カルメン幻想　カルメンさん江

（「ポスト戦後詩ノート」第３号より）

山田兼士

神戸三ノ宮のカルメンを

初めて訪れたのは学生時代のこと

ナガノに誘われてのダブルデートだった

食べたことのないエビ料理やらフラメンカエッグやら

ナガノは大のスペイン贔屓

有線からはカルメン幻想曲が響き

巨匠ヤッシャ・ハイフェッツの名演奏

恋は野の鳥……その通りだよねとうなずき合う

その十年後　自死したキシモトの追悼会の後

遠方からのウチダさんとマツモトさんと　

若い友人バンドウとカルメンで食事した

アンネ＝ゾフィー・ムターのカルメン幻想曲が鎮魂のように流れていた

大震災でも店は無事

ひさしぶりに訪れたこの店に

スワナイアキコの力強いカルメン幻想曲が流れていた

私たちは結婚二十年目を迎えていた

その後バンドウが急死さらにナガノが自死

病み上がりで精神的にも落ち込んでいた時期

カルメンが温かいパエリアで迎えてくれた

タカタニさんの出版記念会　カルメン幻想曲は瑞々しいカミオマユコだった

現在二代目経営者は詩人のオオハシさん

年に数回ここを訪れる　読書会なども頻繁

メニューは冷たいガスパチョと熱いアヒージョなど

なぜかワインは河内産　カルメン幻想曲は円熟のゴトウミドリなど

ふと今　三十年以上前の南仏オランジュ真夏の音楽祭が甦った

ドン・ホセ役がホセ・カレーラスだったことを最近知った

まるでヴァイオリンのように慄えていたホセの倍音

星空の下のカルメン幻想はまさにマボロシの名演

消えたものたちのマボロシを抱えて

病いと諍いをどうにか乗り切って

今春　私たちはルビー婚を迎える

カルメンはだれの幻想曲で迎えてくれるだろう