓が、虚無と無力に襲われた詩人の心境を等身大に（ということは抒情的に）描いている場面だ。タイトルが「はぜつり」というのもまた、小さくささやかな物質性を象徴しているとはいえないだろうか。
『抒情詩集』の卑近さと『大海辺』の遠大さを対照させるためには、ともに紡績工場を描いた両作品を並べて読むといい。
紡績の菊
子供のとき
大和桃源に十年ほどいた。
はじめのころはおぼえていない。
ただ俺が生れるずつと前から
赤煉瓦の古い紡績工場があすこにあつた。
毎年いまごろになると
構内に豪華な花壇がくまれて
菊見でにぎわつた、
秋の陽の強烈なスポツトを浴びる
たがをはめた
古塔のような一本の大煙突、
ぼうばくとして記憶の果に
何もない地上から
いまそのようなもののかたちが
そびえたつ、
この「紡績の菊」については、後日、自伝的評論集『奇妙な本棚』（一九七四年）収録のエッセイ「自然はおそろしく退屈だ」の中で、いくぶん詳しく説明されている。父親の婚外子として生まれ、奈良県大和郡山で血縁のない祖父母（父の正妻の両親）に預けられ、孤独な少年期を送った頃の回想である。小野はその大和の自然を「おそろしく退屈」な風景として描き、その風景の中に幼少年期の孤独を（あくまで乾燥した筆致によってではあるが）滲み込ませている。そんな単調な生活の中にあって、小野少年の心にふいに斬新なイメージをもたらした出来事があった。
しかし、そういう退屈な日々にあって、ある年のある日、一度だけ、これはこれはちょっと大和にあるものとはちがうぞと大へん興奮したことがある。小学校の三年ぐらいの時だったと思う。後にわたしはそれを「紡績の菊」という題で詩にも書いたが、紡績にいくと真黒な菊が咲いているという話をきいたときだ。（中略）その日紡の工場が、石炭のように真黒い大輪の菊の珍種を栽培することに成功したというのだ。
小野自身が書いているように、これが単なるうわさ話であったのか、実際にあったことなのか、今となっては確かめようもないが、その「黒い菊の幻のような出現」（同右）が少年に「自由」と「解放」を与え、わずかばかりの「楽しい想い出」（同右）を残した、というのである。
その時間には異常に明るい光があたっているのである。（同右）
この光こそが詩の光であり、後に詩人となり生涯詩人であり続けることの契機となった、小野十三郎の抒情の本質なのではないか、と思う。
詩集『大海辺』の方にも、実は同じ「紡績（工場）」が歌われていて、こちらはいかにもＡ面のヒット曲らしく、現在は大和郡山城趾の一角に詩碑として刻まれているものだ。
ぼうせきの煙突
たそがれの国原に
ただ一本の煙突がそびえてゐる。
大和郡山の紡績工場の煙突である。
ぼうせき。それはいまは死んだやうな名だが
私は忘れることが出来ない。
明治も終りの夏の夜である。
七十六年の週期をもつハリ―彗星の渦が
涼しくあの紡績の鋸菌状屋根の
紺青の空に光つてゐたのを。
○
ひとりゐる。若草山。
風渡る。
芒原。
一読して明らかなように、「紡績の菊」とは正反対に、大きな視点と俯瞰的な観点から、大和の国原に突き出した煙突の勇姿と、七十六年周期というハリ―彗星の宇宙的観点が融合して、個人的抒情どころではない、いわば非情の抒情が宣告されている（ここから、例えば一九五二年の谷川俊太郎『二十億光年の孤独』まではあと一歩だろう）。その宇宙の中にこそ、大和の象徴というべき若草山が存在し、ひそかに「万葉的」とでも呼ぶしかない「芒原」に風が渡っている。その風の中にひとり立つ少年の孤高こそが、詩人の「抒情詩」の出発点ではなかっただろうか。
【付記】詩集『大海辺』、評論『詩論』、詩誌『コスモス』については、拙著『小野十三郎論 詩と詩論の対話』（砂子屋書房、二〇〇四年）に書いた内容を元にしている。本稿に新しさがあるとすれば、詩集『抒情詩集』（一九四七年）独自の意義と意外な一面を探求する契機を提出していることだろう。二十一世紀の現在、なお詩の「新しさ」が見出されるとすれば、小野十三郎的（逆説的）抒情精神がそのヒントになるのではないだろうか。