中原中也と谷川俊太郎――かなしみについて

（「エウメニデスIII」第55号）

山田兼士

　中原中也と谷川俊太郎の接点は意外と少ない。両者を比較した研究もほとんどなく、また谷川さんによる中也論も書かれていない。だが、ある意味でこの二人は大変似ているともいえる。まず、近代と現代においてそれぞれ最も人気のある詩人であること。第二に、年齢が意外に近いこと。生年で二十四歳しか違わないのだ（ちなみに萩原朔太郎と中也は二十二歳違い）。もちろん、戦争をはさんでいることの意味は大きい。「歌う」ことを疑う必要のなかった中也と、「歌と逆に歌に」（小野十三郎）行かざるを得なかった俊太郎とでは、歴史的コンテキストがまるで異なるからだ。それにもかかわらず、やはりこの二人を並べてみたくなるのは、その強い抒情性のためだ。ここでは、「かなしみ」という情感に的を絞って論じていく。

　まず、キーパーソンの生年に注目したい。

谷川徹三（一八九五〜一九八九）

三好達治（一九〇〇〜一九六四）

中原中也（一九〇七〜一九三七）

谷川俊太郎（一九三一〜　　　）

　三好達治とも交流のあった谷川徹三は、三好より五歳年長、中原中也より十二歳年長だ。一九三九年刊行の十字屋版『宮澤賢治全集』を草野心平らと共に編集した、戦前における文化界の中心人物の一人でもある。谷川俊太郎の父・徹三は、戦前期における有力な文化人だった。

　中也の作品の中で、谷川俊太郎が最も好んでいるのは『山羊の歌』中の詩「夕照」だ（と、私は谷川さんから聴いている）。

　
丘々は、胸に手を当て
退(しりぞ)けり。
落陽は、慈愛の色の
金のいろ。

原に草、
鄙唄(ひなうた)うたい
山に樹々(きぎ)、
老いてつましき心ばせ。

かかる折しも我ありぬ
少児に踏まれし
貝の肉。

かかるおりしも剛直の、
さあれゆかしきあきらめよ
腕拱(く)みながら歩み去る。　

　特徴としては、まず七五調定型であることとソネットであること、したがって詩の音楽が明確に聞こえていること、それに独自の空間構成が挙げられる。初期のダダイスム詩の影を未だひいているのかもしれない「丘々は、胸に手を当て／退けり」という動態表現は独自のものだ。そこに中也独自の幼年期のイメージが重ねられているところも独特だろう。

　この詩を意識してかどうか、谷川さんが中也に献辞を捧げた作品が一つある。詩集『私』（二〇〇七年）収録の詩「言葉だけに　呈　中也」だ。

言葉だけになってしまって

山はぼうっとうずくまってる

港は薄曇った空の下

何事か思案している

他処の国でもそうなのだろうか

海は淡々と陸と陸を隔て

罪人たちの深い嘆きの感嘆詞さえ

言葉だけになってしまって

転んでもただで起きない商人は

電子まみれでバスタブにいる

大昔に書いた恋文も

言葉だけになってしまった

緊縛された若い女の首筋に

青い静脈が浮いている

言葉だけになってしまって

詩は世界から剥落しかけて･･････

嘘だ！嘘だ！

何が言葉だけなものか！

太腿を脇差で刺して

小姓は居眠りすまいとしたではないか！

―静けさだ

あとは静けさあるのみだ

案山子たちは尾羽打ち枯らし

藁の頭で瞑想し

どっかの家の食卓の

夫婦茶碗によそわれて

ご飯が湯気を立てている

ほのかに湯気を立てている　

　

「山＝丘」を擬人化している点に中也「夕照」との共通点が見られるが、続いて、港、海、商人、若い女がすべて「言葉だけに」なった、と展開するのは言葉論としての谷川作品の特徴だ。続いて、そうした認識を一挙に振り払うかのように「嘘だ！嘘だ！」の叫びと時代劇風の一節が入るのだが、そこでモードを変換し、静寂さと生活の穏やかさで詩は終わる。この静寂と生活感もいくぶん「中也的」といえるだろうか。最終連がさりげなく口語定型（七五調）になっているのも「中也的」といえるだろう。七十代半ばに達してサーヴィス精神もますます旺盛になった詩人が、中也生誕百年に際して物した「機会詩」といえなくもない。

