●書評●有鴇秀記詩集『眠りの門』

音楽するソクラテス

（「びーぐる　詩の海へ」１８号）

山田兼士

　いささか異例な書き出しになるが、まず著者自身によるあとがき（「異名者のメランコリー ――あとがきに代えて」）の冒頭を引用する。

　いまここに二つのイメージがある。一つには、心的中心にあった真綿の光球が砕け散り、至るところに散在しているというもの。いま一つは、上空から海面を見降ろすと、二つの樹木がそれぞれ海表面から伸びて分立しており、詩学樹と哲学樹といえるような樹木を形成しているというものである。

　砕け散った｢光球｣は｢種子｣となって｢至るところに｣散在し、二つの樹木は海底で一つにつながり｢音楽するソクラテス｣（ニーチェの言葉）と呼ぶべき、詩と論理の統合体を｢新たに生じ｣させるという。このイメージが「リアリティをもつ」困難の故にメランコリーが引き起こされるのだが、一方で一つ一つの｢光の種子｣は多数の｢異名者｣として散在し｢音楽するソクラテス｣の樹木生成に寄与するものとなる。

　以上が本書あとがきの概要だが、詩の理想態を示すこのイメージはかぎりなく美しく、崇高でさえある。もちろん、理想が理想である所以はそれが実現不可能だからであり、またそれゆえに、単純に成否を問う事は不毛である。要は本書がその理想をどの程度に実現できているかということだ。

　哲学的探究を実践する三八篇は、古代や中世への郷愁を軸に、時空を越えた幻想世界の多種多様なイメージを紡ぎ出している。決して読みやすくはない文体は一九七〇年代頃の雰囲気を惹起し、今では稀少なスタイルといっていい。

非現実の王国への憧憬がいやましに増すと

身体は分裂し、王国は建ち上がる

心ある者たちの根城である比類なきアトランティス

贋物の記憶を書き換えて

いかさま師たちの住む現実の汚穢を放擲する

王国の原少女には現実と非現実を往還する秘術がある　　 　　　　（「眠りの門」冒頭部分）

　おそらくこの｢原少女｣が「音楽するソクラテス」なのだ。彼女はこの｢秘術｣によって様々な時代の様々な場所を訪れ、本書はこの後、幻想紀行の様相を示していく。｢原少女」という主語があらわれるわけではなく、語りの主体は示されていないことが多いのだが、そう読めば一貫した物語詩として読むことができる。

　本書の表紙と扉と奥付には「詩篇　眠りの門」と記されていて｢詩集｣とは記されていない。ということは、｢眠りの門」とは表題作だけでなくこの書物全体のタイトルということになる。つまり、本書は全体を一貫した幻想譚として読ませようとの意図に基づいて編まれているのだ。

誕生した新たな失踪者ＦＫは女の友。

失踪の朝に出会い、行く末未定のままに消滅したが

毎夜の夢で再会し奇妙な冒険譚をまなうらに見る。　　　

　（｢異邦人街への失踪｣部分）

　カフカを思わせる｢失踪者｣は｢迷宮｣を彷徨する詩人自身の喩であり、｢音楽するソクラテス｣の可能態でもあるのだろう。

（澪標、一八〇〇円＋税）