ポエティクVSロマネスク 中村真一郎と福永武彦
（「中村真一郎手帖」第１４号）
山田兼士
１ 「マチネ・ポエティク」からの出発
中村真一郎と福永武彦は、ともに一九一八年三月に生まれ、一九三〇年四月に東京の開成中学校に入学している。ほかにも共通の体験として、幼くして母を失ったことが挙げられる。その後、第一高等学校進学は福永が一年早く（中村は一年遅れたおかげで加藤周一と同級生になる）、さらに一九三八年、東京帝国大学文学部仏文学科進学で再び同級生となった。卒業論文は、中村がネルヴァル、福永がロートレアモンと、ともに〈異端〉の詩人を選んだことにも共通点が見られる。その二人が卒業後、共に活動した文学グループが「マチネ・ポエティク」である。両者の詩作品を最初に見ておこう。まず福永作品から。後の代表長編小説『死の島』（＝広島）と韻を踏むタイトルにも注目したい。
火の島 ただひとりの少女に
死の馬車のゆらぎ行く日はめぐる
旅のはて いにしへの美に通ひ
花と香料と夜とは眠る
不可思議な遠い風土の憩ひ
漆黒の森は無窮をとざし
夢をこえ樹樹はみどりを歌ふ
約束を染める微笑の日射
この生の長いわだちを洗ふ
明星のしるす時劫を離れ
忘却の灰よしづかにくだれ
幾たびの夏のこよみの上に
火の島に燃える夕べは馨り
あこがれの幸をささやく小鳥
暮れのこる空に羽むれるまでに （1943）
後の東宝映画「モスラ」（一九六一年、脚本中村真一郎、福永武彦、堀田善衛）に出てくる「インファント島」を思わせるような「火の島」の情景だ。さらに、福永の詩「冬の王」では、
遠天の生のきはみの孤独
わが屍を焚く火のかたはら
不死の蝶は眠る つばさ重く （末尾部分）
と、まるでモスラのような「つばさ重」い「不死の蝶」が登場する。「モスラ」の発案者は中村真一郎だと伝えられているが（『発光妖精とモスラ』一九九四年、筑摩書房、中村真一郎による「あとがき」）、この詩を読むと、むしろ「モスラ」の発想はそもそも福永ではなかったかと思えてくる。もっとも、青春期における文学的交遊の中ではこういったことはしばしば起こる現象であり、普段の会話の中から各々が同様のイメージを作り上げていった、ということかもしれない。
福永の詩は、いずれも各行十五音から成っていて、その十五音のなかでの区切りはかなり自由になっている。押韻については、例えば「とざし／日射」のように、動詞の連用形と名詞とで押韻するなど、単調に陥らないように工夫していることがわかる。「馨り／小鳥」なども同様だ。
次に、中村真一郎による「マチネ・ポエティク」の詩を見てみよう。
頌歌 �ｦ
洪水の夢流す遠い空から
夕べは今離れ落ちる羽のやう
船は帰る黝む海乱す模様
帆の蔭に眠り光る魚のうから
御覧 氷浮く君の胸の宝
菫に透かす豊かな時躊ふ
想ひ 魂の井戸より昇り 今日
溶ける永遠の宇宙に燦き乍ら
生滅の業の鳴る大いなる河
我が耳に注ぐ君に延す枝は
千のいのち緑に揺り闇に勝つ
明日の方に岬巡る黄金の泡
縁取りに我の編む望みの花輪
青く顫へ翳り行く窓の真夏 (1943)
大変構築的な作品で、数えてみると各行は十七音から成っていることがわかる。俳句の場合と同数だが、区切りは必ずしも「５・７・５」にはなっていない。脚韻については、「ara/ou/ou/ara」というように、完全押韻を踏んでいる。福永の場合も同様で、最後の音節だけでなく、その一つ前の母音まで一致しているということだ。
ここで福永と中村の両詩篇を比較してみたい。元来、日本語には母音が五つしかないために、実は脚韻を踏むのはそれ自体としてあまり難しくはない。ただ、その安易さが逆に、脚韻を美的と感じさせなかったために、脚韻が詩法として洗練されてこなかった、というのが実情だろう。そこで、中村も福永も、それぞれ独自の理論によって、押韻詩の存在価値を証明しようと試みた。かなり後になってからのことだが、中村は、押韻を単なる音の問題としてではなく、音が制限されるためにかえって新奇なイメージを呼び起こすきっかけとなることを、自作を例に説明している。たとえ音響的にたいした意味がなかったとしても、新しいイメージの呼び水になればそれでいいではないか、と。ただし、この説明はかなり後追い的な印象を拭えない。
