谷川俊太郎とジャズの話
（「洪水」第１７号）
山田兼士
谷川俊太郎と音楽のことならば、まずベートーヴェンやモーツァルトなどのクラシック音楽や、林光、武満徹といった現代音楽、それにある時期以降は長男の谷川賢作の作品などが話題になるだろう。これに対して、谷川俊太郎とジャズというのは意外な取り合わせと思う人が多いかもしれない。だが、谷川さんは意外と早い時期からジャズへの興味を示し、少なからぬ作品にもその痕跡を残している。
まず、タイトルがずばり「夜のジャズ」という詩が、五冊めの単行詩集『あなたに』（一九六〇年）に収録されている。
太郎はめくら
夜だから
花子もめくら
夜だから
何も見えない
さわるだけ
太郎はさわる
花子もさわる
とても生きのいいお魚
とても新しい貝
とてもすごいあらし
とてもゆれる舟
とてもまつくろい夜
とてもとても
とつてもさ
静かにひろがつている四本の枝と四本の根 （冒頭部分）
闇の中での性行為を盲目の男女のイメージで捉えた若々しい作品だが、特に「ジャズ」への言及が直接あるわけではない。ではなぜこの作品が「夜のジャズ」なのかといえば、イメージの連鎖とリズムの展開がジャズのアドリブのように自在かつ放埒に奏でられていくからだろう。谷川俊太郎にとってジャズとは、まずこのように変幻自在のアドリブとして認識されていたようだ。
変幻自在なアドリブへの志向は、続く第六詩集『』（一九六二年）において、より意識的な方法を伴い一つのスタイルを完成させることになる。「ゆるやかな視線」「今日のアドリブ」「詩人たちの村」の三章各七篇から成る詩集は、章ごとに明らかな特徴を示していて、私はかつて自著『谷川俊太郎の詩学』（思潮社、二〇一〇年）の中で、これを「静から動へ、また静へというカーブ」と称し、第一章を「和声法的な音楽」、第二章を「騒擾で即興的な音楽」、第三章を「対位法的な音楽」に比した。また、スタイルの面でも、第一章の行分け詩、第二章の行分け詩と散文詩の混合（多くは亜散文詩）、第三章の散文詩と、特徴がはっきり表れていることに注目し、ここに小野十三郎の持論「歌と逆に歌に」の「折れ線」と同様の構造を読み解いた。このうち第二章の「アドリブ」こそが谷川俊太郎におけるジャズ詩の実現にほかならない。
一九五〇年代から六〇年代にかけて、ビバップやクールやモードなど、急速に進化を遂げたジャズ音楽は、アメリカでも日本でも多くの詩人たちに影響を与えた。谷川俊太郎もまたその前衛性、革新性の影響を受けたひとりだ。自ら「現代詩人として始めて認められた」と回想する詩集『』は、書法も内容もそれ以前よりはるかに〈前衛的〉かつ〈実験的〉なものとして詩界に受け入れられたのだった。その代表作を挙げてみよう。
云いたいことを云うんだ どなりたいことをどなるんだ ペットもサックスも俺の友だち俺の言葉が俺の楽器 ワンコーラスわけてくれ いやツーコーラス いやスリーフォア いくらでもいい 一時間二時間六時間いや一日をまるごとくれよ俺に 黙つてるのは龍安寺の石庭 叫ぶのは俺だ 俺はのどだ 舌だ 歯だ 唇だ のどちんこだ 声なんだ 俺はミスタージャジージャズー ジャザールの広場でジャゾーに乗つてジャゼッパ歌いながらジャズリングをジャズウジャベッてるジャップのバップジャザイはしないジャザイカの胸毛だ ジャズイはやめてくれ ジャゼージョンのジャジイズはジャザズウのジャジ ジャズつてるジャジャンザはジャズトジャザイズのジャジャジャジズムなのさ （「スキャットまで」全文）
今読んでも、いや今だからこそ、驚くほどに〈前衛的〉な谷川俊太郎ではないだろうか。とりわけ「ジャズ」という語を暴力的なまでに過激に変形して「スキャット」と化していく語法はまさに言葉による「アドリブ」演奏であり、その激しいリズムは即興演奏と呼ぶにふさわしい。この語法の延長線上に、実は一九七〇年代における一連の「ことばあそび」を位置づけることもできるのではないだろうか。「ことばあそび」の過激さの起点にはジャズがあった！ というのが今回のささやかな発見である。
「今日のアドリブ」全七篇の中には「ここは寒い／ここは寒いよ マイルス」と始まる名作「COOL」や「長すぎるリフ」「マリファナ」といったいかにもジャズ風の作品があって、この時期の谷川俊太郎が急速にジャズに入れ込んでいった様子がうかがわれる。その入れ込みようが、実は、「現代詩」の前線への進撃と深く関わっていたことを確認しておきたい。
＊
