「荒地」の現在　『北川透 現代詩論集成１』を読む

（「PO」２０１７年夏号）

山田兼士

　二〇一四年九月に思潮社から刊行された『北川透 現代詩論集成１　鮎川信夫と「荒地」の世界』（思潮社）は、名著『荒地論』（思潮社、一九八三年）とその前後の論考、それに単行本未収録論考を含む五七〇頁の集大成で、現在のところ、「荒地」を論じた、最大にして最新の詩論集だ。この本が刊行されて間もなく、私は、季刊詩誌｢びーぐる」の詩論時評でその概要を紹介し、その後『詩と詩論　二〇一〇―二〇一五』（二〇一六年六月、澪標）にもその小文を収録したが、時評という限られた枠の中であったため、この本の重要性のほんの一端にしか触れられなかった。本稿は、その時評文にやや詳細な解説を加えた、書評的エッセイとして読んで頂きたい。

　『北川透 現代詩論集成１』では、全体に、田村隆一、北村太郎、黒田三郎、三好豊一郎など「荒地」の主要詩人たち（吉本隆明への言及が少ないのは、同『集成』の別の一巻に『吉本隆明論』が予定されているためだろう）への共鳴と異和が具体的かつ繊細に論じられているのだが、最後には鮎川信夫の孤影が強く浮き出て来る、といった構成になっている。これだけの視野と詩史的パースペクティヴを備えた「荒地」論は、「荒地」と同時代を生き現在なお最先端の詩論家であり続けている北川透にしか書けないだろう。その特長をごく端的に述べるなら、同時代者としての経験に今日的視点からの考察を化合させた生成詩論、とでも言えばいいだろうか。

　最初に例に挙げるなら、戦前からすでに「戦後的」批評意識をもって独自の詩を書いていた黒田三郎が、戦後の「民衆」意識を俗な「小市民」的位相に収斂させることで次第に「詩意識の衰弱」へと到るしかなかった、という北川透の批判は、黒田への深い共鳴を前提に始めて浮上した異和の表明であり、決して一面的な非難として片付けられるものではない。北川さんは黒田三郎詩集『羊の歩み』（一九七一年）より詩「自由」を引用した上で次のように述べている。

　うまいものだと思う。後年の詩集から、わたしたちは、このような名人芸のような作品を、幾篇も取り出すことができるだろう。しかし、この作品がもっているようなリアリティは、本来、詩作品という形式を必要とするだろうか。たとえば、あの「死の中に」という作品は、話体の言語で散文風に書かれているが、決して、随筆や書簡や日記の文体として扱うことはできない。それは詩意識そのものが、仮構と構成のレベルをもっていたからである。その意味では、この「自由」が、随筆と区別されるのは、そこに省略の意識が働いている、ということだけである。（「俗なる市民の行方」）

　一九五一年に発表された黒田三郎の代表作「死の中に」とその二十年後の「自由」の間の相違が「仮構と構成のレベル」の有無にある、とする北川さんは、さらに別の詩を例に挙げて「詩意識の衰弱」を指摘した上で次のように述べる。

わたしが、ここで詩意識と呼んでいるのは、もとより、近代・現代の詩が時間として累積している仮構のレベルのことであり、それからの衰弱こそが〈私〉小説的な場への転換を避けられないものにした、と考えてよい。（同前）

　言うまでもなく、この黒田批判は、「死の中に」を始めとする初期黒田三郎への評価と位置づけを前提にしてのことである。たとえ「黒田は最終的に、政治的スターリニズムに同調した」（「痛みのスターリニズム」）との断言が見られるにせよ、その詩史的価値をも否定しているわけではないだろう。

　これに対して、北村太郎の批評文に「共感力の強さ」を読み取った北川さんは、北村の「自分を消す情熱」に深く共鳴しながらも、「北村さんの共感力が方法として発揮される、おおよその範囲」を北村自身の言葉を引用することで示唆し、その限界の指摘をも怠っていない。だが、――

彼の自己を消す情熱が、自由として彼の批評を生かす秘密も、ここで語られているように思う。単純な常識的言説しかないように見えるけど、ほんとうは、これだけのことをきっぱりと言える詩の批評家は、あまりいないのだ。（「自分を消す情熱」）

――という、留保とも言えそうな結句には、北川さん自身の批評の方法とは対極にある（ように見える）北村詩論に対する、一種の逆説的共鳴が感じられて、私などは思わず微笑まずにいられない。この温かさは、黒田三郎への非情さと対になっているようでおもしろい。

　さらに田村隆一については、初期作品における「対位法」の鋭さ深さの指摘に始まって、後の長い作品活動の全般を丁寧にたどりながら、最後には晩年の田村作品を｢痛みのスターリニズム」という絶妙な用語で批判することも忘れていない。振り返って、初期作品に見られる「暗殺」「毒殺」といった「呪言の奥に」垣間見られる「他者への無感覚」をも抉り出しているのは、北川透の非情とも言える詩論の射程によるものである。