ところで、いま挙げた二つの詩をあらためて比べてみると、福永は各行十五音、中村は各行十七音だが、文字で見るかぎり、長さはほとんど変わらないように見える。理由は、中村作品に漢字が多いということだ。ここには漢詩の影響もあるのではないだろうか。おもに和歌に影響された福永と、漢詩に影響された中村、という構図が浮かんでくる。特に中村には、『頼山陽とその時代』（一九七一年）という大著もあり、漢詩への傾倒ぶりがうかがわれる。
中村は最初の頃は各行十二音形式を用いたりもしていたが、最終的に日本語韻文の上限は各行十七音に決定した。俳句の音数を一行の上限としたわけである。一方、福永は、当初から各行十五音を定型とし、「マチネ」の中ではこれが一貫している。私見では、やはり十七音は多すぎて、少々苦しいのでは、と思うのだが。
２ ポエティクロマネスク
戦時中から活動していた「マチネ・ポエティク」だが、戦後になってこれが一般に公表されるや、たちまち非難と批判にさらされた。その背景には戦後の騒擾と戦争詩への反省があったことが明らかだ。詩は歌ではなく思想であり哲学である、といった（今から見ればいささか極端とも思われる）新風潮である。小野十三郎の「短歌的抒情の否定」や「荒地」派の「歌う詩から考える詩へ」といった主張がその代表的なものだろう。だが、「マチネ・ポエティク」による詩の音楽の試みは必ずしも完全否定されたわけでなく、後の現代詩にそれなりの影響を与えた、という見方もできる。ほんの数例をあげるなら、清岡卓行、飯島耕一、池井昌樹、などの諸作品である。
中村、福永の文学的出発であった「マチネ・ポエティク」の試みは、文学史的に見る限り、概ね頓挫してしまったように見える。だが、二人のポエジーは、決してこのような詩的実験にとどまるようなものではなかった。二人のポエジーが全面展開していくのは、むしろ詩そのものよりも小説の試みにおいてであった。より具体的なかたちで詩精神を物語において展開していく方法を、それぞれが独自の形態で探求していくのである。つまり小説におけるポエティクの探求である。もちろん、小説には独自の要素が必要であり、構成、プロット、キャラクターといったロマネスクな要素を抜きにしては成り立たない。その結果、二人の小説では、ともに、ポエティクとロマネスクの葛藤が大きな課題となって展開していくことになる。
特に中村真一郎は、ロマネスクの装置をおもにプルーストの小説から借りてくることによって、複数の時間や円環する時間など、二十世紀小説の新しい方法を積極的に自作に取り込み、自身も作品の中でしばしばそのことを強調している。これに対して、福永の方は、プルーストの影響も皆無ではないにせよ、中村の場合以上に、詩精神をより直接的に小説の中に溶融していく方法を選択した。ボードレールやロートレアモンの詩法を次第に自作に取り込んでいった過程はすでに別のところで論じた。
実例を挙げてみよう。まず、福永が小説の中でしか書けない決定的にポエティクな表象を実現した場面を見ていく。初期の長編『草の花』の一場面で、主人公汐見茂思から「私」に託された「手帳」の一節である。
行列は、その煙を後ろに見て、空車を引いて元の道を戻った。亡骸を焼く煙は、夜もすがら、絶え間もなく立昇る筈だった。振り返れば、煙は次第に濃くなりつつある夜の空に紛れ、オリオンの星座が今にも風に吹き飛ばされそうに、中空に懸っていた。星影が既に薄氷の張った田圃の水に映り、もやもやと明滅した。
その時だった、僕はふと思い出した。Ｈ村の岬の桟橋に妖しく燦いていた夜光虫の仄蒼い光りを。それをじっと見詰めていた僕と、何にもならないのに、何にもならないのに、と繰返した藤木の言葉を。その記憶が、不意と落ちかかって僕の心を貫き、僕の足をよろめかせた。