つい先日（二〇一五年十月二十四日）、世田谷文学館で行われた、谷川俊太郎と三浦雅士の対談の中で、意外な発言が谷川さんからあった。「大岡信展」に寄せたもので、おもに大岡さんと谷川さんの交流をめぐっての対話だったのだが、詩誌「櫂」の連詩について、その提唱者は谷川さんだというのだ。もともと連句を試みていた大岡さんの活動を見て、詩でも同様のことができないかと大岡さんに持ちかけたのがきっかけで連詩が始まったとのこと。その背景には、ミュージシャンたちが楽しそうにセッションしているのが羨ましくて仕方なかった、との思いがあったという。谷川さんが例として挙げたのは「ジャズ・ピアニスト」としての息子の賢作さんだが、賢作さんがピアニストとして活躍し始めるのは一九八〇年代以降だから、これはあくまで「例えば」という話。「櫂」の連詩は一九七〇年代に始まっているので、その時点ですでに谷川さんはジャズのセッションを詩に応用する方法を考えていたことになる。つまり私がいいたいのは、「連詩」とは詩におけるジャズ演奏ではなかったか、ということだ。
一例として、『櫂・連詩』（思潮社、一九七九年）の中からごく短いフレーズのものを挙げてみよう。（参加者は谷川俊太郎、吉野弘、水尾比呂志。大岡信、岸田衿子）
なまりあるアイウエオの母たちもいる寒さ 俊太郎
博物館前薄陽を着る石仏一体 弘
亜歴雷王のおとし胤 比呂志
遂ふ水牛にアルメニヤ語の詩きかせてゐる 信
小道具の月を支える手に反戦指環 俊太郎
鳥威しの村を出て三月経った 弘
揃いのジーンズの上着に秋風 衿子
雲水は石をぬすみ見て半眼 比呂志
劇画の美少女 来週は犯されてしまふか 信
比翼紋など染めさせて知命 俊太郎
（「アイウエオの母の巻」冒頭）
一見なんのつながりもないイメージの羅列ともいえるが、各々のイメージが次々と連鎖しているようにも見える。また、体言止めを中心にしたリズムがゆるやかにフレーズからフレーズへの受け渡しをしているようでもある（時折大岡信が動詞表現でアクセントをつけているのはさすがに宗匠というべきか）。そう見れば、まさしくジャズの即興演奏のようではないだろうか。そこには多分にアドリブも含まれている。
「櫂」同人たちによるセッションを振り返って、谷川さんが「これを始めてから詩の書き方が変ったということはない？ 僕はすごくあるんだな」（前掲書、座談会「連詩をめぐって」と発言していることも興味深い。というのも、この時期の谷川俊太郎は、これ以後も続く長い詩歴も含めて最も激しい変容のさなかにあったからだ。連詩を始めたのが一九七一年、あの過激な言語実験『ことばあそびうた』が一九七三年（以後も続行）、詩集『定義』と『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』が一九七五年（対照的な二冊を並べることで読者への問いかけを試みた、と後に振り返っている）、本格的な詩画集の始まりになる『由利の詩』は一九七七年、現代詩の極北とも呼ぶべき謎の詩集『タラマイカ偽書残闕』は一九七八年だ。これら数々の作品についてここで解説を施すことはできないが、相次ぐ実験と試行の渦中だったことは明らかだ。一九六〇年代のジャズとの出会いからアドリブとセッションを詩に活用した谷川俊太郎の実験詩は、とどまるところを知らないかのようである。「櫂」同人たちによって始められた連詩もまた、この後、一九八九年刊行の『ファザーネン通りの縄ばしご』（大岡信ほかとのドイツでの連詩集、岩波書店）を経て現在まで続けられている。その最も新しい企ては、四元康祐、ミンディ、キム・ヘスンとの「三か国語連詩」（二〇一五年八月一四日、一五日、大阪と東京で開催、ただし谷川さんは欠席、山田兼士と野村喜和夫がそれぞれ代読した）だ。連詩という言葉のセッションによる他者との葛藤および共鳴が、谷川俊太郎のさらなる新しい詩境を生み出し続けているのである。
＊
最後に、一九八三年刊行の詩集『どきん』（理論社）から、「そのひとがうたうとき」を挙げておく。
そのひとがうたうとき
そのこえはとおくからくる
うずくまるひとりのとしよりのおもいでから
くちはてたたくさんのたいこのこだまから
あらそいあうこころとこころのすきまから
そのこえはくる
（中略）
そのひとがうたうとき
よるのなかのみしらぬこどもの
ひとつぶのなみだはわたしのなみだ
どんなことばももどかしいところに
ひとつのたしかなこたえがきこえる
だがうたはまたあたらしいなぞのはじまり
くにぐにのさかいをこえさばくをこえ
かたくななこころうごかないからだをこえ
そのこえはとおくまでとどく
みらいへとさかのぼりそのこえはとどく
もっともふしあわせなひとのもとまで
そのひとがうたうとき
歌をテーマとしリフレインを多用した讃歌だが、現在では、ゴスペル歌手「マヘリア・ジャクソンの歌を聞いて書いた詩」（前掲書附録「対話――谷川俊太郎☓山田兼士」中の谷川発言）であることが明かされている。ゴスペルの歌声に耳を澄ます詩人の脳裏には、青春期のジャズとの出会いとその後の展開が高速度で駆け巡っていたにちがいない。