　では、詩人として出発しようとしていた頃の谷川俊太郎は、中也の詩をどのように読んでいただろうか。この点については資料がなく、あくまで作品でたどっていくしかない。

　中原中也の詩の生涯にわたる大きな特徴の一つは「悲しみ」の表現に見られるだろう。幼少期に弟を亡くした体験、青年期にもう一人の弟を亡くした体験、長谷川泰子に捨てられた体験、そして愛息文也を幼くして亡くした体験。こうした悲しみの連鎖が生涯にわたって中也作品のライトモチーフであり続けたことは間違いない。中でも最もよく知られた作品は『山羊の歌』中の「汚れつちまつた悲しみに……」だろう。

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の皮裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところなく日は暮れる……　

　促音便の多用は、一説によれば東京っ子の小林秀雄たちの口調をからかったもの、ともいわれるが、七五調の定型リズムを内部で激しく揺さぶっているように聞こえる。全十六行の詩の中に「汚れつちまつた悲しみ」を八回も繰り返す、という執拗なほどのリフレインもまた、詩の音楽性に寄与しているだろう。第一連の「悲しみに」を第二、三連で「悲しみは」と変化させ、さらに第四連で「悲しみに」に戻しているところにも、音響上の工夫が見られる。もちろん、意味的に見ても、目的語と主語の相違が、次に来る文法上の、またイメージ上の、変化に結びついている。

　ところで「汚れつちまつた悲しみ」とは「悲しみ」が汚れてしまった、ということだろうか。それとも自分が汚れてしまった故の「悲しみ」だろうか。この「悲しみ」は擬人化されていて具体的な人物のように読まれるのだ。いかにも青年らしいピュアな精神へのノスタルジアのようでもある。

　中也晩年に書かれた散文詩に「かなしみ」がある。一時期、昭和七年以前の作品ではないかとも推測された作品だが、現在では、雑誌初出の昭和十二年頃に成立したものと考えられている。

　白き敷布のかなしさよ夏の朝明け、なほ仄暗い一室に、時計の音のしじにする。

　目覚めたは僕の心の悲しみか、世に欲呆けといふけれど、夢もなく手仕事もなく、何事もなくたゞ沈湎(ちんめん)の一色に打続く僕の心は、悲しみ呆けといふべきもの。

　人笑ひ、人は囁き、人色々に言ふけれど、青い卵か僕の心、何かかはらうすべもなく、朝空よ！汝は知る僕の眼の一瞥を。フリュートよ、汝は知る、僕の心の悲しみを。

　朝の巷や物音は、人の言葉は、真白き時計の文字板に、いたづらにわけの分らぬ条を引く。　

　半ば困乱しながらに、瞶(みは)る私の聴官よ、沁みるごと物を覚えて、人竝に物え覚えぬ不安さよ、悲しみばかり藍の色、ほそぼそとながながと朝の野辺空の涯まで、うちつづくこの悲しみの、なつかしくはては不安に、幼な児ばかりいとほしくして、はやいかな生計(なりはひ)の力もあらず此の朝け、祈る祈りは朝空よ、野辺の草露、汝等呼ぶ淡き声のみ、咽喉もとにかそかに消ゆる。　

（「四季」一九三七年二月号）

「悲しみ呆け」「幼な児ばかりいとほしく」などの言述から見て、やはり晩年の作品と見るのが妥当だろう。散文詩とはいえ、ほぼ七音五音を用いた、限りなく定型に近い文体だ。中也は「歌うようにしゃべった」と、だれかが証言していたが、実際にこういう口調が中也の自然な言語感覚だったのかもしれない。それにしても悲痛な内容だ。この「かなしみ」は「汚れつちまつた」とは全く異なっている。傷ついた純粋精神どころか、何重にも具体的な苦痛、悲劇、不運によってぼろぼろになってしまった心身が振り絞った呻きのようではないだろうか。晩年の中也には別の一面（例えば「北沢風景」のような磊落さ）もあったのだが、ここでは、複雑に錯綜した「悲しみ」の在り方に注目しておきたい。

