フランス歌曲と詩人たち
（「藝術人」vo.12、大阪芸術大学通信教育部、2019年7月）
山田兼士
はじめに
初めに、19世紀後半に成立したフランス歌曲と詩人たちとの関わりについて概観しておきたい。詩史的な観点からいえば、ロマン派から高踏派、象徴派を経て20世紀初頭のモダニズム、シュルレアリスムまで、ということになるが、その１世紀程の間に、音楽の方ではベルリオーズからプーランクまで多くの作曲家が歌曲を書いている。
筆者は、２５年ほど前から京都フランス歌曲協会（主宰は元大阪芸術大学演奏学科教授の美山節子氏）に関わっており、現在も毎年１回ほどの割合で、コンサートプログラム用の歌詞対訳を担当している。きちんと数えたことはないが、これまでに少なくとも300以上の作品を訳しているはずだ。そのうち、ドビュッシーについては『ドビュッシー・ソング・ブック』（澪標、2012年）として全64歌曲対訳を出版、他にも何冊かの著書、訳書を刊行してきた。ここでは、共編著『対訳フランス歌曲詩集』（彼方社、2001年、現在は絶版）に収録した拙稿「フランス歌曲と詩人たち」の内容を要約整理しながら、おもに19世紀におけるフランス歌曲の概要を記していきたい。
前掲書で取り上げたのは詩人31人、音楽家13人だが、この時点ではジャン・コクトーを収録できなかった。その分、後に私が担当したレクチャー・コンサートにおいて全面的に取り上げ、その際にかなりの数の歌曲対訳を行った。ここでは紙幅の都合でコクトー作品は取り上げないが、20世紀における重要なコクトー歌曲がプーランク等によって制作されていることを断っておく。
１ ロマン派から高踏派まで ロマンスからメロディへ
19世紀フランス詩はロマン主義から始まる。ラマルチーヌ、ヴィニー、ユゴー、ミュッセ等が、自我の開放と自由の確立を目指して、柔軟な詩法による心情の詩を書き始めるのである。
グノーの歌曲でも知られるラマルチーヌの詩「夕暮」では、星の光が「僕のもの言わぬ額を滑り、／僕の眼に柔らかく触れる」ところから擬人化された「光」に対しての呼びかけとなり、魂と自然の交流を描いていく。「湖」や「谷間」でも、自我探求のための対話相手としての自然、ロマン主義的主題が歌われる。
ミュッセの詩でも、「赤き町ヴェニス、／ひとつの舟も動かず、／ひとりの漁夫も水面にない、／ひとつの角灯もない！」と歌われる「ヴェニス」は、あたかも一つの自然のように静止した沈黙の中に描かれ、次いで「ヴェニス、この怠惰な女」と擬人化され、自我の倦怠を映し出す鏡として扱われている。グノーの歌曲は、ロマン主義のこうした瞑想的な気分を、抒情的な旋律でよく表現している。
同じロマン派でもユゴーの場合、より意志的な情感を前面に押し出すようになる。詩「鐘」は、やはり呼びかけによる自我探求のかたちを取ってはいるが、「おまえと同じほど震えている一つの魂」は「しばしば厳かな音を出し」とあるように、その力強い音色は伝道者としての詩人の使命を高らかに宣言している。サン＝サーンスの音楽からもその意志の声が聞こえてくるだろう。同じく、「期待」や「見えない笛」からも、詩人自身の声が聞かれるはずだ。また、ユゴーといえば、フォーレの初期の歌曲「蝶と花」や「五月」における朗々たる愛の賛歌も忘れるわけにはいかない。詩「五月」では星や樹や風や太陽や波といった「すべての自然の輝き」が「きみの心に愛を」開かせる、と歌われる。
ロマン派の詩人たちによる作品を駆け足で見てきたが、これらは未だ「歌曲」以前の「歌謡」と呼ばれるべき作品であり、詩の内容もまた、比較的単純で平明な水準に止まっている。これに対して、高踏派の時代になると詩の内容はかなり複雑で多義的なものとなり、音楽もまた、より微妙な旋律を響かせるようになる。ここでかなり微妙な問題を孕んでいるのはゴーチェだろう。ゴーチェはその生きた時代から見て（1811～72）、ロマン派と高踏派の両方にまたがっている。ロマン主義者として出発しながら早くから反ロマン派的な非情さを併せ持ち、後に「芸術のための芸術」を提唱し「高踏派」の先駆者となったこの詩人は、詩を苦悩にみちた深刻さから解き放ち、繊細な宝石にも似た彫琢美を志向した。友人だったベルリオーズによる『夏の夜』（歌謡）と、後の世代の作曲家デュパルクやショーソンやフォーレによる歌曲の数々とを比較すると面白い。