何にもならないのに、――僕の藤木に寄せた愛がどんなに大きかったとしても、それは何にもならなかったし、愛を拒んだ藤木も、空しく死んでしまった。愛も、孤独も、執着も、拒絶も、遂には何にもならなかった。愛することも生きることも、みんな空しいことに過ぎなかった。誰も愛することのできなかった藤木、きめられた道しか歩けなかった藤木、そしてその藤木をあんなにも愛していた僕。
オリオンの星座が、その時、水に溶けたように、僕の目蓋から滴り落ちた。
この一節については、以前書いた文章の中でも引用したので繰り返しになるが（「福永武彦の詩小説 研究ノート的に」「びーぐる 詩の海へ」第六号、二〇一〇年一月、所収）、その特徴を列挙するなら、まず「何にもならないのに」という同一フレーズのリフレインが強迫観念的な音楽を奏でていること、次に、現在の情景（星空）と過去の情景（夜光虫の海）とが照応することで詩的時空が生じていること、最後に、この上なく垂直的な最後の一行が挙げられる。「オリオンの星座が、その時、水に溶けたように、僕の目蓋から滴り落ちた。」とは、物語全体の文脈がなければまず出てこないフレーズであり、まさに小説でしか書けない詩、と呼ぶべきではないだろうか。
このような諸要素が福永文学のいわば原風景を成しているのであり、これらはもはや小説の中の詩的描写などではなく、小説でしか書くことのできない詩そのものである。句読点で短く区切ったフレーズのたたみかけ、体言止めの多用、といった音楽的要素もこれらに絡んでくるだろう。適宜、行分けを施した上で、ついでに脚韻も施せば、もしかしたらそのまま「マチネ・ポエティク」詩になるかもしれない。
作者自身とまったく同時代（そしてある程度まで同一体験）を生きた汐見茂思を主人公とする長編『草の花』で、主人公が（半ば自殺のような危険な手術を志願して）死んでしまうのはなぜか。端的に言うなら、この作品で福永武彦は「死すべき自己」（＝主人公）と「生きるべき自己」（＝語り手「私」）に分裂したからだ。〈死者の眼差し〉による文学空間、という極めて〈詩的〉な時空の誕生である。
これらの諸要素は、後に、『忘却の河』『海市』といった作品における、恋人へのうらぎりとそのための恋人の死、そのことへの罪障感、という主題に結びつき、最後には、この罪障感がもたらす絶望と、その絶望からの逃走、というモチーフが、ロマネスクに昇華されたところに、『死の島』の陰の（裏の）主人公たる「或る男」の造形へと結びついていく。
これに対して、中村真一郎の初期長編『死の影の下に』では、ポエティクとロマネスクの葛藤および統合は、次のような一節に凝縮して表れている。
シオンと云う優しい発音は、私の脣の間で、薄荷のドロップのように、爽かに溶ける。それは花の名だろうか、お菓子の名だろうか。父は遠い昔の西方の町だと教えてくれたけれど、シオンは娘等と云う単語と、香りのように一つとなり、それはまた眼の前から消えて行った、赤い帆のヨットのついた空色のスェーターと溶け合う。歩調を合せて地面を踏んでいた、小鳥のような十本の足と、その間から立ち昇る、気を遠くさせるような菊の匂いと、私の見都子さんに対する最後の気持と、祝日の明るい朝の空気と、私の肩に手を掛けている武男君の荒い息づかいと、そのいずれが一体私の胸を揺っている原因だったのだろうか？ その後何度となく私は、様々な機会に私の眼前に突然に現われ、そして夢のように消えて行く、こうした花咲ける乙女等の群に、影のない明るい生の華やかな悲しさを感じさせられたものだが、そして、そうした体験に対する感能力は日に増し高まって行くのだが、この遠い菊の香りの中の、牧歌的なシオンの娘等は、私の地平へのその序曲的な登場だったのだ。典雅な式典歌の旋律の行き戻りの中に、朝の透きとおる衣を纏って。（中略）そこには、生そのものの最も若い美しさ、そして脆い優しさが、ショパンの前奏曲のように湧き上り、仄暗い死の淵の間を、香わしい泡を立てて燦めきながら、私の憧憬の星空の彼方に突き抜けて行く！