　中也の「かなしみ」から十五年後、谷川俊太郎は第一詩集『二十億光年の孤独』を刊行する。二十歳の時だが、実際に書かれたのは十八歳の頃と推察されるので、中也の「かなしみ」と俊太郎作品とは十三年ほどしか離れていないことになる。

　ここで、谷川俊太郎が詩の中で「かなしみ」およびその類義語を用いた例を、二〇〇〇年までの全作品を収録したCD-Rom版『谷川俊太郎全詩集』（岩波書店）で検索した結果を記しておこう。

「かなしみ」　１９例

「かなしい」　８例

「悲しみ」　　３１例

「悲しい」　　５例

「哀しみ」　　２２例

「哀しい」　　 ４例　　　　　　

計　８９例

　特徴的なのは「かなしさ」という抽象名詞が一度も用いられていないこと。「かなしい」という感情の名詞形はすべて「かなしみ」なのである。おそらくこちらの方が実感に近く、「かなしさ」はどこか観念的ニュアンスを帯びるからだろう。『二十億光年の孤独』中の代表作と呼ぶべき詩「かなしみ」を見ていこう。

あの青い空の波の音が聞こえるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまつたらしい

透明な過去の駅で
遺失物係の前に立つたら
僕は余計に悲しくなつてしまつた　

　作者自身が「夢遊病的に」書けてしまったと明言する三作品のうちの一つだ（他は「芝生」「さようなら」）。読み返す度に異なった読解を誘う、多義的で不思議な詩である。以前、神戸の詩人たかとう匡子さんが、これを太平洋戦争の記憶として読み解いているのを（講演で）聴いて驚いた。もちろん敗戦時に十三歳だった谷川さん自身に戦場体験があるはずはない。だが、ほんの数歳年長の青年たちの体験に感情移入あるいは憑依してこれを書いたとしたらどうだろう。例えば、これが鮎川信夫の詩だと言われたら（もちろんそんなはずがないことは誰でも知っているが）けっこうそれらしく思われるかもしれない。

　もちろん、別の解釈もできる。あの「谷川俊太郎宇宙人説」に拠るならば、遠い宇宙の彼方からやってきた異星人が地球に到着した際に大海のどこかに落とし物をしてしまった、というふうに。しかもこの異星人は時間も自由に航行できるらしく、「過去の駅」にまで落とし物を探しに行くことができる。いずれにせよ、これを中也の「かなしみ」詩篇と比べてみるならば、はるかに抽象度が高く、言い換えれば具体性に欠けていることが分かる。この「かなしみ」と比較すれば、中也の「かなしみ」はいかにも人間的で感傷的で具体的だ。この差異の背後には、やはり戦争体験の有無があったのだろうし、その事実も含めて二人の詩人の資質の差が反映している、というしかない。

　だが、この「かなしみ」が書かれたのとほぼ同時期に、谷川さんがこれとまったく異なる、もう一つの「かなしみ」を書いていたことが、四十年以上も後になって明かされることになる。高校を定時制に移ってかろうじて卒業した後、大学にも行かずにぶらぶらしていた息子を心配した父徹三が、息子に将来のことを尋ねた際に、俊太郎青年が差し出した三冊の大学ノートを見て、評価を書き込むとともに友人の三好達治にそれらの作品を読ませた、というのが『二十億光年の孤独』刊行のきっかけになったことは今日よく知られている。そのノートに記されていた「その他の」作品、つまり『二十億光年の孤独』の拾遺詩篇集が、詩集『十八歳』として、一九九三年に刊行されたのである。作品末に記された日付から十八歳の春に書かれたと思われる詩「かなしみ」を見ていこう。　