高踏派の代表としてはルコント・ド・リールを挙げておこう。デュパルク「フィデレ」、ショーソン「はちすずめ」、フォーレ「イスパハンの薔薇」「永遠の香気」など、いずれも緻密に計算された彫琢美を特徴とし、心情の生な発露を排しパルナスの高みに詩を押し上げようとの野心を歌っている。「イスパハンの薔薇」や「ラオールの薔薇」といった異国の花のモチーフにはロマンティックな情緒が含まれてはいるが、その展開には厳格な美への志向が示されている。例えば、「おお軽やかな蝶よ、おまえの若い恋が、／すばやい甘い翼に乗って我が心に戻ってくるように」（「イスパハンの薔薇」）と歌われる「蝶」の穏やかで鮮やかな絵画的イメージや、「人の時間と永遠のときの彼方で／私の心は不死の香をくゆらせるのだ」（「永遠の香気」）と歌われる静穏な情緒は、ともにロマン主義にはなかった客観性を獲得している。シュリ＝プリュドムやバンヴィルといった高踏派の詩人たちにも共通するこうした特徴は、デュパルクやフォーレやドビュッシーによる新しい「歌曲」の創出によって初めて歌われることが可能になった。
２ ボードレール歌曲について
デュパルク作曲「旅への誘い」は、ボードレール歌曲としては最も早い時期に作曲された。この詩に用いられる奇数脚のリズムは、適度な休止をもって歌われることによって微妙な感情の揺れ動きを表現し、潤んだ太陽や運河に浮かぶ船などのイメージを呼び起こす。とりわけ、三度（デュパルクの歌曲では真ん中の部分を省いているので二度）繰り返されるリフレイン「そこでは、すべてが秩序と美、／豊かさ、静けさ、そして悦び。」は、音楽への憧れををみごとに要約している。デュパルク歌曲では「そこでは」という一語がたっぷりと間をとって鳴り響き、詩人の魂を精確に読み取っていることがわかる。「前世」の第３連冒頭「そこでこそ」も同様だ。ただ、ボードレール自身は、自作につけられた曲を聴くことは生前ついになかった。デュパルクの作曲はボードレールの死から３年後のことである。ちなみに、『悪の華』刊行からちょうど100年後にあたる1957年の調査によると、ボードレールの詩による歌曲は（その時点で）約150曲を数えるとのことだ。
ドビュッシーは、ヴァーグナー音楽との葛藤の後に『ボードレールの五つの詩』によって自身の音楽書法を確立した。最初のボードレール歌曲「恋人たちの死」には、未だヴァーグナーの影響がかなり強く感じられるが、それは、詩そのものが後期ロマン派的な「愛と死」の主題によるものだからだ。ボードレールの初期作品であるこの14行詩では、不健康なまでの陶酔と恍惚を官能美あふれるイメージで描いているところがロマン主義の残照といえる。この詩に作曲したドビュッシーもまた、半音階的和声法と同一動機の反復といった「ヴァーグナー的」手法によって、やはりロマン主義の光芒を放っている。
これに対して、同じ『ボードレールの五つの詩』の中でも「噴水」や「瞑想」になると、それ以前とは異なった新様式で書かれるようになる。ボードレールの後期詩篇であるこれら二作品への作曲によって、ドビュッシーは、ヴァーグナーの影響を逃れて真にフランス的な「歌曲」を確立した。「噴水」中の「水柱が揺する／その千の花々を／月が貫いている、／蒼ざめた影で。／水柱は驟雨のように落ちる、／大粒の涙となって。」という印象的なリフレインは、6音＋4音を3回繰り返す、という音節構造から見ても、それに同型の詩節を３度繰り返すという循環形式から見ても、歌謡風のスタイルを意識していたことは明らかだ。ドビュッシーの音楽では、静かで緩やかな旋律とともに、崩れ落ちる水のイメージを暗示するピアノの下降和音が、「恋人たちの死」の頽廃美とは全く異質の官能美をよく表現している。