美しいイメージなのだが、決して朗読して心地よい文章ではない。息の長い文の連なりが（まるでプルーストの翻訳文のように）読点ばかりでなかなか句点が現われず、延々と続いていく調子は、読む者を（少くとも音読する際には）かなり疲れさせるのではないだろうか。ここでは、ポエティクはあくまでイメージの要素にとどまっていて、調べやリズムやメロディといった音楽的要素からほど遠いといわなければならない。ロマネスクな文体にとどまるために、文章は敢えてポエティクから離れようとしている、とさえいえるだろう。もちろん、時にはポエティクな文体が現れる場合もあるのだが、そんな時にもやはり、中村の文章は、福永と比べた場合、いくらか生硬であり非音楽的な形態にとどまっているといわなければならない。
中村真一郎の場合、こうした生硬な「形式」があってこそのロマネスクな世界であることが、さらに緻密に検討すれば実証していけることと考えられる。言い換えるなら、中村は、ある生硬な形式を設けなければ作品からこぼれ落ちてしまうほどのポエティクの持ち主でもあった。彼の膨大な数の作品群の雄弁さがそのことを物語っているように思う。
３ ポエティクへの自省
以上見てきたような、二人の詩人作家におけるポエティクとロマネスクが、初期作品以後、どのような展開をたどり、そのことを彼ら自身がどのように把握していたかを、次に考えてみよう。まず、福永武彦の文章から。
僕の方法は詩を書く方法で小説を書いたようなもので、それが必ずしも間違いだったとは思わないが、少くとも僕自身がそれに飽きてしまったとは言えるだろう。モノローグ的方法は短篇では成立するが、長篇は原則的にディアローグの世界であり、どんなに自分の内部に降りて行っても、小説として成立する際に、それを他者との関係に於て捕えるのでなければ独断的になってしまう。
（「ある小説家の反省」一九五八年、より）
もっともな反省とひとまずはいえそうだが、こうした反省にもかかわらず、その後の『海市』も『忘却の河』も『死の島』も、やはり「詩を書く方法で小説を書いたようなもの」といわざるを得ないだろう。もちろん、複数の視点からの、時には膨大な量のモノローグを組み合わせていく、といった福永独自の緻密かつ実験的な方法も含めてのことではあるのだが。
これに対して、中村真一郎はどうだったか。こちらは後期四部作である『四季』の最終作品『冬』（一九八四年）から引用する。
ここで私のなかに人文主義の思想の芽生えてくる遠い根元を考えるには、一見突飛ではあるが、まず父と女性たちとの関わり方への考察から始めなくてはならない。
父の女性関係の特徴は、一方でその長い独身生活を利用しながら広い範囲の玄人や素人の女性たちとの一時的な交際を奔放に行い、一方でひとりの女性を女神のように崇拝していた点にある。そしてこの後者によって情欲が満されなかったために代償作用として前者の放蕩に赴いたというのでなく、前者もまた父のなかで独立した快楽の領域としてそれ自身を飽きることなく追求していた様は、今なお勇敢な狩猟者の姿として私の記憶の中に鮮やかに生きている。（中略）
ところで女性に対する父のこの二つの領域は、多くの対象と戯れる方は「日常的次元」のことであり女神崇拝の方は「形而上的次元」であって、前者を小説の世界に近いとすれば後者は詩の世界に属するもののように私には感じられる。前者の場では父は一匹の雄として官能を解放しいかなる愚行をも辞さなかったように見え、後者の場ではひたすら敬虔に身をつつしんでいるかに見えた。
（『冬』第五章より）
自身の父親の性状に関する叙述というかたちを取っているが、おそらくこの「二つの領域」は中村自身にも当てはまるものだろう。「戯れ＝日常的次元＝小説の世界」と「女性崇拝＝形而上的次元＝詩の世界」、といういささか分かりやすすぎる図式は、中村自身の散文的資質と詩的資質の共存と葛藤を、それも青春期から晩年に至るまで、長年にわたる「二つの領域」の共存と葛藤を、要約的に示している。
４ 父性の欠如あるいはポリティクの不在
