無幻境 二十歳のノートより
（「QUARTETTE」第４号）
山田兼士
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影
水色の影
闇の中に灯る
小さな影
陰と陽の氾濫に
堰切って流れ出した
無数の黒い痣
熱い炎となって
薄紫色に燃え上がる
魂のひとかけら
それは
星のかたちをしていたかもしれない
＊
朝靄が流れる
新緑の草原
走り去る星粒の群れ
不協和な
無数の光線の輝き
一条の光から
幾粒かの滴が
草の葉に落ち
やがて沈んでいく
たったひとつ残された星
の傍らを
黒と白の
まだら模様の鴉が
駆け抜けていく
手と足は
地平線の彼方に
置き去りにしたままだ
＊
狂気は失われ
虚ろな夢だけが
眼の裏に棲みついてしまった
突然の倦怠
一瞬の身震い
まのびした笑いは
天使の浮棺に
よく似ている
過ぎ去った季節は
涙のかたち
それはあの青白い海のむこうから
潮風に
運ばれてきたものだ
それは
引き裂かれた
白い魂を思わせる
＊
世界は……たぶん……
慰安に充ちていて……
永久に終わりのない
押し潰された円環をしている……
世界は……終わるのではなく……
まして……始まるのでもなく……
押し潰され……
押し広げられていくものだ
時間は一秒ずつ……
降り積もる……
まるで……
窓辺に降る雪が……
いつの間にか世界を……
原野に変えてしまうように
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闇
灰色の闇
なにもしないでいる
真昼の闇
黒い花ひとつ
口をあけている
その誘いに惹かれながら
立ち尽くしている
ここは
年老いた砂漠
それとも密室
蠱惑の日々が
始まろうとしている
＊
鐘の音に導かれ
君は急ぎ足でやってくる
果てしない「今」
の氾濫に
死者は銀河系の外に
飛び散ってしまう
＊
ほほえみは
冷淡の証し
太陽は
ただひとつの弔花
海は
広大な墓場
死のおぞましさは
生の執着のため
人はみな
死者の心臓を息づかせている
希望は
彼方から突然
疾風に運ばれてくる
彼方……
それは馥郁たる……
星の群れの
真ん中に渡された
透明な夢の浮き橋……
＊
人が望むのは
生きながら死ぬこと
なぜならそれは
権利だからだ
人には……
償いをする権利がある
＊
そのとき
オルフェウスは涙を流したか
乾くことのない
苦い血の涙を流したか
出会いの悲しみは
視線を曇らせたか
意志の高揚は
色褪せた
ひとときの永遠を
演出する
在るものは……
あまりにも在りすぎる
そのとき君は
別の遊星になりたいと
望んだだろう
＊
豊穣さは……
あまりに眩く
闇の貧しさのために……
かえって輝きを失ってしまう
そしてあまりに深い欲望が……
私を……
すっかり……
萎えさせてしまう……
君が在るだけで……
私は在りすぎてしまうのだ
＊
一本の煙草が
私を呼び戻そうとする
一日が私を捕えて放さない
まどろみに身を委ねても……
無幻境は遠ざかる……
煙をくゆらせながら……
私は……
空間を……
手に入れる……
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昼
静寂の昼
やわらかな日差しと
ゆるやかな眼差し
昼は白く
絹糸で縫われた喪服
よりさらに白く
ことばの色をしている
あまりにも眩しくて
声をかけることもできない
君は
光の中で
何かを見詰めている
君の瞳は黄昏の色をしている
君は……
自分の瞳を……
見詰めているのかもしれない……
＊
君は記憶……
のかたちをしている
だから私は……記憶……
を探し出さなければならない
枯れ果てた記憶の隅々までも
尋ね歩くだろう
＊
オートバイの轟音と
排気ガスの匂いとの
計算された
精緻な有機体
群衆のざわめきと
駅のアナウンスとの
奇妙な二重唱
モーツァルトと
リズム＆ブルースとの
曖昧な相関図
野良猫たちの悲しみは
人知れぬ公園に
そっと置き忘れられている
＊
月光に揺らぐ
木々のざわめきが
再び
まどろみへと誘う
いつの間にか
何かを置き去りに
したことに気付く……
夢は君よりも明晰で……
君はなによりも……
韜晦に充ちている
その曖昧さのために……
夢の中に……
君を……追い続ける……
＊
無幻境……
あらゆる時間が
不在でもなく
実在でもなくなって
ただひとつの「今」が
無数の虹となって
私たちをとりまくところ……
時間はもはや
降り積もらず
空間は
押し潰されはしない
君は……
私たちでしかない……
＊
記憶のかたちをした
君を保存しよう……
記憶……
の中に……
瞳……
の中に……
引き裂かれた夢のかたちを……
過去に見出そう……
無幻境は……
記憶……
の隅にも……
かたちを……留めていない……
かすかな……音と……
わずかな……気配だけが……
ただ……
ただ……
いつまでも……