高階杞一詩集（ハルキ文庫、角川春樹事務所）

春と詩人

（「交野が原」第８０号）

山田兼士

　既刊の十四詩集（文庫版とアンソロジーを除く）から一〇五篇（全作品の四分の一ほど）を選出し、谷川俊太郎のエッセイ（解説）を加えた一冊。軽妙洒脱にして優しさにあふれた谷川さんの解説もうれしいが、何よりも、高階作品のエッセンスをコンパクトなかたちで多くの読者に届けられるようになったことに大きな意義がある。収録作品を決定するための編集の労も並大抵ではなかっただろう。ちなみに、砂子屋書房版『高階杞一詩集』（二〇〇四年）には、『漠』から『空への質問』まで八冊の詩集から一四七篇が収録されている。そろそろ『続・高階杞一詩集』の刊行も期待したいところだ。

　高階作品については、最近の二冊をのぞく十二冊を、拙著『高階杞一論　詩の未来へ』（澪標、二〇一三年）で論じたので、また、その後の二冊についてもいずれ近いうちに本格的に論じたいと思っているので、ここではこれまでとは多少異なった観点から高階作品を紹介してみたい。

　高階杞一を中原中也に匹敵する「春の詩人」と私は見ているが、本書にも「春」をテーマにした作品は多く含まれていて、その特徴がはっきり表れている。題名に「春」を用いた作品だけでも十二篇あり、全体の一割を越える分量だ。これは、元々｢春｣をテーマにした作品が多いことに加えて、それら「春詩篇」に佳作秀作が多いことにも起因しているだろう。十四詩集中十詩集から「春詩篇」が取られていることからも、作者が一貫して「春」を重要なテーマにし続けていることが分かる。

　本書収録の「春詩篇」十二篇のうち、「春の食卓」（『さよなら』）｢春｣（『キリンの洗濯』）「春昼」（『夜にいっぱいやってくる』）｢春のスイッチ｣（『空への質問』）「春の港」（『雲の映る道』）「春と習字」（『いつか別れの日のために』）――いずれも代表作だ――は拙著で取り上げたので、ここではそれ以外の「春詩篇」を見ていきたい。まず、詩集『春’ing』表題作から。

今日はお鍋よ／だったらぼくは牛蒡(ごぼう)と葱(ねぎ)を買いにいこう／そう言って／出ていったまま／もう二十年もあの人は帰ってこない／／この頃は／めきめきと／空も／春らしくなってきたし／わたしは／ひとりでも鍋ぐらいは炊ける／／丘の上で／雲といっしょに／トントンって／包丁を動かしているのも楽しいし／／明日は／雲雀も入れてみよう／それから／自転車に乗って／街まであの人に／もうすっかり用意ができたことを告げにいこう（全行）

　同詩集には、同じく「春」を主題にした名作「人生が１時間だとしたら」があるために、表題作にしてはあまり目立たない作品だが、高階杞一特有の不思議ワールドを描いた佳作である。高階さんが時折用いる女性一人称もごく自然で、平易な語彙で深い余韻を与える高階語法の本領発揮といったところ。買い物に行ったまま「二十年も」帰ってこない「あの人」を淡々と待ち続ける「わたし」は毎日たのしく料理を続け、「雲雀も入れてみよう」などと能天気に考えるのだが（萩原朔太郎の「雲雀料理」をふまえているのだろうか）、ある日ふと「自転車に乗って」｢用意ができたことを告げにいこう」と決意する。この時間的不条理に加えて、今回あらためて気になったのは｢春’ing｣というタイトルそのものだ。春の真っ最中どころか「お鍋」からは冬の気配が漂うし、それから「二十年も」経って「春らしくなってきたし」とあるのはどういうことか。まるで冬から春になるのに二十年もの時間が必要だったかのようだ。やさしい雰囲気の中にも仄かに、だが切なく漂う哀愁の源には、この二十年の孤独――時間のマジック――があるのではないか。

　｢春’ing」の時間マジックに対して「春と骨」（『雲の映る道』）では空間マジックが用いられている。全行を引用しよう。

扉がひらき／骨が出てくる／その／ひとつひとつを／箸でつまんで／小さな壺に入れていく／あんなに大きかったものが／こんなに小さくなって　帰っていく／春／誰もいない／野原にすわって／遠くを見ていると／箸が／よみがえってくる／箸の先の小さな焼け焦げた骨が／崩れ／問いのように　空から／降ってくる／／　　もう会えないの？

　書かれた時期から推察して、父親の火葬（年譜には六月とある）の後を描いた作品だが、「春」という一語のみの一行で季節は移り、同時に場所も変わり、ひとり野原にいる時にお骨上げの「箸」が突然「よみがえって」、箸でつまんだ骨が崩れ、｢問いのように　空から／降ってくる｣。ここで骨は声と化して最後の一行｢もう会えないの？｣を導き出す。一瞬にして上下方向を逆転する空間マジックが亡父の声を蘇らせるのだが、その声はまた（口調から察すれば）その十一年前に三歳で亡くなった坊やの声のようにも聞こえてくる。父親の死と息子の死が一瞬で重なるのである。時空マジックとでも呼べばいいだろうか。

　最後に「春の海」（『いつか別れの日のために』）を挙げる。

電車に乗って／海へ行く／まだ一度も海を見たことのない君を連れて／／君はうれしそうに窓の外を見る／景色はうしろへうしろへ流れ／やがて海が見えてくる／／君はふりかえり／驚いたような顔で僕を見る／／あれがうみ？／そうだよ　あれが海　みんな水でできているんだよ／／おおきいね…／／海沿いの／眠るような町を電車は進む／まだ小さな君と／君の手をにぎった僕の／二人だけを乗せて／海へ／ゆっくりと（全行）

　ここには時間マジックも空間マジックもない。生死をつなぐ時空の電車が、父と子のすなおでまっすぐな情感をひたすらに運んでいく。清澄で静謐な春の憂愁とともに。