●書評●小池昌代『幼年　水の町』

（「びーぐる　詩の海へ」第３８号）

散文的明晰と詩の光

山田兼士

　幼年を主題にした作品といえば、まず堀辰雄やカロッサを思い浮かべる人が多いと思うが、私にとってはまず福永武彦の『幼年』だ。輪郭も定かでない遠い記憶の儚さそのものの表出であるかのような文体に何よりも特徴のある小説、といえばいいだろうか。これに対して小池昌代の「幼年」は、輪郭も色彩も明暗もこの上なくくっきりと像を浮かばせる明瞭な文体に特徴がある。東京深川に生まれ今もその延長上に暮らしていることが大きいのかもしれないし、あるいは、小池さん自身の記憶力や喚起力によるのかもしれない。
　そうした明確さあるいは透明さに照らされたエッセイ群は、散文的明晰性とともに不思議な「詩の光」に照らされてもいる。これらのエッセイには、作者のこれまでの作品群、とりわけ詩作品と対をなすものが多くあるようで興味深い。まず第一詩集『水の町より歩きだして』と本エッセイ集は「水の町」という共通のタイトルをもつことからも明らかな通り、生まれ育った深川の風景と幼年期の思い出をモチーフにしたものだ。とりわけ「光」に敏感に反応した少女は長じて「詩の光」を生み出し「感光生活」（小池さんのノベルエッセイ集の題名）を描き出していくことになる。
　冒頭近くでは散文的明晰性を主とした語りが多く見られるのだが、やがて叙述は、より詩的な方向へと傾斜していく。「詩」への言及や「詩」そのものの引用が鏤められるようになるや、一挙に詩的イマジネーションへと飛躍し始めるのだ。

　例を挙げてみよう。「紐の生涯」と題されたエッセイは、通りすがりの高校生の靴紐が解けているのを見たことから始まり、その場面を言葉に並べてみたら「さきほどの現実がすこしずれて、また違うものが現れてくる」と述べ、その言葉を行分けで示している。その全十七行は、そのまま「詩」と呼べるものだが、これを「また違うもの」とさりげなく述べているのが面白い。現実を書き写しているうちに「現実がすこしずれて」現れるものが「詩」なのである。エッセイの叙述はこの後、谷川俊太郎的といえなくもない「学校燃えろ」の想像や、杉山平一と立原道造の出会いのことなどへ自由連想的に伸びていき、終わり近くでは「紐」と「毛糸」の比較に及んでいく。

　形状は同じ「ほそながいもの」だが、紐より長い毛糸もあった。こちらは結べない。編み込むことになる。解けるにしろ、解くにしろ、その長さゆえに時間もかかる。編み物を見て思うのは、編み込まれている時間のことだ。紐の生涯を「詩」の潔さにたとえるなら、毛糸の生涯は「長篇物語」になるだろう。

　こういう思いがけない場所での「詩の発見」が小池昌代のエッセイの真骨頂だと私は思っている。まさに散文的日常の中に詩を発見する名手なのだ。

　末尾に収められた掌編小説では、介護職員の女性と死期を間近にひかえた老人（あるいは老詩人？）の交流が描かれるのだが、ここでは辻征夫の詩が引用され、老人の過去が微かに映写されている。面白いのは、詩の朗読を契機として語りの主体が女性から老人へと移行していることだ。末期の詩、とでも言えばいいだろうか。死の光に照らされた詩は限りなく清澄で透明だ。これが詩のアルファでありオメガでもある、といってみたくなる。

　至る所に詩の種が埋め込まれた二十五篇のエッセイ（と掌編小説）は、この詩人の更に先にあるポエジーへと「発見」を促していくことだろう。