わたし（たち）は、かつて「四千の日と夜」の〈射殺〉〈暗殺〉〈毒殺〉に支えられた、詩の孤高のイメージに衝撃を受けた。しかし、そのイメージにともなっている、何か舌がもつれるような《いとしいものを殺さなければならない》という執拗な命令形、繰り返される呪言に、もっと注意を払うべきだったかも知れない。〈暗殺〉という強度なメタファーのために、《一篇の詩》の位置は、詩人を追放する共和国のそれと入れ替わってしまう。（「痛みのスターリニズム」）

　ここで北川さんの田村評価は「黒田三郎と奇妙な相似形を成す」ことになり、「そこに両者と対峙した鮎川信夫の孤独の深さをあげねばなるまい」との結句を導き出す。　

　こうした共感と異和の渦の中にあって、北川さんが最も強く共振したのは、やはり鮎川信夫ということになる。膨大な量にのぼる鮎川信夫論の中で、北川さんは、終始一貫して、鮎川の孤高を追求しつつ、あわせて、自らの姿勢をも再認識しているかのようだ。その共鳴の深さを端的に示しているのは、例えば次のような一節だろう。

　ぼくらは戦前において、朔太郎以外には、詩の啓蒙や解説としての詩論ではなく、詩を中核に包みながら、それ自体がどうしようもなく思想論として自立しているような詩論をもつことがなかった。戦後詩において、鮎川信夫の詩論が、位置するところは、まさにそれである。彼の詩論は戦後詩の根幹を支える〈詩の原理〉であり、朔太郎以上に苛烈に、戦後世界の危機を、受像することによって、思想論としても、まったく独創的に自立を遂げている。（「｢荒地」の詩人と危機の時代｣一九六四年）

　みずからが思い描いた詩人という宿命の形に、鮎川信夫は確かに殉じたのだった。「荒地」の詩人のなかでも、彼ほどそれを徹底した人はいない。（「鮎川信夫への最後の疑問」二〇〇一年）

　初出の時期を添書したのは、ほぼ四十年にわたる鮎川に対する姿勢の一貫性を強調したかったからだ。だが、そうした全面的とも呼び得る鮎川評価においても、北川詩論はさらに長い射程を求めて止まない。鮎川晩年の詩｢山を想う」（『難路行』収録）を引用した後で、北川さんはこう記している。

　故郷回帰と東洋風の自然への憧憬が、渾然とした姿で映し出されている。モダニズムを出自とする詩人が、モダニズムを拒否、解体した果てに辿り着くのは、結局、短歌や俳句の伝統詩ではなく、東洋風な隠棲の詩境なのであろうか。しかし、ここに描かれた父母のふるさとも、《東洋哲人風の生活》を求める〈詩人像〉も、一瞬、夢見られた幻に過ぎない。（同前、二〇〇一年）

　ここには〈鮎川以後〉の詩をどう生きるかという北川詩学の問いかけが深く響いているように思われる。

　短い生涯の中で一度か二度のピークをつくって消えて行った近代詩人の場合と異なって、現代詩人たちは、長い詩歴の中で絶えず自己更新を続けなければならない。北川さん自身が、すでに長いキャリアをもち多くの詩集と詩論を発表し、今なお最先端を走り続けている現役詩人だ。客観的普遍的命題の探究はもちろんのことだが、それに加えて、北川さん自身の詩の宿命への問いもまた、〈鮎川以後〉の詩のあり方への問いと重なっているのではないか。その問いこそが、「荒地」の現在と未来への展望をさらに切り開くはずである。ここでは、鮎川の晩年を論じた論考の末尾を紹介しておきたい。

わたしには、鮎川が詩歌のナショナルアイデンティティーと、国家や国民の概念との結びつきを、不問に付していたように思われる。もし、それを問おうとするなら、国家や国民が無意識下に隠している狂気や病的なものに、詩が触れる方法を編みださざるをえないはずである。晩年の心境詩の方法ではそれが無効なことは、鮎川自身にとって自明なことだった。その時、選ばれた詩人の宿命の自覚は、詩人をではなく、詩を断念する選択しかなかったのかも知れない。（同前）

「詩人をではなく、詩を断念する選択」とは、いかにも切実な「詩人の宿命」と言わざるをえない。では、それでもなお「詩を断念」しないことを選択するためには、いったい何が必要というのか。また、「狂気や病的なものに、詩が触れる方法」とは如何なる方法なのか。

　その問いに答えるためには、いま一度、鮎川信夫の全作品を辿ってみることも必要だが、たどるべき道はもう一つある。〈荒地以後〉の詩の探究において、北川透が持続的に創出してきている二つのモノグラフィを精読することだ。『北川透 現代詩論集成』全八巻の中にそれぞれ一巻を予告されている二人の詩人、谷川俊太郎と吉本隆明についての考察の中にこそ、北川詩学による〈荒地以後〉の全貌が描かれているはずである。