本棚の怪人（「びーぐる」４８号）　　　　　　　　　

山田兼士

寝室か病室かわからない部屋で

目覚めたら書棚に囲まれていた

脚をいためたらしく

寝台から外に出られない

右奥の薄闇にぼんやりと

なじみのある書名が浮き上がる

ベージュの函入り

ヴァレリー全集

ハンチングに革ジャン姿の

真夜中の怪人がそこに住んでいる　

子供の頃テレビで見た

恐怖のミイラに似た風貌の

本棚に妖怪が棲むと聞いたことはある　　

昼間は紙のように薄くなって

人目を逃れているらしい

真夜中に立体化し徘徊する

ついに棲み家をつきとめた

全集第１巻と２巻の前の方

カバーと本文の間あたり

「テスト氏」の中表紙のところ

青春の　情念　憧憬　理想　野心　

恐怖　不安　諦念　憂鬱　絶望

が　凝縮した結晶体

それがぼくのテスト氏だった

いつか忘れたはずのひとに

還暦を過ぎて不思議な会い方をした

本棚の怪人に声をかけようとしたが

すでに声は失っていた