福永の場合も中村の場合も、ともに一つの特徴的資質として、父性の欠如ということが挙げられるのではないだろうか。六一歳で死んだ福永については以前からそう考えていたのだが、七九歳（当時としてはかなりの高齢）まで生きて相当な数の作品を遺した中村の場合にも、少なくとも作品を見る限り、ほとんど父性という資質が（もちろん作者の分身と見るべき主人公にかぎってのことだが）見られないのである。
福永武彦の『海市』（一九六八年）第三部から引用する。
私はそれを懼れたのだ。その「夢みたいなこと」を懼れたから、子供の手術を口実に、無意識の裡に約束の時間を忘れてしまったのだ。一度卑怯だった者は二度目もまた卑怯なのだ。あの時逃げたのだから今度もまた逃げたのだ。お前はそういう男だ、そういう卑怯な男だ。四十歳の分別がそうさせたのではなく、要するにお前は死ぬのが怖いのだ、或いは愛することが怖いのだ。
若い頃に大切な恋人を自殺させてしまったが故の自責と悔恨、というモチーフは、長編『忘却の河』にも出てくるもので、いわば福永文学の一貫したオブセッションと呼ぶべき主題だ。後に『死の島』でもこの主題は繰り返されることになる。
一方、中村は、福永の死後五年めにあたる一九八四年に、長編『冬』第五章の中に次のように書いている。
私はその後何度自分の愚かな良心の奴を罵ったことだろう。そうして遂にはその良心に本当の名前を教えてやった。それは臆病という名だった。お前は人生における重要な決断の際には必ず行動を逃げる卑怯な癖がある。そしてその逃避に何らかの道徳的な口実を発見する狡さがある。ざまを見ろ、と私は繰り返すのが常だった。
まるで十六年前の『海市』の主人公渋太吉と響き合うかのように、『冬』の小説家は反ポリティクあるいは脱ポリティクと見るべき「逃避」癖（「行動を逃げる卑怯な癖」）を告白しているのである。
こうした父性の欠落という性質は、そのままポリティク（政治性）の欠落にもつながっている。しばしば「芸術派」の代表のように評される二人の作家は、一方で、政治性の欠如といった性質も備えていた。そしてこれは、きわめて意識的なものであった。特に中村真一郎の場合、生前、各方面で高名で、様々な業界や団体と関わりをもった著名人であり、それほどの人物が通常、まったく政治的に利用されないはずがない。だから、中村におけるポリティクの欠如はあくまで意識的なものであり、意図的な脱ポリティクだったと想像される。つまり、中村は〈父〉たることを積極的に否定していたのだ。この点を実証するためには、中村真一郎の全生涯にわたる発言や行動や作品を精査する必要があると考えられるが、ここではひとまず、ポエティク／ロマネスクに次ぐ第三項としてのポリティクという問題系を提出しておくにとどめ、今後の研究課題として書き留めておくことにする。
最後に、以上の問題系を考える糸口として、福永武彦が『死の島』上梓の後に書いた「作者の言葉」の一部を引用しておこう。
主題については読んでもらう他はないが、例えば原爆という私らしからぬ社会的問題を、重要な主題の一つとして扱っている。なぜならばそれは日本人にとっての魂の問題と結びつくからである。
「私らしからぬ社会的問題」を「魂の問題」に結びつけることこそが、福永文学の最後の命題だったことを想像させる発言ではないだろうか。この発言は、『死の島』が、たとえ間接的にであれ、その実現の企てであったことを示唆していると思われる。もちろん、その実現は未だ道半ばという言い方もできるだろう。「社会的問題」と「魂の問題」とのより具体的で直接的な結合は、ついに果たされないままに、福永武彦はその生を閉じたのである。
実は福永は、『死の島』連載開始（一九六六年）の三年前、「「死の島」予告（二）」という短文を公表していた。そこには「現代に於ける愛の可能性、或いは不可能性という主題を、原爆の被害者である一人の女性をめぐる数人の人物との関係に於て捉え、そこに死の島である日本の精神状況を内面的に描き出したいという私の野心」が「砂上楼閣の感を呈して来た」と記されているのだが、「砂上楼閣」に終わったかどうかは別として、福永が、少なくとも、「死の島」としての「日本」という時代状況を強く意識していたことだけは確かだろう。