●書評●町田康『湖畔の愛』（新潮社）

詩的言語のアナキズム

（「びーぐる」第３９号）

山田兼士

　このところ『ホサナ』『ギケイキ』と大作が続いている町田康が、元々得意としてきた中編三作品から成る連作『湖畔の愛』を刊行した。いずれも湖畔に建つ老舗ホテルを舞台に様々な人物が奇妙にまた神妙に騒動を繰り広げる、いわゆる「グランドホテル方式」の小説だ。三篇すべてに登場するのはホテル支配人の中年男と従業員の若い女性だけで、この二人が相当に濃いキャラクターの狂言回しとなって物語は進んでいく。

　怪しげな日本語を操る女性オーナー、意味不明の真心語（と呼んでおく）を話す初老の紳士、奇態な発言と行動で周囲を撹乱する老従業員、演芸に命をかける型破りの若者たち、伝説の老漫談家、ヤクザ風の三人組等々、いずれもまともとは言い難い人物たちが個性をフルパワーで発揮する物語は、まるで町田版吉本新喜劇とでも呼びたくなる荒唐無稽なユーモアとギャグにあふれている。例えば、それぞれのキャラクターに吉本芸人のだれそれをそのまま当てはめてみたくなるような（「スカ爺」はあの人、とか）欲求を感じる人は、特に関西在住の読者には多いだろう。もちろん町田節に特有の暴力的パワーと超絶的レトリックを前提にした上でのことだが。

　だが、こうした登場人物やストーリーの紹介は本稿の意図するところではない。それより、町田康の文章に特有の詩的アナキズムについて、そのほんの一端にでも、ここで触れておきたいと思う。まず極端な一例から。

「ざいらして。ほのあかりざいらして。すかじい。ざいむにらかし。ぼこのうまれの。いぎのありどこの。ざりす？（いや、ここでいい。このスカ爺とか言う人ともっと話がしたい。そこの女の人とも。そして君とも。しかし、忙しいのかな？―—スカ爺訳による）」

　キッチュでアナーキーな町田節の真髄とでもいいたくなる音表言語で、いちおう意味は想定されているのだが、それは「スカ爺」にしか分からない不条理言語だ。この不条理こそが「真心」といえなくもない。この言語を話す老紳士は「旅に出て、真心のみで意味のない言葉がどこまで通じるか、という実験をした（……）言葉を持たぬものはかくも苦しく哀しい境遇に立たされているのだ、と、思ったのだ」と述懐するのだが、ここには〈真の言葉〉を希求する詩人の苦悩が滲み出ている、と考えるのは深読みだろうか？

　三作中二番目に配置された「雨女」は、いちおう恋愛小説の形態をとっているが（実際ある意味で純愛小説と呼べるのだが）三作中最もラディカルに町田テイストが発揮された幻想小説ともいえる。物語は、極端な｢雨女｣であるヒロインが凄絶な一夜の後についに恋人と結ばれるまでの経緯をたどっていく。気分が良くなると必ず雨にたたられるという経験を幼児期から重ねてきたヒロインは、ここ湖畔のホテルでも周辺に大災害をもたらし（なにしろアメリカの一州を壊滅させるハリケーンを招くほどの雨パワーなのだ）登場人物一同に危機を招いてしまうのだが（このあたりの誇張法もまた町田流）、最後、恋人吉良による命がけの祈りによってすべては解決する。その龍神への祈りの場面を引用する。

吉良の思いは濃度を薄めずに拡散していった。そこへ、響いたのは言葉でも音でもない、単なる力が突如として現れた。それはたとえて言うならば地震のようなものであった。しかし、本来、外にないはずの内の思いを外に拡散させて、抑制のきかぬまま、外の自然と絡み合ってしまっている。なので、たとえ、それが風の音であったとしても、或いは、枯れ葉がはらっと落ちる音であったとしても。そのうちに文脈をはらむという地獄（……）

　思い、濃度、拡散、力、地震、外部、自然、外、内、音。これらパラダイムが成す「文脈」とはまさしく詩そのものではないだろうか。