●書評●

小池昌代『転生回遊女』

平田俊子『スロープ』

二つの詩小説―転生と流謫

（「びーぐる―詩の海へ」７号より）

山田兼士

　詩も書き小説も書く二人の女性が、時を接して魅力的な長編小説を刊行した。それぞれ独自の世界を築きながら〈詩〉を内在させている点で共通項のある両作品を重ねて読んでみたい。

　まず小池昌代『転生回遊女』では、少女のキャラクターがみごとに描かれているのに感心した。十八歳の多感な心と体が急速に開かれていく様子。天涯孤独でありながら他者を引きつけて止まない、しかも孤独をアプリオリにと言えるほど自然に（ほとんど本能的に）つかんでいる、不思議な少女桂子。この小説はそんな少女がたったひとりで、亡き母の言葉だけを指針として、多くの他者たちと交わることで「転生」を繰り返し生長していく物語だ。

　もうひとり、冒頭で死んでしまう母親のキャラクターもまた、追想の中で描かれるだけだがそれだけにいっそう魅力的だ。風のように人生を旅し続けたこの女性は、少し前の時代なら（フーテンの寅さんのように）さすらう男の美学を体現していたようなキャラクターだ。この母親の方を中心にした「前史」的な作品も読んでみたい、との欲望を覚えた。

　ほかにも、作品に登場する女性たちはとても個性的に生き生きと描かれていて、各々が自分の磁場（詩的磁場と呼んでもいい）をちゃんと作って生きている。その女性たちと交わりながら桂子は加速度的に成長していくわけだから、これは現代女性のビルドゥングスロマンそのもの。それと比較すると、男たちはどうも線が弱い、というか、繊細にして優しい人ばかりで、生のエネルギーがあまり発動していない印象だ。これは本作の欠点というわけではなく、そういう時代そういう社会の男性像の体現と見るべきだろう。その分、現代男性の善良さを嘲笑するかのように、悪（あるいは欲）の化身のように描かれているのが長谷川老人。こちらの方の「外伝」もどこかで読みたいような気がする。

　そうした人物やストーリー展開の魅力（まるでＲＰＧのような速度感と言えばいいか）を前提として、やはりここでは小池昌代の散文に独特のリズムやイメージの飛躍、といった詩的要素に注目したい。部分部分に詩が宿っているし、何よりも主人公桂子は天然詩人そのもの。最後の一文「転生回遊女。転がり落ちていくのだ。硬い一個の石として。日々、転生し、生まれ変わりながら。あの煌めく海のむこう、この世のはてまでも。」など、句読点を外して行分けしたらそのまま詩として読まれるのではないだろうか。しかも主人公の性格と人生観と世界観をみごとに一人称でうたっている。かつてジュリアン・グラックが自作を命名した｢詩小説｣の名称を与えたいと思うのは私だけではないだろう。大人の入り口に立った桂子のさらなる魂の遍歴を（この続編を）ぜひ読みたい。

　これといわば逆の方向から「詩小説」を実現しているのが平田俊子『スロープ』だ。こちらは作者とほぼ同年代（そしてほぼ作者と等身大）の女性を主人公にした小説だが、だからと言って私小説というわけではない。帯に刷られた「海を越え、坂で遊ぶ、大人小説」というキャッチコピーが如実に示すように、大人の視点から自らの過去を再現し、自分が生まれる前に戦死した母方の伯父の人生を再現した、これも魂の遍歴の物語である。

　物語の骨子は、東京で一人暮らしの主人公が都内各地の地名、特に坂の名にまつわる歴史や逸話に興味をもち解説しながら、母方の実家で本人も幼い頃住んだことのある隠岐での生活に思いを馳せ、ソロモン諸島の海戦で死んだ伯父を追悼する旅に出て帰ってくる、という内容だ。都市生活者の孤独と不安をそこかしこに漂わせながら、主人公の性格はどちらかと言うと快活で磊落だ。特に、ユーモアのセンスは作者のキャラクターそのままに秀逸かつ洒脱である。たとえば、東京の坂のひとつを擬人化して語らせる次のような一節。

　浄瑠璃坂は呪っている。奥平家の仇討ちがしょぼかったせいでわたしはすぐに忘れられた。三百人ぐらい殺されて七千人ぐらい切腹したら人気も知名度も持続したのに。手ぬるい島流しなんかにしたせいで、わたしも仇討ちも忘れられた。今からでも遅くはないわ。もう一度派手な仇討ちがあって関係者が全員切腹すれば、わたしはスターに返り咲ける。

この一節を読んで、あの平田俊子の詩を思い浮かべる人は多いのではないだろうか。雄弁な会話体で不条理を貫いて詩の世界に突き抜けて行く、独自の言語世界である。小池昌代が繰り出す詩的リズムの散文とはちがって、散文が散文のリズムを保持しながら詩的イメージへと驀進する、平田ワールドの真骨頂はこうしたユーモアとペーソスの中にある。

　もう一つ、本作の大きな特徴は、冒頭部分は別として、おもに二ページほどの断章風スタイルが物語の糸を意図的に断絶させている点に見られる。それだけモード転換が頻繁に行われているということだ。このような比較的大きな単位での飛躍が、独自の詩的リズムを作り出していると見ていい。今の生活情景から幼年期の思い出に移る素早さや、戦時中の伯父による一人称語りや先に引用した坂の一人称語りなど、多様な視点や話法を使い分ける手法は、おもにこの断章スタイルが支えている。特に短い断章の中には、文体の点でもイメージの点でもそのまま詩になっているものもある。

　後鳥羽院は隠岐で十九年暮らし、生きて再び隠岐を出ることはなかった。

　真知男さんは隠岐で十九年暮らし、生きて再び隠岐に帰ることはなかった。

　古くから流刑地として歴史に名を留める隠岐の出自に〈流謫者〉としての自覚を重ねる主人公は、ソロモン諸島コロンバンガラ島沖で戦死した伯父の面影をたずねて慰霊祭のツアーに参加する、というのが物語後半の主要部分だが、実はこの部分には「前史」と呼ぶべき作品があって、本誌第四号（二〇〇九年七月）に掲載された詩「赤い夜」がそれだ。

　詩「赤い夜」は、前半が「伯父の夜は海」｢伯父の夜は照らす｣「伯父の夜は燃える」をそれぞれ四度繰り返す四行詩節三連から成り、次いでコロンバンガラ島沖での海戦を報道記事風に記す散文、最後は「伯父の朝は無言」を四度繰り返す四行詩節の後、一行空きがあって「享年十九」と閉められている。

　十九歳で戦死した伯父（この「十九」というのは本作のマジックナンバーで、主人公は東京に住み始めて十九年めに生涯十九回めの引っ越しをしている）に永遠の流謫者の面影をたずねる主人公は、作家平田俊子の魂の等身大の肖像であるとともに、〈坂〉と〈島〉に住み続ける詩人による異界レポートの媒介者でもある。この領域こそ、われわれが「詩」と呼ぶ時空のことではないだろうか。

　詩と小説を自在に行き交う二人の詩人＝作家による今後の転生と流謫がますます楽しみになってきた。