「噴水」とは対照的に、「瞑想」は古典的な12音節・14行詩の形式を取りながら、より現代的な抒情を描いたボードレール晩年の傑作である。「苦悩」「夕べ」「快楽」「年月」「後悔」「東方」「夜」といった概念をことごとく擬人化する手法は一見ロマン派の演劇的方法に似ているが、全体が醸し出す雰囲気は疾風怒涛からも官能美からも遠い、あくまで静謐な抒情だ。「苦悩」と「後悔」に苛まれながらもやがて来る「死」を厳かに受け容れようとする詩人晩年の境地が、冷ややかに覚醒した中にも瑞々しい情感をもって歌われる。ドビュッシーの旋律は、この静謐な抒情を、ピアニシモの多用と緩やかな中にも微妙に揺れ動くリズムによって、また半音階と全音階を対比的に織り込んでいくピアノの旋律によって、一語一語を包みこむかのように歌っていく。特に、最後の一行「お聞き、ねえ、お聞き、優しい〈夜〉が歩く音を」は、この上ない精神美（官能美ではなく）を感じさせる。
３ ヴェルレーヌ歌曲について
ヴェルレーヌ歌曲の中には、同じ詩に複数の音楽家が作曲しているものがかなりある。例えば「月の光」「マンドリン」「ひそやかに」「グリーン」「私の心に涙ふる」は、ドビュッシーとフォーレによる歌曲があり、ともに名作の評価の高いものだ。また、「牢獄」はフォーレとアーンとセヴラックがそれぞれ作曲しているし、フォーレ作曲で名高い『優しき歌』中の第3曲「白い月」にいたっては、マスネ、ショーソン、アーン、さらにはロシアの作曲家ストラヴィンスキーまでが作曲している。
「まず何よりも音楽を」（「詩法」）と宣言し「〈漠たる〉が〈確たる〉に混じる／灰色の歌」を称揚したヴェルレーヌだが、意外と音楽自体については冷淡だった。この詩人にとっては「詩の音楽」こそが重要であって、「詩と音楽」の合体は二の次だったのかもしれない。とはいえ、ヴェルレーヌ詩による歌曲は質量ともにフランス歌曲中最高のものである。その特徴を手短に述べるなら、曖昧で茫漠としたイメージの多義性、ということになるだろう。月の光、噴水、雨、霧、さざ波、枯れ葉、といった陰影に富んだイメージに「静かな」「穏やかな」「和やかな」「軽やかな」といった形容詞が加わることで、水彩画のようなニュアンスを醸し出し、その微妙さがフランス歌曲の繊細な味わいに結びついている。ドビュッシー作曲の『忘れられた小唄』（全６曲）とフォーレ作曲の『優しき歌』（全９曲）は、多義的なニュアンスをリズムとメロディの繊細さによって表現し得た「詩と音楽」の稀有な合体である。
４ マラルメと象徴派詩人たちについて
マラルメの「火曜会」の常連だったドビュッシーは、詩と音楽をめぐる詩人の洞察を深く理解し実践していた。だがマラルメ自身はといえば、ヴェルレーヌ以上に「詩の音楽」の純粋化を追求した詩人であり、詩に音楽を加えることには懐疑的だった。1893年に詩「半獣神の午後」をドビュッシーが作曲するという話を聞いた時にも、マラルメは否定的だったと伝えられている。ただし、この詩がドビュッシーによって「前奏曲」という純粋な器楽作品として作曲された際には賛辞を送っているのだから、詩を音楽に置き換えることには否定的でなかったようだ。ドビュッシーはその晩年、『マラルメの3つの詩』を歌曲にするのだが、すでにマラルメの死後であり、ドビュッシー自身にとってもまた最後の歌曲作品になった。また、ラヴェルの歌曲「聖女」の末尾部分「聖女は奏でる／楽器である天使の翼を／音のない楽人よ。」にはマラルメの音楽観が端的に示されていて興味深い。
最後に「象徴派」の詩人たちについては、サマン、レニエ、ルイスといった詩人を挙げておこう。いずれもマラルメを「師」と仰ぎ、世紀末のフランス詩をリードした俊英たちである。これら３詩人の作品から漂ってくる19世紀末フランスの爛熟した美のイメージを、フォーレ、ドビュッシー、ルーセルのメロディとともに味わいたい。