――朝　沈丁花の香りに僕は春を喜んだのだが

水素爆弾の記事のとなりに

雛祭のことがのっていた

錫の兵隊とキューピーが仲よかった

昔の玩具箱

かび臭い児童文庫に読んだ

イワンの馬鹿

玩具箱の平和に

幼かった心の平和に

今こそ僕は逃げこみたかった

人間　人間　戦争　水素爆弾――

腹をたてながらつくづく怖ろしかった

地球　地球　宇宙　雛祭――

そしてそれより以上に悲しかった　　1950..3..3

　前掲の「かなしみ」との違いは明らかだ。またそれ故に、こちらが第一詩集に採られなかった理由も明らかだろう。水素爆弾というこの当時最大の社会問題と、自らの幼年時代の平和との対照、冒頭の喜びの感情と末尾の悲しみの感情との対比など、すぐれた要素も散見されるのだが、いかにも幼く具体的すぎる。また感傷的でさえある。未だ大人になれない思春期末期のもがきさえ感じられるだろう。実は、こうした感傷的具体性を排除することによって、乾いた抒情を特徴とする青年詩人のデビューが演出されたのではないか。もちろん、その演出にまず関わったのは谷川俊太郎自身だが、谷川徹三、三好達治といった大人たちもまた、その演出に手を貸した、といえないだろうか。そういえば、詩集巻頭を飾った三好達治による序詩は、谷川俊太郎宇宙人説の最初の示唆を含むものだった。「この青年は／意外に遠くからやってきた」と始まる序詩「はるかな国から」である。

　例の大学ノートの余白に当時の谷川青年が記した宮澤賢治の言葉もまた、詩集『十八歳』には掲載されている。谷川青年が愛読していた「銀河鉄道の夜」の（ただし初期形の）一節である。

何かいろいろのものが一ぺんにジョバンニの胸に集って

何とも云へずかなしいやうな新しいやうな気がするのでした

　戦前の宮澤賢治全集では「銀河鉄道の夜」は現在のように初期形と後期形が明確になっておらず、両者が混合したかたちで出版されていた。その初期形にのみ表れる「かなしいやうな新しいやうな」感覚、というのが当時谷川青年の心に深く響いたのだろう。ここで中也、賢治、俊太郎のトライアングルを語ることができれば面白いのだが、これは今後の課題としておきたい。今は、当時の谷川俊太郎が、具体的かつ素朴な「かなしみ」の感情と、抽象的で普遍的な、谷川流にいえば「コスミックなかなしみ」の感覚を、共に作品に描いていたことを確認するにとどめたい。

　六十五年におよぶ長い谷川作品の展開をこの小論でたどることはとてもできない。今回は、初期作品を中心に「かなしみ」というキーワードを辿ってみた。次に挙げるのは第一詩集から八年後の第五詩集『あなたに』中の「悲しみは」。谷川俊太郎二十八歳の時だ。中原中也が詩集『山羊の歌』（一九三四年）を出した時の年齢とほぼ同じである。

悲しみは

むきかけのりんご

比喩ではなく

詩ではなく

ただそこに在る

むきかけのりんご

悲しみは

ただそこに在る

昨日の夕刊

ただそこに在る

熱い乳房

ただそこに在る

夕暮

悲しみは

心を離れ

ただそこに在る

今日のものたち　　

「悲しみ」という感情をどれほど真剣に探求していたかを窺わせる一篇だ。また、その結果、「悲しみ」がいかにも即物的な（なんなら「実存的」と呼んでもいい）純粋感情として位置づけられていることが分かる。次は、さらに十四年後の詩集『空に小鳥がいなくなった日』（一九七四年）より「かなしみについて」。

はじめてのかなしみは

涙とりんご

ふたたびのかなしみは

叫びと海

三たびめのかなしみは

沈黙と小石

かなしみに耐えようとして

人はかなしみを見失う

四たびめのかなしみは

冷笑と

雑踏――

そして

最後のかなしみはもう

夢の中にしかない　

　この「はじめてのかなしみ」は前掲の「悲しみは」を受けているのかもしれない。だとすれば、二番目から四番目の「かなしみ」にもプレテキストがある可能性もある。よく調べれば「海」や「沈黙」や「冷笑」などが「悲しみ」のモチーフとして表されている作品が見つかるかもしれない。

　それにしても、一九七四年（谷川さん四十二歳）の時点での「最後のかなしみはもう／夢の中にしかない」とは気になる表現だ。『定義』（思潮社）と『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』（青土社）の同時刊行という快挙＝暴挙（？）の前年の刊行だけに、しかも、あの「ことばあそびうた」の過激な言語実験のさなかであるだけにいっそう、この「かなしみ」は重要だ。中也の「汚れつちまつた悲しみ」との相互テキスト的関連も含めて、今後の課題としたい。